閑話~忍城へ~
「三成、正家らを迎えに行ってくれ。処置は任せる。言うまでもないが、小田原が落ちてなお、持ちこたえた城じゃ。丁重にな、秀次」
小田原城開城の数日後、三成より届いた書状を見た秀吉は、甥の秀次を名代として忍城に派遣する事にした。
秀吉にしていれば、本丸とも言える小田原城が落ちた今、ただ一つ残る支城などに興味はない。彼らがどう足掻こうと、北条の滅亡は避けられない。ならば、今後この地を統治する秀次に事後処理をやらせ、心証をよくしておく事のほうが重要と見た。
秀次は了承し、配下の部隊を率いて忍城へと出発していった。
「再度、攻撃を仕掛けて、失敗か……」
道すがら、秀次は風魔よりもたらされた書状を読んでいた。
内容は石田三成が行った、忍城攻防戦である。
「……関白殿下からの命は、包囲に留めて置く事だったはずだが……」
秀次は書状からちらりと傍らに跪く巨漢の男、風魔小太郎に聞いた。
「それは間違いありませぬ。しかし、石田様は自ら策を練り、再度攻撃を仕掛けました。結果はそれに」
「……う~ん、湿地や沼地に材木やら藁やらをぶち込んで道を造るか……無理だろうな、無茶すぎる。ふむ、もう少し策を練る時間と準備期間があればなんとかなったやも知れぬが、例えば木を伐採してそれらを泥に並べてその上に……まあ、それはいいか。しかし、関白殿下の命を無視してまで動くとはな。それほど三成は功に焦っていたのか。三成達は皆、無事なのだな?」
「はっ。主だった将には我ら風魔の者がそれとなく警護しておりました。石田様、大谷様など皆様は無事であります」
「被害は」
「総崩れになりましたが、相手も湿地に足を取られる故、追手はありませんでした。忍城に肉薄した時にやられた者は百人に登ります。それ以外は大した被害はございません。無論、忍城には何の被害もないでしょう」
はぁ、と秀次は溜息をついた。
(ただ囲んでおけば終わった戦だったものを。三成、よほど武功が欲しかったのだろうな。しかし、一度失敗しているのだ。関白殿下に囲むだけにせよと命が下った後に、これだけの攻勢をかけて失敗したとなれば、なんらかの処置が取られる可能性はある。難しいな。あいつは間違いなく有能な官吏なんだ。豊臣政権を切り盛りしていくには、あいつの手腕が必要不可欠だ……)
「三成が戻るのはいつだ?」
「明日の昼には、関白殿下に拝謁する予定です」
「……ふーむ……ま、俺からも取り成しておこう。あいつは豊臣家に必要な男だ。権力を持つ者は英雄で良いが、実際に権力を振るう体制を作り上げるのは、あいつの仕事だからな……」
(しかし、少しばかり難しくなった)
秀次はそう内心で呟いていた。
(三成が武断派、つまりは正則や清正などと距離が離れていくのは朝鮮の役くらいからだと思っていたが、この調子だと三成の武功に対する劣等感はかなり強いかもな……史実通り、囲んでいる間に終わっていたなら何も問題はないが……あいつの名誉を回復してやる必要があるか?)
