奥州仕置
「奥州とは巨大な家なのです。それぞれがそれぞれと手を取り、反対側の手でまた別の手を取る。利害が一致する事は積極的に行いますが、利害の一致が見られない場合、争いになります。が、戦いを仕掛けた相手の親戚には必ず自らの一族がいる。そこから手打ちの打診が来て、一応の決着という事で矛を収める。結果として何も変わっていない。そんな事を延々と繰り返して来たのが、奥州という土地でした……」
そう秀次に語るは、伊達家の家老、片倉小十郎。
「そして奥州には多くの名家があります。出自の怪しい大名、というのはいません。と、これは中納言様をという事ではなく……」
「農民出身、現在は正三位が、源平藤橘に連なる者では絶対にないから安心しろ」
「……失礼しました。そのような情勢で延々と微睡みの中にいたのが、奥州と言えるでしょう。政宗様がそれを破壊しました。奥州の統一、そのために伊達家は……」
伊達政宗はその状況を打破するために、奥州統一を完成させるために動いていたのだ、と片倉は言葉に力を込めた。
「そのために実の父すら、か?」
片倉の眼に険しさが増した。思わず秀次を睨むように見てしまう。
「そうでもしないと、ずっと小さな勢力同士が、決着をつけない戦いをやっていたわけだ。おまけに名家意識が高く、自分の土地を誇りとして土着している……政宗は正しい事をしたとは思うぞ」
「……正しい、ですか?」
「ああ、もし政宗が何もせず、奥州がそれ以前の状態であったら、我らは北条を攻めると同時に奥州へも討伐軍を送り込まねばならなかった。そうなれば、奥州の大名は全て滅ぼされるか、寺に入れられてただろう。奥州の名家の代わりに、豊臣家から3から4家くらい転封して上方のやり方をそのまま押し付ける事になっていただろう。治まるまでどれくらいの時間がかかったか……」
考えたくもない、と秀次は思った。おそらく旧主主導の一揆や逃散が相次いだだろう。奥州を更地にするくらいのつもりでかからないと終わらない事業など、冗談ではない。
「それにこの時代だ、親殺しなど珍しい話ではあるまい? 甲斐の武田信玄、弟を排した信長公、主君を殺した明智光秀……片倉殿、伊達家が大分整理した事により、我らは北条征伐時に、挨拶に来て臣従するかどうかの猶予を与える事が出来た。ま、蘆名は余計だったがね。惣無事令は関白の命によるもの。関白の命とは、そのままかしこき所の意志である。そこを考える事だ」
秀次が語っているのは【分かりきった建前】である。惣無事令は秀吉が出したものだが、「認めるなら臣下に、認めぬなら朝敵として討つ」という最後通牒である。もちろん、かしこきところの意志ではなく、秀吉の意志である。
(まあ、国内はこれで終わりだ。その先を考えたくはないが……)
「中納言様?」
「ん、ああ、すまん、少し考え事をな……石川、黒川ら改易大名は全て蝦夷行きだ。流刑地などと勘違いされると困る。開発のための援助は豊臣の名で行う事を言い聞かせてやらんとな……伊達家も蝦夷開発には協力してもらうぞ。まあ、最初は港だな。大型船が入れるようにしてくれ。石巻とかその辺り」
「畏まって御座います。が、蝦夷との通商により益が出るとお考えでしょうか?」
「大丈夫だろ。蝦夷は広い。ああ、先住民がいるから、揉めないようにしないと。その辺りもしっかりと説明しないとなぁ」
(史実の秀次も同じように奥州仕置に行ってるんだよな。結果として本人の預かり知らぬ所で一揆が起こったりとか苦労はしたんだろうけど、蝦夷にまで手を伸ばす事を決めている俺と、どっちが苦労してんだろう……)
面倒事は多そうだ、そう思いながら秀次は大軍を率いて奥州を進んで行った。
奥州仕置、その内容は決まっている。検地などの実作業は三成ら能吏が差配して、抵抗の気配を見せた者は攻め潰す。それだけである。
最も、十万の軍勢に対して決起するような大名はなく、改易と検地は順調に進んだ。
改易された大名を政宗の居城に集めた秀次は、蝦夷開発の方針を申し渡す。
当面の責任者を伊達政宗とし、蝦夷に移り、その地を開墾せよと命じたのだ。
合わせて蠣崎氏に港を整備する事を命じる。勝山に近い港と、宇須岸の港の拡張である。
この工事のために大谷吉継が残る事になり、第一次開発費用として二十万貫に金一万両が与えられた。
蝦夷に入る諸大名には「現地の先住民と争わぬ事。先住民の信仰や文化を否定せぬこと。長い時をかけて日ノ本に同化させること」を言い聞かせる。
「先住民とうまくやることによって、より大きな利益を生む。なるべく武力は使うな。一応、鉄砲などの武具は支給するが、使うのは決定的に相手と拗れた時のみとせよ。政宗、しっかりと頼むぞ」
話を振られた政宗はにやりと笑いながら言った。
「わーってるよ、秀次さんよ。ただ、この武器を使って俺が蝦夷を取って豊臣に弓を引くかもしれねぇぜ?」
「殿っ!」
片倉が厳しい口調で政宗を嗜めるが、秀次はあっさりと言った。
「出来るなら、やってみろ」
「……」
「俺、徳川殿、上杉に蒲生、それらを踏み潰してなお、その先にある大坂を倒せると思うなら、な」
(残念だが、お前の考えている蝦夷開発、お前の代では終わらんよ。天下を望む暇もあるまいさ)
「……お見通しかぁ。ま、なんとなくあんたには勝てそうにない。だが、蝦夷はしっかりと取らせて貰うぜ」
「いや、お前も開発するのはいいけど、石川、江刺、黒川、田村、白川、和賀、稗貫の領土はきっちり割り当てろよ……そもそも、お前も先に石巻の港を整備しろよ……」
「わかってるさ。ま、その辺りはまかせてくれ、秀次公」
一抹の不安を感じながらも、秀次の奥州仕置はひとまず終わった。
後は能吏達が改易した領土を検地し終われば仕事は一段落である。
それらの差配を取り仕切りながら、二ヶ月後、秀次は帰路についた。
まず向かったのは、出羽山形。
招待を受けている最上義光とその娘、駒姫に会うためである。




