忍城開城
田中吉政は普段から余り無駄口を叩かない性質であるが、忍城への行軍中は普段に輪を掛けて無口であった。
本人の評価はともかく、秀次の家臣団では主君に言いたいことを言う御意見番とみなされていた。
武功もあり、軍才も十分にある男だが、家臣の中で筆頭家老とでも言うべき地位に置かれ、気を抜くと仕事を部下に放り投げる主君を持った彼は、まごうことなく苦労人であった。
(関東移封)
彼の頭の中はその事で占められていた。
(関東八州、二百万石以上。検地をせねば正確な石高はわからぬが、その検地をする人材すら事欠く。私に宗茂、兵庫などの親類縁者はことごとく召し抱えるのは当然として、足りぬ。金も米もあるが人はそうそう増やせぬ……やはり北条の遺臣、これを使うのが良いだろう。しかしこの戦で散った者も多い。どれだけ集められるか……忍城の成田、これを中心に北条残党と言うべき者を集めるか。成田長親、なかなかの人物らしい。成田氏長ともども召し抱えるか。十万石か二十万石与えれば色々集まって来よう。小太郎殿に妙な輩が入り込んでいないか見張って貰えば良いな。うむ、当面はこれでなんとかするしかあるまい)
敗軍の将を召し抱えるのに十万単位の石高が出て来る当たり、吉政も主君に染まっているようである。
(他にこちらから声をかけたほうが良い者はいるだろうか? 重臣として小太郎殿が一族全てを率いて協力してくださるが、風魔には検地の他に、領内の動揺を抑える役もある……秀次様の警護も、だな。関東移封に伴って、家臣団の序列や家老職を再考する必要がある、か。新規家老に風間殿は決まっているのだが……他が……私が筆頭家老で宗茂と兵庫がそれぞれ次席家老……でいいのか? 風間殿、官位だけでいえば我らより上だが……ああ、そうか、官位を成田氏に用意する手配もしなければ……それに江戸に港を造ると秀次様は仰っていたが、津島からどれだけの人材を持ってきて、どれだけを残すのか、それも決めねばならん。尾張や伊賀から関東に移動して田畑を持ちたい者もおるだろうな。田舎の三男や四男、なんらかの理由で村から出たい理由を持つ者もおるだろう。これらの受け入れ先はどこか新規開拓地を確保せねば……津島の商人達も、江戸に来るな。それも考えねばならん)
やる事が多すぎて、一つを考える間にそれに関連する新たな問題が浮かんでくる。さらにそれを解決する方策を考えようとすると、別の問題が、という思考に沈む田中吉政であった。
関東に移っても、彼の苦労は続きそうである。
秀次の率いる三万の軍勢は忍城に到着した。
石田三成を総大将とした忍城攻略軍がおよそ二万。忍城という規模で言えば小さな城に、実に五万もの大軍が出現していた。
秀次は三成を連れて、実際に戦が行われた場所を見て回っている。崩れた堤防、三成が造った即席の道……それらを実際に戦闘に加わった者から話を聞きながら歩いていた。
「申し訳、ありませんでした」
着陣してすぐに、秀次本陣設営中に現れた三成は、その場で土下座すると、絞り出すように、しかしはっきりとそう告げた。
「此度の失態、全て私の責任です。策を立て敗れた事、関白様の忠告を無にしてしまった事、全て、全てこの三成の一存にてやった事。責を負うべきなのは私一人です。いかような処分でもお申し付け下さい」
(……真面目だなぁ、こいつ……)
三成は切腹もありえると悲壮な覚悟で秀次の前に出た。が、秀次は言い訳や責任転嫁をしない三成の事を、やはり今後の豊臣政権で必要な人材だと思った。
「三成」
「はっ!」
「沙汰は追って関白殿下より下される。まあ、なんだ、今回は運が悪かったな。この忍城、そう簡単に落ちる物ではない。そこまで気にするな」
これは秀次の本心である。史実の忍城攻城戦を知っているのもあるが、実際に城を見て素直にそう感じた。
(城の周囲はほとんど沼地。大手門に繋がる道がほぼ唯一の行軍に適した道だが、本気で落とそうと思えば、全軍を最初から一気呵成に叩き込むくらいしか方法は無かったように思える。兵庫や宗茂なら何か手を思いついたかも知れないが、俺では囲んで日干しにするくらいしかできないだろうな)
秀次の下には風魔からの情報も入っている。それらを見るに、成田長親に甲斐姫は十分な傑物であろうと思われた。さらに堤防工事などで徴集された地元の農民達も、率先して忍城を守る事に協力していたという。
(正攻法では落ちない城、ってとこだな)
「まあ、お主の処分は先ほども言った通り、関白殿下より下される。私からも意見を添えて置くので、そこまで心配はしなくていいが、なんらかの形に残る罰は下されるだろう。形式ではあるが、これより忍城の開城に関する事、私が総大将となる。三成、忍城へは開城勧告は送っているのだろう?」
「はっ、昨日中に返書が届きまして御座います。これに」
そう言って三成は書状を秀次に渡す。
「城主、成田氏親からの書状に御座います」
秀次は書状を開いて眼を通す。そこには、城主である成田氏親の首を差し出すので城内全ての兵の助命を願う、とあった。
(……ま、普通はこういう形で終わらせるようにするだろうが、今回は関白殿下の指図をある。俺が直接行くか)
「忍城へ入る。三成、正家、吉継、榊原殿は供に来るように。兵庫、宗茂! 手勢を率いてここで待て! 才蔵、お主は供に来い!