そこまで考えて、秀次は傍らの小太郎に聞いた。
「……小田原城は開城した。俺は今後、論功行賞によって関東八州を領土とする事が決まっておる」
「それはおめでとうございます」
「まあ、それはいいのだが、関東の運営には旧北条家の者を使いたい……成田氏長、この男はどうだ?」
「領民から慕われており、まず名君と呼んで良い男にございます。戦においてはそれなりに使える、といった所でございましょうか」秀次はまた考え込む。
(成田家を中心に、取り込むしかないか。娘の甲斐姫は、史実では秀吉の側室になる女。関白殿下の側室が一族の登用を求めた、それに関白が答え、かつての旧領の新たな主となった甥に面倒を見させた。良し、筋は通るな。この線で行こう)
ちなみにこの線は当然ながら、秀吉によってまったく違う結果になってしまうのだが、それはまだ秀次にはわからない。
「小太郎、頼みがある」
「何なりと」
「江戸、という場所が関東にあろう。たぶん、小さいながらも城があると思う。関白殿下よりそこを居城として関東を発展させよとの仰せがあった。風魔の中から何人か先んじて送り込んで、民達に我らの事をそれとなく噂として広めてくれ」
「御意」
(江戸はこれでいいだろう。風魔の者が行商や農民に扮してこちらに敵意がない事を宣伝してくれれば、少しはやり易くもなる……小田原城、どうしよっかな。立派な城だし、もったいないよなぁ……誰か、城代として入れるか。周囲の土地ごと与えても、維持が大変になるだけだ)
「まあ、大体決まった。後は兵庫や宗茂、吉政に話してから決める事だ。とりあえず、さっさと三成達を回収しに行くか」
「もう戦は終わっちまってるんだよなぁ。出番はなさそうか……」
秀次のすぐ横で馬に乗り、槍を肩に掛けていた、可児才蔵が不満そうに呟いた。。
「まったく、お前は……」
秀次は苦笑するが、実は可児は戦がないのが不満なように見せているだけである。
主君と軽口を叩きながら、周辺に視線を配らせている。
(小太郎はさすがにどこにいるのかわかんねぇな。隠れて着いてきてるのか、それともこの行軍の中に混じっているのか)
小太郎が陣営に加わってから、表の警護は可児才蔵、裏の警護は風魔小太郎となっていた。
大柄で槍の名手として知られる可児才蔵は、秀次の側にいる将の中でもひときわ目を引く。ゆえにもし、秀次を襲う計画を練る者がいた場合、まずこの可児才蔵が難関となる。
が、実際は可児の役目は、実際に暗殺者が秀次に迫ってきた時である。可児が人目を惹きつけている間、風魔小太郎率いる『風魔一族』はあらゆる場所から秀次の警護についている。
進んで行く隊列の先頭付近に数人、中ほどにも数人、秀次本人がいる周辺に数人、隊列の後方にも数人、といった具合に小太郎配下の忍びが配置されている。
それ以外にも、隊列に先回りして襲撃や罠がないかを確かめる『先導団』と呼ばれる中忍以上で構成された精鋭、隊列には加わらず、土地の者に変装し隊列からつかず離れずの距離で警戒している上忍達。
その上、風魔の誰にも、秀次にさえも風魔小太郎は自分の所在を告げていない。
『警護の計画を立てるのは当然の事だ。そこに私は入らない。お主たちは計画通りに万全の警備を。私は秀次様の周囲に潜む』
小太郎の所在は風魔ですら知らない。仮に警護計画が外に漏れた場合、そもそも警護計画にいない者がどこかに潜んでいるというのは襲撃者にとっては悪夢であろう。。
(三成か……功を急いだ。急ぎ過ぎた。おそらく、あいつはこの北条征伐後の事を考えているのだろうが……この関東平定が成れば大きく大名が領地替えで動く。動かざるをえない。豊臣政権に忠誠心高き者、徳川家のように力を持つ者、豊臣家本領として抑えておかねばならぬ土地。差配は殿下と俺、秀長様が取り仕切るのだが、その実務部隊は三成や正家になる。そういった、官僚的な能力を持っている者が豊臣家にはあれらしかいないと言うに……)
秀次は馬上で頭を掻く。
(別にこの北条征伐、三成や正家は糧食の手配や各将の陣の差配、それらをこなしておれば良かった。殿下はそれを功として彼らに十万石ほど与えようと思っていただろうし……三成は、それでも”武功”に拘ったか。いや、今後の事を考えるに、戦国時代を生き抜いてきた猛者達に弁説で立ち向かう立場になれば、武功に拘るのもわからないでもないが……)
秀次は三成の能力を良く知っていたため、武功に拘らずに本陣で仕事をさせようと思っていたのだが、三成の強い願望を読み間違えた。いや、史実を知っている彼からすれば、真にまずいと思ったのは「三成が忍城攻略軍の責任者となった」と聞いた時であるが。
(忍城、か。その時点で止めていれば……止める理由がないな。いきなり「あ、やっぱ俺が行く」とか言えるわけもない。それでも史実通りに一撃食らって後は囲んでいるだけだと思ったのだがなぁ。まさかさらに出撃して被害を増やすとは……ともかく、なんとか三成を取り成さないと。せめて史実通りに出世してくれれば、豊臣政権の骨造りはまあ、たぶん進むだろうが)
その三成の失態をどう取り成すのか、それが秀次の悩みどころではあった。
(なんとか取り成さないとな……殿下も怒っていらしたが、さすがに頭が冷えれば極端な罰は与えないだろうし)
結局、忍城を実際に見て、開城させてから三成の件は考える事にして、秀次率いる三万の兵は忍城へと歩みを進めて行った。
短いですが、区切りが良かったので今回はここまでとさせて頂きます。
……書籍版より長くはならないよな?




