北ノ庄全力戦
北ノ庄城。
柴田勝家の居城であり、越前の交通の要衝でもある。
秀吉本隊の到着前に、既に堀秀政が布陣している。
賤ヶ岳から先鋒として追撃していたのだ。
秀吉本隊が着陣し、北ノ庄城を囲むとすぐに賤ヶ岳の戦いで捕らえた佐久間盛政などを晒し首とした。
相手の戦意を喪失させるための措置であり、事実、この後は城からの抵抗が目に見えて衰えた。
元々この北ノ庄まで撤退できた人数は多くない。
天守閣を備えた重厚な作りの城だが、囲んでいる人数からして既に落城は避けられないことであった。
晒し首の次の日、日が昇ると共に一斉攻撃が始まった。
堀秀政、前田利家らの手勢が攻め寄せる。
この前日、秀次は秀吉に呼ばれ、寄騎の一部を率いることを申し渡された。
ただ、秀次がまともに戦場に出たのは賤ヶ岳が初めてである。
当然、部隊指揮の経験はない。宮部家、三好家と武家の元で育ってきたのでそれなりに教養はあるが、
実戦指揮となると心許ない。
そこで秀吉は配下の中から実戦指揮官として前野忠康を彼につけた。
歳もそこまで離れていないことと、ゆくゆくは自分の一族を引き立てていく上で、有能な男を部下につける
ことによって実力不足を補おうと考えたのだ。
秀次の指揮下に入った兵は200人ほど。
小部隊だが、秀吉の配慮で屈強の者が多く配属され、鉄砲の数も多かった。
前野忠康。舞野兵庫助とも呼ばれ、一般的には舞兵庫という名で後世に知られている。
父は前野長康。秀吉の元で奮戦してきた歴戦の士である。
その父より戦については上手であろうと呼ばれる人物であり、秀次につけられる将としてはこの上ない人選で
あっただろう。
朝日が昇る頃、おそらく午前5時より前から始まった寄せは主に前田隊と堀隊が行った。
他の部隊も攻めているが、実は前日の夜に城内では最期の酒宴が開かれており、柴田勝家は自刃で腹が固まっていた。
この後も戦い続けたところで勝ち目はなく、雪崩れ込んでくる雑兵に首を渡すことは自尊心の強い勝家には耐えられない
ことだった。
その城内の”覚悟”はなんとなく戦場の空気として感じられており、おそらく最期に派手に抵抗した後、自分で決着をつける
つもりなのは皆分かっていた。
よって寄せ手もこの最期の攻城戦では果敢に攻め立て、相手の最期を盛大にすることと、各々の武功を誇る機会のために
戦っていた。
いわば、この北ノ庄の戦いは決着が既に見えている戦であった。
が、中には火の出るほどの勢いで攻め立てる部隊もある。
一つは娘を柴田勝家に人質として差し出していた前田利家の部隊。
柴田勝家が冥土の土産に利家の娘を害していくとは考えにくいが、他の兵士にどういう扱いをされるか分からない。
よって前田軍は北ノ庄を落とすことよりも娘の確保のために戦っていた。
もう一つ、前田隊よりも戦意旺盛な部隊、というか男がいた。
秀次である。
「天守閣はっ!! あれかぁぁぁぁ!!」
舞兵庫の指揮によって外郭の一部を突破した秀次の部隊。
遥か天空にある天守閣を見上げて秀次は叫んだ。
そこに柴田隊の生き残りが駆けつけてくるのが見える、
「兵庫!」
「御意」
駆けつけてくる敵に対して、兵庫は鉄砲を並べると一斉に発射させる。
何人かが倒れたようだが、そのまま突っ込んでくる。
既に彼らは死を覚悟してここに残った者のようだ。
舞兵庫は冷静に弓で射撃を加えた後、槍隊を前面に出し、鉄砲隊を下がらせて弾を込めさせる。
この時代の火縄銃に連発はできない。一度打つ毎に銃口から火薬や弾を入れる作業を行わないと2発目は打てないのだ。
「行け! 蹴散らしてさらに進むのだ!」
秀次の激が飛ぶ。
舞兵庫の指揮によって完全に迎え撃つ体制を整えた秀次の部隊と敵部隊が激突する。
相手は三十人程度。すぐに舞兵庫の指揮によって包囲され殲滅された。
「すさまじいものですな。わずかの手勢で積極的に切り込んでくる。死兵というやつですな。
秀次様、この先に進めばあの手の敵が多く待ち受けておりましょう。
我らは小勢。無理に進む必要ないかと存じます」
このまっとうな意見に秀次は瞬間、考え込んだが、すぐに返答を返した。
「いや、もっと近づく! ここからでは天守閣には届かん!」
「さすがに天守閣にたどり着くのは無理ですぞ?」
「それなりの距離まで行ければいい! 火矢持ってこい! 天守閣にぶち込め!」
だから届きませんて・・・とあきれる舞兵庫だったが、秀次は諦めずに隊を前身させた。
秀次に史実で勝家が城に火をかけ長年貯めていた火薬を天守閣にあつめて派手に爆破したことを知っている。
最期の時の前に、市の連れ子である三姉妹と最期の別れをしているところだろう。
その後で、秀吉の元に送り届けてくるのだ。
つまり! 今なら! 茶々は天守閣付近にいる可能性はある!
