一席を設ける意味
「秀次様からの文でございます」
取り次ぎの者が秀吉に差し出したのは、甥である秀次からの文だった。
すぐに広げ、眼を通すと、秀吉は部屋から小姓や護衛の者達を追い出し、一人物思いにふける。
(家族で一席、か……なるほど、確かにこの小田原には秀次の舅殿がおる。ならば稲姫も同席し家族での一席、筋であろうな。
問題は家康がこれを受けるかどうか……受けなければ考える事もない。家康側は態度を決めかねている、ということになろう。
この秀吉や秀次に完全に臣下の礼を取るのかどうか、決まっていないのであればこちらもやりやすい。恩を売るもよし、この北条の後に徳川を脅すもよし……。
しかし、この一席をあっさり受けた場合、警戒せねばならぬ)
そして秀吉にはこの一席の件、徳川はあっさり受けるだろうとの読みもあった。
(問題は受けた後よ……徳川の真意を探る、同様に徳川は豊臣の真意を探りにくる。迂闊な事はできん……ふむ、しかしこの時に場を設けるのは良い。
北条が滅べば天下の事は治まる。それを前に決めておかねばならぬ事がある、と秀次はこの文で儂に言っておるのじゃな)
くくっ、と少し可笑しそうに秀吉は笑った。
「出来ておる。やはり秀次は出来ておるのぅ。そうじゃ、北条が滅んだ後、関東をどうするか、徳川をどうするか、決めねばならん。
さて、徳川殿にどう馳走するべきかのぅ」
そう呟いた後、秀吉は身を起こして小姓を呼んだ。
「秀次に文を書く。支度をせい」
秀吉は秀次に対し、『その一席、儂が用意しよう。誰が上座で誰が下座などとのくだらぬ事を抜きに語り合いたいものだ。おって日付を言い渡す。徳川殿にもよろしく
伝えておくように』と書状を届けさせると、すぐに茶道筆頭の千利休を呼び、その日から場所と会場作りに入った。
書状を受け取った秀次は、徳川家康に向けて『家族で一席、囲みましょう。今、関白殿下が席をご用意しておりますゆえ、日時についてはまた後日』との書状を送る。
「久しぶりに父上にも会えるぞ、稲」と暢気にその日を待っていた。
書状を受け取った家康。すぐに重臣を集めその内容を見せた。
「どう見る」
その一言だけを言うと鋭い目で重臣達を見た。
しばしの沈黙が落ちる。
重い口を開いたのは本多正信だった。
「まず……関白様と秀次様が来られる以上、これが殿を害するような罠ではありますまい。同じ席についている殿を害するような事になれば、我らも当然、関白様か
秀次様に刃を、となるのは必定。今、そのような危険を冒してまで殿を排除するような事はございますまい」
「それはわかる、が、ならば何が目的の席ぞ」
家康が重ねて問うが、重臣達もなかなか反応を示さない。
こういう時、家康は臣下を焦らせない。じっくりと待ち、考えの纏まった者の発言を待つ。
なんでも自分で決める秀吉とは対照的である。
「……稲も来るのですな。つまり、その場に私も同席する事が許されていると?」
発言したのは本多忠勝である。
「それよ、忠勝殿。徳川は殿とお主、あちらは関白様と秀次公、それに秀次公の正妻である稲姫様じゃ。
稲姫様はお主に久方の挨拶といったところであろうが、関白様と秀次公は何かこちらに話があると考えるのが普通じゃ。
そうなると、お主と稲姫を何らかの理由をつけて席から外して、殿に関白様と秀次公からの内々の話があるのやもしれん」
本多正信はそう言って顔を顰めた。
(わしが同席できればの……どのような話になろうとも躱して見せるのだが)
謀将としての自負が強い正信は、このような場に同席できないことが不満であった。
が、すぐに気を取り直すと話し出す。
「思いますに、関白様は我が殿に何らかのお話があるのでしょう。内々にそれを伝える為に、このような席を設けたと考えるのが妥当かと。
そして、話の内容ですが、この小田原攻めの後の事ではありますまいか?」
「後の事、か」
「左様です。関東の北条は最早命運尽きております。北条家が存続する事はありえませぬ。となれば、そう、この関東八州。
これがそっくり空国となります……もしや、関東八州のどこかに我ら徳川家を転封する気では」
関東八州はざっと200万石。その半分ほどを今回の戦の恩賞として徳川に遣わす。代わりに三河は取り上げる。
そういう腹積りではないのか。
「……考えられるな」
家康は冷静に言葉を吐き出した。
(天下が治まってしまえば、後は総仕上げとして外様の大名を国替えする。ありそうな事だ。恩賞として今より大きな領土となれば断るのも難しい。
しかし、我ら徳川の強さの源泉は三河武士にある。先祖伝来の土地を離れてしまえば、一から国を造り直す必要がある。今ほどの勢力を維持できるかどうか……)
「他にも、関東に我らを抑えるための者を配置するためやもしれませぬ。席上で関東は恩賞としてこういう者達に振り分ける、どう思われるか? と問われましたら
殿はどうお答えになられますか」
「よほどのわけの分からぬ輩でない限り、それは結構な事、と答える他あるまい」
「そうなると、その者達が関東へと移り我ら徳川の背後を固める事になります。前方に秀次公、背後に関白様の子飼いの将だとなかなかに動きにくくなりますな」
「ふむ。しかしそれなら我らは慣れ親しんだ三河を中心に今まで通りじゃ。背後に来るのが誰かにもよるがの……」
「そこでござる。おそらくは……上杉を中心とした者達ではないでしょうか。あの義に生きる上杉景勝と直江兼続が中心となり、そう、真田などがその周囲に配される
可能性もあります。こうなれば我らは東西を挟まれた形になり、その力は抑えられるでしょう。もっとも……」
そこで正信は一度茶を飲んだ。そして続ける。
「やはり一番可能性が高いのは、我ら徳川を三河より引き剥がす、という事ではありませぬか。我らの力を削いでしまえば、関白様に憂いは無くなりましょう」
家康は面白くなさそうにその意見を聞いている。
「ではどうするのだ」
「……しばし、この正信に猶予を。むしろこの席を好機として、仕掛けるのもありかと存じますゆえ」
深々と頭を下げる正信に、家康も頷いた。
「どうなるかは、当日になってみねばわからぬ。が、各々気を抜くでないぞ。正信、半蔵にも連絡をつけておけ」
そう言って家康は下がって行った。
その数日後、五月の上旬。
秀吉より正式に家康、忠勝への招待が届く。
小田原会談の場となったのは秀次本陣横に作られた茶室である。




