知恵者は思案する
秀吉本陣は笠懸山にある。
今は北条から見えぬように森に隠れながら城を造っているところであり、多くの人間が一日中働いており、大層賑やかだ。
その笠懸山の麓には秀吉の甥、秀次の本陣があり、万が一に小田原から敵が秀吉本陣に突撃してきた場合、秀次の率いる兵三万が盾となる布陣であった。
秀吉本陣から見て左翼に展開し、小田原包囲網の一角を担っているのが徳川家康。
秀吉本陣から見て右翼に展開し、同じく包囲網を形成しているのが蒲生氏郷、黒田孝高、宇喜多秀家、細川忠興など。
とはいえ、小田原包囲網は完全に完成しており、北条方は外への連絡手段を断たれた状態である。
海上には毛利水軍、九鬼水軍が多数の船を並べ、その中には秀次が製造を命じたガレオン船も浮いている。
各大名は妻や側室を呼び寄せるための屋敷を構えており、各大名の陣中には遊郭や賭場まで出来上がっている。
さすがに大名級の人間は遊郭などに遊びに行くわけにはいかないが、陣中の兵たちは豊富な糧食と大盤振る舞いされる一時金で毎日騒がしく過ごしていた。
これは当然、戦略の一環である。わざわざ小田原に聞こえるように騒ぐ兵たちによって小田原城に籠る兵たちの士気は次第に削がれている。
小田原城の北条は外の様子や他の支城の様子、奥州の伊達などの様子を探りに何度も人を放っているが誰も戻ってこなかった。
秀次が引き抜いた風魔が効いている。忍を失った北条は外部との連絡手段を完全に失ったのだ。
それでも多くの兵を放ち、情報を集めようとする北条氏直は凡将ではなかったのだろうが、小田原から密かに脱出した密偵は、風魔が捕えてしまった。
全てが後手後手であった。
秀吉にしてみれば、後は北方攻略軍が支城を落とし、小田原城を丸裸にしてしまうだけである。
既に秀吉の元には松井田城や厩橋城、箕輪城を開城させたとの報告が入っている。
他の支城も順調に落城、あるいは降伏している状況。
秀吉は戦勝報告に満足そうに頷くと、「もうすぐしまいじゃな」と呟き、風魔よりもたらされた関東の地図を広げた。
(広いの。広さだけなら十分じゃ)
風魔の地図には支城だけでなく、誰がどこの領主であったかも書き入れられている。
(ざっと……二百五十万石か。大領じゃ。褒美には困らぬな)
無論、秀吉もこの関東八州を褒美として子飼いの者達に切り分ける気はない。
二百五十万石を子飼いの十人に分けたとして、単純計算で二十五万石。それなりの勢力が多くできるだけであり、関東が不安定になるだけだと考えている。
(ふむぅ、むしろ関東八州は誰か一人が抑えたほうが良いか? 奥州の伊達もおる。駿河国や遠江国などの徳川の背後に配する役としてはある程度の大領を有しているほうがよかろう)
徳川が未だ心の底から臣従していないとわかっている秀吉は、最低でも百万石の大名を関東に作る必要があると考える。
(人選が難しい。官兵衛はいかんな、あれに関東で百万石など与えれば、へたを打てば東西に割れるわ。
器量でいえば蒲生氏郷などがおるが、家康相手では厳しい。福島、加藤も無理か。翻弄されるだけじゃろう。)
この人選を間違う事はできない。秀吉は地図に手を置きながら考え続ける。
(上杉家を持ってくるというのもあり、か)
かつて関東管領を名乗っていた事もある上杉家。これを関東に持ってくる事によって家康の牽制とするのは良い案に思えた。
(しかし、上杉家は義の旗を掲げる家ではあるが、この秀吉の譜代ではない。むしろ豊臣よりよほどの名家じゃからの。徳川の背後をまかせて良いものか?
それに上杉に関東で百万石与えるという事は、国替えとなる。あの越後の名家がそれを飲むであろうか)
言えば飲むかも知れない。が、そこにしこりは残したくなかった。世は未だ戦国乱世の気質が残る時代。
なにから崩れるかもしれぬ、という不安は常に秀吉にあった。
と、そこまで考えて秀吉にある考えが浮かんだ。
(家康を関東に移封するか?)
駿河や遠江、三河など今の領土を全て取り上げて代わりに加増して関東へと移す。
上杉は波風を立てたくないので移封できないが、家康はどうせ放っておいても波風は立つ。
ならいっそ……そこまで考えて秀吉は苦笑した。
(移封するにしても石高を削るわけにはいかんのだ。家康は此度の戦でも功があった。
先祖伝来の地を捨てさせるには大幅な加増、それこそ関東全てを渡す事になるか。無理な話だな)
徳川家が有する領土の総石高は約百五十万石。これに加増してやるから先祖伝来の土地を捨てよ、となると関東八州全てとなってしまう。
百五十万石にたとえば二十万石ほど加増しただけでは動くまい、というのが秀吉の読みだった。
(家康に今以上の力をつけさせる事はない。三河武士や旧武田家臣を力の源泉と見ている男だ。むしろ縛りつけておく事が大事だな。
関東も含めて家康を身動きできぬように包囲してしまうことだ)
そうなるといよいよ関東の配置が難しい。
(さて秀次はどう考えておるのかの……待てよ、秀次。そうか、秀次か)
秀吉が思案している頃、徳川家の重臣、本多正信も思考を巡らせていた。
(駿河や三河を離れて関東への移封はありえぬ話ではない。もしその話が出ればどう躱す?
断ればしこりを残す。加増もあるのに断れば他は我らをどう見るか……今、他の有力大名と距離を置かれるのはまずい。
しかし受ければ我らは先祖伝来の土地を失い、関東を一から耕させねばならぬ)
じっと虚空を見つめながら徳川家にとって最も良い結果を引き出すための策を練る正信。
手元に置かれた酒にも手をつけていない。
(関東八州。北条が滅んだ後にできる二百五十万石。つまり二百五十万石分の移封が可能となる。
中央は大坂を中心として関白様、大和大納言様が抑え、尾張と美濃という中心部は秀次公が抑えている。
殿は戦で天下を取る事はないと仰せられた。今の状況ではそれが正しい。が、鶴松君が成長し秀次公が後見となればもはやつけいる隙はない。
殿がご存命の間は良いが……その後は徐々に徳川家の力を削ぎに来る可能性が高い。それだけは避けねばならん。
天下を狙うおつもりがなくとも、徳川家が将来にわたって大きな地位を占められるような……!!)
そこまで考えて正信の脳裏に電光が走った。
(いける……か? 実現すれば我らは更なる窮地に陥るかも知れぬ。だが、関白様亡き後を考えれば……)
今を耐えて、関白秀吉亡き後の世に力を残すにはどうすればよいか。
その一点のみに絞って考えた場合、正信の頭に一つの選択肢が浮かび上がった。
深く息を吐き、手元にあった酒を一気にあおる。
「忠勝殿、あなたの娘が秀次様と仲睦まじい夫婦である事、それが後の徳川の天下に繋がるやも知れませぬぞ……」
天正十八年五月十八日。
秀次本陣に千利休が建てた茶室にて、豊臣家と徳川家のごく身内だけの素朴な茶会が開かれた。
出席者は豊臣秀吉。
その甥、羽柴秀次。
秀次の妻、稲姫。
秀次の義父、徳川家康。
稲姫の実父、本多忠勝。
以上五名である。
会談まで書けませんでしたので、小田原会談は次回となります。
すいません。