あの三姉妹が秀吉に預けられたら、茶々が側室なってしまう!
そして秀頼が生まれたら・・・俺の立場が悪くなり一気に切腹まっしぐらだ!
茶々にはこの時点で恨みはないが、俺の今後のためにも!
できればここで憂いを除いておきたい!
「火矢と鉄砲! 目標天守閣! 撃てぃ!」
「だから、届きません。威圧の効果もありませんよ。
どうしても天守閣まで攻め入りたいのであれば、前田隊か堀隊と共同で大手門から抜くしかありませぬが」
それでもどうにか! 天守閣にさえぶち込めれば、一気に片がつくのに!
「柴田殿は織田家の筆頭家老にして、歴戦の勇士。今更雑兵に首を渡すようなことはしますまい
死に際を汚すよりは、自刃して城ごと焼き払うつもりでしょう」
いや、柴田勝家の死に方とかどーでもいいから! 市様の上で腹上死しようが、史実通りの爆死だろうが、何でもいいんだって。
問題は俺にとっての死神の母がここにいるってことなんだよ!
ひょっとして今ならどうにかなるかも知れないってのに!
くそ、200人程度の部隊では奥まで一気に進軍することは無理か。
秀次の部隊が奮戦している頃、前田隊は大手門を破って歓声を挙げていた。
それを天守閣から見下ろしている老将、柴田勝家。
(猿め。気張りよる。信長様亡き後、織田家の一族を中心にまとめようとしたが、結局は信長様が討たれた時点で
織田の時代は終わっていたということか)
尾張の半国ほどしか領地がなかった頃から、信長配下の武将として戦ってきた男である。
(手取川・・・あの軍神と正面からやりあったのはワシの誇りだ。あれは酷い戦だったが、今は懐かしい)
上杉謙信。戦国最強と呼ばれたものと戦い散々に敗れた。
(だが、死ななかった。そして謙信の死後、越中・越後を切り取っていた)
そんな中、信長様が今日にて明智に討たれたとの報が入り、全身が凍るほどに衝撃を受けた。
(これからどうするのだ)
そんな事を彼が考えているうちに、中国方面軍だった秀吉は神速の行軍にて姫路まで引き返し、明智との決戦に向かい、
これに完勝している。
本当は分かっていた。あの明智討ちの一件で決定的に我は出遅れた・・・。
だが織田家の筆頭家老として引けなかった。お市とも夫婦になっていた。
秀吉の、あるサルの外交術がここまで凄まじいとは思わなかった
それでも、賤ヶ岳で秀吉を討ち取ることは可能だった
討ち取った後、どうするのか? どうすべきなのか? その展望は漠然としかなかった。
・・・天下布武は、わしには重かったか。
今は穏やかである。晴れやかとも言える。
尾張の守護代に過ぎなかった織田家の将として仕えてきた者が、天下分け目と呼べる戦をした。
(男子、その本懐を遂げてなお醜態は晒せぬ)
先ほどまで三人の娘と別れを行っていた。
秀吉は人情に厚い。少なくとも人情の厚さを政治的にも売りにしている男だ。
敗軍から落ち延びる女を悪くはしまい。
「伝令は走らせたか」
傍らに控える小姓に問う。
「茶々様、江様、初様に前田家より人質となっていた姫は秀吉の陣に送り出してございます。
使者には織田長益殿が立ってくれるそうです
「ふむ。ならまずは安心だな」
そういった後、彼は傍らの妻を振り返った。
「すまんな」
勝家の妻、お市はかぶりを振った。
「ここに来て、娘も私も安らぎを知りました。あなた様の優しさと雪が積もり時が止まったような風情に癒されました・・・」
勝家が近侍から松明を受け取ると、天守閣に運び込まれた火薬に伸びている導線へと放り投げた。
そして、大ごしらえの太刀を抜いた。
