決断
秀次は今、秀吉本陣にいる。石田三成率いる忍城攻略軍が被害を受けたとの報告があり、秀吉は秀次と風魔小太郎を呼んだのだ。
「忍城を囲んでいた堤の一部が崩壊、その混乱につけいるように忍城の者が討って出た。それにより三成の軍は被害を受けた、ということか?」
「おおむねその通りであります。加えて申し上げるならば、堤を破壊したのは忍城の手の者で間違いないでしょう。堤の崩壊とほぼ同時に忍城の手勢が出張っておりますゆえ」
「……三成め、儂の模倣だけで城を落とせるとでも思うておったのか。備中高松城の水攻めは官兵衛や小六が地理を調べ抜いた上で実行した策、同じ事が他の地で出来るものか」
秀吉は不機嫌であった。
最早北条攻めは総仕上げの段階に入っている。遠くない時期に北条は降伏し、小田原城は明け渡されると思っていた時期に、忍城という小城一つに鮮やかに勝ちを拾われた。
(あの程度の城に何を手間取っておるのか……どれだけの兵を連れていると思うておるのか。無理押しに力攻めでも良かったものを。わざわざ小細工をするからこうなる)
扇子でぴしゃぴしゃと膝を叩きながら、思案する秀吉。
「被害は具体的にどれくらいだ、小太郎」
秀次が聞くと、小太郎は即座に答えた。
「はっ。おおよそ二千ほどかと」
「二千か……」
二千という数字は討ち取られた者だけではなく、戦闘不能となるような負傷を負った者を含めての数字だが、それでもかなりの被害である。
堤の決壊に巻き込まれて命を落とした者や重傷を負った者が多かった事を加味しても、忍城から討って出た部隊はかなりの損害を与えている。
(並みの戦意じゃないな。いくら相手が混乱していても、大軍相手に突撃して奮戦する事など、戦意の低い兵に出来る事じゃない)
秀次も頭を抱えたくなった。ここだけ史実通りかよ、と……。
しかし、そう思ってから気がついた。史実通りでも別にいいのだ、と。
(別に忍城が小田原城が陥落するまで持ちこたえたとしても、戦局に影響はないよな。忍城の連中が包囲を破って小田原城に援軍として糧食と共に入る……ないな、絶対ない。
三成が持ってる兵力が確か二万三千、先の戦闘で二千の被害を受けたから二万一千、それを打ち破って糧食や弾薬などを持ったまま小田原まで来て、この小田原包囲網をかいくぐって城内に入るなんて方法はない。風魔なら出来るかもしれんが、普通に考えればできん)
秀次は忍城は放置しても問題ないと判断した。事実、忍城がどれだけ持ちこたえようとも、小田原城が落ちれば、この北条攻めは終わりである。
「関白殿下、忍城は三成に囲ませておきましょう」
「……放置するか。確かに大局に影響はあるまいが……仕方ないか。今から援軍を送って落とせぬ事もないがのぅ」
「それでは三成の面目が立ちませぬ。ここは三成につけた手勢であの城を囲むに留めておけば良いかと」
「ふむ、そうするか……小田原も、最早長くは持つまい。ならば小城一つ、放置しても構わぬ。終わった後、その忍城とやらの者どもを良くぞ戦ったと褒めてつかわそう」
(ま、それがいいだろうな。小田原が落ちるまで耐えきった小城なら、称賛に値する。そうする事で関東の民が少しでも和らぐなら、俺が関東に移ってからもやりやすくなるかもしれん)
「では、三成には二重三重にも囲みを造り、忍城の者達を釘づけにするように命じましょう」
「わかった。三成には儂から書状を出す。やれやれ、あの程度の小城なら、三成で十分に落とせると思うておったが」
少し期待外れじゃわい、と言って秀吉は溜息を吐いた。
(子飼いの中でも官吏として最も有能なのが三成だからな。武将としての才覚まで期待しておられたのだろうな。いや、才覚に期待していたというより、忍城を落とした功績によって地位をさらに引き上げる気だったのかも)
そんな事を考えながら、秀次は秀吉の陣を辞した。
帰り道、秀次は小太郎に話しかけた。
「小太郎」
「はっ」
「一応、何人か、風魔の手の者を忍城を包囲している部隊に紛れ込ませてくれ。もしまた相手が出てきたら、今度は大将首を狙ってくるかもしれん」
忍城が囲み部隊を打ち破る最も良い手段は、司令官である石田三成を討ち取る事である。そのために、また奇襲を仕掛けてくるかも知れないと秀次は心配していた。
「御意。石田殿を含めた、主だった将の周辺に風魔の者を配しましょう。迅速に現地の状況がわかるよう、連絡役を紛れ込ませてもよろしいでしょうか」
「頼む。念のためだが、ここまで来て三成や長束、大谷を失いたくない」
「では早速、今晩にも出立させます」
その日の夜、小太郎の命を受けた数人の上忍と配下の忍びが忍城に向かって闇の中に消えて行った。
その数日後、石田三成の下に秀吉から書状が届く。
「忍城は二万の兵で囲むだけで良い。無理に攻める事はせず、小田原が落ちるのをそのまま待て」という内容であった。
三成は書状を読んで暗い気持ちになった。
(自分は失敗したのだ)
手柄が、功名が欲しかった。そのために関白秀吉に直訴してまで兵を出して貰い、この忍城を落とす役目を与えて貰った。
(関白殿下は私にこの忍城攻めの総大将となるように言って下さった。本来なら私よりも本隊より選ばれた浅野長政や、武名高き榊原様がその役目であるのが普通であるのに、わざわざ私を総大将にしてくださった)
期待に応えられなかった、期待に背いたと三成は自分を責めていた。
(私には……将の器はないのかも知れぬな)
自陣の天幕で悄然としている三成の頬に、水滴が落ちてきた。
ふと空を見上げると、ぽつぽつと雨が降り出していた。
(運もないか)
堤防が完成してすぐに雨が降っていれば。そう思ったがそれも間違いだと気がついた。
「雨が降ったために、堤防が崩れた。結局、水はこちら側に流れていたというわけだ。うまくいくはずもなかったか……」
現在、決壊した堤防は修復作業が行われ、ほぼ元通りに復元している。
(どうするか)
三成は考える。このまま関白殿下に従ってただ包囲を続けるのか。
だがそれでは三成はただ水攻めに失敗しただけの男になってしまう。
(それとも……)
もう一度、忍城を落とす策を考え直すか。
その場合、時間を掛けずに落とす策を考えねばならない。小田原城の陥落が迫っているのは三成にも分かっているからだ。
損害を出し過ぎてもいけない。ただの力押しで攻めれば例え一日で落とせたとしてもこちらの被害も甚大な物になる。
八方ふさがりだと、三成はまた暗い気持ちになった。
しかしこのまま囲んでいるだけでは、自分は戦下手だと同輩に嘲られるのは目に見えている。
「……このまま、終わる事などできない……」
三成の眼に光が灯った。決意の光が。
※忍城の水攻めは秀吉の指示という説が有力ですが、本作品では三成の案という説を取っています。今回は短いですが、次回から三成の忍城攻略戦になります。