吉政! お主も登城だ」
そう言うと、秀次は馬を忍城のほうへ進めていく。
すぐに可児才蔵と田中吉政が十人ほどの手勢を率いて秀次の背後についた。秀次は気がついていないが、才蔵の手勢の中には風魔の手の者が一人、従者の振りをして入り込んでいる。才蔵と小太郎は城内に入る際、警備という観点から協力しているのだ。
なお、忍城は開城勧告を受け入れており、正門は開け放たれている。篭城していた兵は約三千人。それらはまだ城の中にいるが、この三千人の中にすら、風魔は既に忍を紛れ込ませている。
大きく開け放たれた正門前に、門番が立っている。その門番に対して、列の先頭にいる秀次が名乗った。
「正三位権中納言、羽柴秀次である。忍城の受け取りに参った」
官位を名乗ったのは儀式的な意味だけではなく、朝廷からの使者でもある、という意味を持っている。
秀吉が関白として発した関東惣無事令が北条征伐の大義名分である。関白として命じた事は、朝廷として命じたに等しい。その理屈で進めて来た戦であるので、秀次は官位を名乗る事により「この先は朝廷の使者として振る舞う」事を宣言したのである。
実際は、官位を名乗らなくても城の受け取りに何の影響もないのだが、ただ単に秀次が「一度でいいからあの長い官名を名乗って見たかった」だけなのだが。
門番が一礼して下がると、まもなくして死に装束を纏った男が進み出てきた。
(成田氏親、だな。そして……)
男のやや後ろに同じく死に装束を纏った女性が続いている。髪を短く切ったその姿は凛として、何恥じる事なく真っ直ぐに立っていた。
(甲斐姫、か。伝承の類でしかないかとも思っていたが、やはりいたのだな……)
正門を通り抜けた所で、成田氏親と甲斐姫がその場に伏して、頭を下げた。
「お初に御目にかかります。この忍城で城代として指揮を取っておりました、成田氏親でございます。この者は成田氏長が娘、甲斐にございます。城主、成田氏長が不在ゆえ、同席をお許しください」
「よかろう。成田氏長、甲斐姫、此度の戦は天晴であった。関白殿下も忍城の戦いぶりは関東一よと褒めておられた。今後の事であるが、成田氏親よ、甲斐姫と共に関白殿下の下へとお送りする。最終的な沙汰はそこで成田氏長と共に下される。忍城には一時的に城代として長束正家が入る。何か存念はあるか」
「はっ! 我らは仰せのとおり、関白殿下の下へと行きまする。されど、この城に残る将兵は周辺の村より集まってくれた義の者。どうか寛大な措置を」
「うむ、忍城の将兵については特に罰する事はない。この秀次の名で明言しておく。それで良いな?」
「ありがたく!」
(正三位権中納言、羽柴秀次。そう名乗られて来られたという事は、この約定が破られる事はない。無駄では無かった、この戦は無駄では無かった……負けたとは言え北条の、成田家の意地は見せられた……)
成田氏親。この後、甲斐姫と共に豊臣本陣の秀吉の下に送られる事になる。
忍城の一時城代として長束正家が入り、秀次から糧食などを譲られ、忍城周辺の安定を第一に任される事になった。
こうして忍城の開城と城の受け渡しは終わった。
本来、この程度なら秀次が行く必要はないのだが、「最後まで抵抗し、武勇を示した城とその城の将兵」に対して、関白秀吉が配慮して、甥の秀次を送ったのである。
忍城の受け渡しが済んだ事により、北条征伐は幕を閉じる事になる。