「来世では、最初からあなたの元で尽くしとうございます」
「無骨者ゆえ、迷惑ばかりかけそうであるがな」
微笑する勝家にお市ははっきりと言った。
「お前様、私は幸せでした」
そう微笑んだお市の胸に勝家の太刀が突き刺さった。
悲鳴すら上げずに、お市は崩れ落ちた
即座にその刀を勝家は自らの腹に突き刺した。
そして轟然と
「やれい」
短く告げた。近侍が首に太刀を振り下ろす。
その後、残っていた小姓や近侍が互いに刺し合って絶命した。
そして動く者のなくなった天守閣で、導線のみはゆっくりと進み火薬が集積されている場所まで僅かな時間をかけて辿りついた。
その少し前、北ノ庄より織田信長の弟である織田長益が駕籠を引き連れて秀吉の陣に現れた。
「羽柴殿に申し上げる! 主、柴田修理亮勝家はただいまより自害致す! 天主には火薬があるので距離を御取りくだされ!
なお、羽柴殿に言付けがありもうす! 故右大臣信長様の妹君、お市様の娘三人と前田家の姫を・・・
秀吉はすぐにこの使者を手を取って立たせ、決して粗略には扱わぬ。彼女らはわしにとっても主筋の娘ぞ、と涙を浮かべながら
この頼みを請け負った。
日が傾きかける頃。
秀次は使者が本陣に入ったとの報告を聞いて兵を退き挙げていた。
もはや北ノ庄を振り返ることもせず、ゆっくりと本陣へと戻っていく。
と、背後で爆発音が響き渡った。天守閣の火薬が爆発したのである。
思わず振り返った舞兵庫。周囲の者もみな、その焼け落ちる天主を呆然と眺めている。
ふと兵庫が秀次を見ると、彼は北ノ庄を振り返らずにそのままゆっくりと本陣へと馬を進めている。
(動じてはおられぬな。もう興味がなくなったような感じだ)
事実、秀次の興味は助けられた姫に集中していた。
秀吉が保護して、手元で養育、か。もう何の手も出せんな。
俺の切腹は大きく近づいたと言える・・・茶々は、豊臣秀頼の母なのだ。
茶々だけは他に嫁にやらずに手元で側室にした・・・お市殿への憧憬、というよりは秀吉の抱える出自のコンプレックスだな。
卑賎の身から成り上がったからか、秀吉は名家の姫を好む。
そして、秀吉にとって最大の名家とは、織田なのだろう。
織田よりも古い名家やそれこそ皇族の姫などもいるが、それよりもなによりも、彼は織田家が主家であり、その象徴とも言える
姫であったお市様。
その血を継ぐ娘三人か。秀吉の手の中に入った限り、もう俺にどうこうできることはない・・・か。
「どうかされましたか? 初の実戦指揮で緊張しましたかな?
中々の統率ぶりでしたぞ。これは世辞ではありませぬ」
「そうか兵庫・・・ありがとうよ。
これからも苦労かけると思うけど、よろしくな?」
「御意」
・・・ほんとに苦労かけると思うけどな。
その後、賤ヶ岳の論功行賞が行われ、七本槍が福島正則だけ五千石貰って加藤清正が怒ったり。
どーせお前らはある程度は必ず出世するんだからこんなとこで文句言ってるなよ。
秀長さんが秀吉に「孫七郎は意外にやりますな。戦局をよく読み、部隊を率いてもよく人を用いています」とか言ってくれたり。
おかげで河内二万石を貰ったよ・・・まあ、俺くらいしか、今のところ手駒がないもんな、秀吉。
とにかく、今後の対策は考えておこう。
切腹はまだまだ先だ。
短絡的に茶々ごと北ノ庄爆破作戦は当然のように失敗した。
やり直しだ。
大名になったんだ、今までよりも何か出来る事は多いはずだ。
ここまでは史実通りに来ている。
つまり、今のままでは切腹は免れない。
だが、なんとかしてみせる! なんとかなる! なればいいなぁ・・・。