風魔小太郎
小田原城を囲む秀吉軍の作った包囲網の中にある、秀次の屋敷。元は名のある武家の家だったのだろうが、今は秀次が多少の改装を加えて自分の本陣としている。
その広間にて、秀次は風魔小太郎と対面していた。
(でけぇな。マジで身長二mくらいあるんじゃないか?)
秀次の前に座る大男、風魔小太郎を見た秀次の感想である。風魔小太郎は供の者二人を背後に、秀次に正対していた。
「さて、風魔小太郎。俺に仕えてくれる気はあるか?」
「……お聞きしてよろしいですかな?」
小太郎は羽柴秀次と言う男を見ながら言った。
(若い……二十歳程度と聞いていたが、顔だちのせいか幼く見える。東海一の弓取りと呼ばれた徳川家康を破った男には見えぬが……影、か? いやそれにしては妙だ。こうまで明け透けな態度を取れる影などいるものか?)
思考を巡らせながら、小太郎は秀次に質問する。
「我ら風魔に一万五千石、との事ですが、正気ですかな? 我らは忍。日陰者ですぞ?」
あえて自らを蔑むような言葉を吐いて相手の反応を見る。表情と言葉で嘘はつけても、忍の前では身体は嘘をつけない。
小太郎はあくまで自然体に語りかけているが、その実、全身の神経を目の前の男に集中していた。
「俺にとっては、忍の持つ技術も侍の持つ技術も等価値だがなぁ。戦にも外交にも経済にも情報がないと戦えないだろ? その情報を集めるには忍が一番だ。そう思わないか?」
秀次は自分の考えをそのまま語っただけだが、小太郎は少なからず衝撃を受けていた。
情報こそ、要。正しい情報に基づいて正しい分析を行う事、それこそが最も重要な事だとする風魔の教えと合致している。
(北条氏政が我らの訴えを正しく取り上げていれば、秀吉の力を侮らなければ、北条はこのような無様な日を迎えてはいなかったろうな)
「忍を使う道を知っておられる。北条に貴方様がおられれば、我らを無為に過ごさせる事はなかったでしょうに……しかし、忍の者が大封をもてば反発を買うのではありませぬか? 我らは足軽以下の扱いの者ですぞ?」
小太郎は衝撃を悟られぬように話を続けた。目の前の男が影でない確証はまだ持てないのだ。自分の言葉には里の者全員の明日が掛かっている。性急に答えを出すわけにはいかなかった。
「気にするな。有能な奴に、技量を発揮するだけの条件を整えてやるのが俺の仕事だからな。それに、反発って言うなら、俺なんて農民の子だが?」
秀次が不思議そうに言った言葉、それに何の嘘も含まれていなかった事に小太郎は気づいた。
(本心から我らの技を欲しておられるようだ。それはわかった。だが、我も風魔の頭領。そう簡単に決断する事はできん)
小太郎はさらに言葉を続ける。
「……我ら、風魔の者は北条では敵の背後で焼働きをする夜盗崩れ程度の扱いでした。それをあなたは、一万五千石と言う高禄で養うと仰られる……」
迷う。
小太郎は確かに迷っていた。
だから途中で一度言葉を切ったのだが、秀次はすぐに答えてきた。
「おう、俺の直轄地は余りまくってるからな! ほんとは全部人任せにしたいとこだが、それをやろうとすると筆頭家老に怒られる。ま、だから石高は気にしなくていい。俺の直轄地からどっか割譲するだけだ。あ、そうそう、俺の家臣になってくれるなら、家名を変えて貰うぞ。風魔、じゃ領民が怖がるから、風間、って名にしてくれ」
「―――――!!」
(今、家名と言ったか? 我らに? 足軽以下の、夜盗のような扱いの我らに?)
頭は混乱していたが、小太郎は必死に言葉を繋ぐ。
「家……? 我ら風魔に、家名を、頂けると?」
小太郎の背後の供の者、実は里の中でも飛びぬけた腕利きだが、その二人からも動揺が伝わってくる。
「一万石超えるから、大名になるわけだし。あ、関白様に頼んで官位の内諾も貰っといたぞ。従四位下按察使だ。諸国の民情などを巡回視察する官、らしいからいいかなーって」
「官位!! わ、我らに風魔が朝廷の臣と認められると!」
さすがに小太郎も今度ばかりは叫んでいた。
朝廷の官位を持ち出してきた。これは罠などと言う事はまずありえない。ただ我らを罠にかけるだけなら、領地の話だけでよく、朝廷への反逆の危険を冒してまで官位を与えるなどと言う話はする必要はない。
「まあ、大名だし」
小太郎はここに至って理解した。
このお人こそ、我らが求め続けた主君。
我らが忍と言うだけで蔑まれてきた、その歴史を変えるお人。
「我、風魔小太郎、いや、風魔忍軍の全て、秀次様に永久の忠誠を!」
それは風魔小太郎という一人の男の、そして風魔忍軍頭領としての魂からの言葉。
(この秀次様こそ、我らがその全てを捧げるべきお方なのだ!)
小太郎の背後の二人も肩を震わせながら平服している。必死に嗚咽を我慢しているのだろう。
「我らの力、存分にお使いください。これよりは秀次様の配下にて我らは命を賭して働く所存であります」
そう言って深く頭を下げる。
その表情は晴れやかだった。
「そっか、良かった。よろしくな、小太郎」
北条の抱える忍集団、風魔忍軍。
それが秀次についた瞬間であった。
「風魔忍軍を調略。風魔小太郎を風間小太郎として家臣に加えましてございます」
秀次から届いた書状を見た秀吉は大笑いした。
「あの甥はやる事が突拍子もなくて面白い! 北条の忍を頭領ごと寝返らせたとはな!これで北条はいよいよ追い詰められたぞ。我らの糧食を焼くなどの汚れ仕事をやる者がごっそり抜けたのだからな。いや、風魔なら小田原城の構造や食糧庫、武器庫などの位置も把握しておるな。ふっふっふ、氏直め、今頃顔を青くしているだろうて……」
もう少し対陣が長引くかと思っておったが、意外に早く片付く可能性も出てきたのう、などと側仕えの者たちに楽しそうに語る秀吉。さっそく手柄を褒める書状と小田原城の精巧な図を秀次に求めた。
そしてそれは直に届けられた。それを秀吉は他の諸将にも配り、もはや小田原は丸裸よ、いよいよ北条も終わりだ、と上機嫌に語った。
この時代の忍は待遇が悪い。
武士とは比べ物にならず、足軽以下の扱いを受ける者がほとんどであった。
それが突然、大名になり官位まで宣下された。
彼ら忍にしてみれば、人以下だった存在から一気に主人が大名となり自分達も武士階級として認められた。
風魔はこの先、「秀次のためならば敵陣に潜入して中で爆死する」と言われるほどの狂信的な忠誠を秀次に捧げていく。




