小田原城
秀次の「昼までに落とせ」との命に舞兵庫、立花宗茂は見事に答えて見せた。凄まじいばかりの攻撃を仕掛ける秀次勢。負けじと家康の手勢も大攻勢をかける。
秀次は秀吉から軍資金としてかなりの資金を貰っており、ここで気前よく恩賞を約束した。
どうせ他人の金、とばかりに「一番乗りに天正大判十枚、一番槍にも同じく十枚、松田康長の首に三十枚、間宮康俊の首に十枚」といったところである。
天正大判は秀吉が作ったかなり大振りな大判である。十枚といえば一兵卒には眼も眩むほどの大金である。
突撃合図と共に、まずは山中城の出城である岱崎を襲撃。後ろから見ていた榊原康政が「ただ河が流れるが如し」と評したほどの突撃であった。
岱崎の城主、間宮康俊は懸命に防いだが元々兵力がまるで違う。一刻もしないうちに岱崎はぼろぼろになった。
間宮康俊は最後に武士の意地、敵に突入して討ち死にせんと決意したが、その前に金に目が眩んだ足軽数十人が雪崩込んで来て討ち死にしてしまった。
岱崎を落としている間、家康率いる徳川旗本部隊と秀次率いる羽柴旗本部隊が山中城に延々と射撃を繰り返していた。
尾張で生産された一万近い鉄砲を持ち込んできた秀次は、部隊を六段構えにわけ、間断なく城に向かって射撃させていた。
このため、岱崎に山中城からの援軍は出せず、一部の部隊がそれでもなお射撃の雨の中を岱崎に向かおうとしたが、家康旗本に軽く蹴散らされた。
岱崎で間宮康俊が討ち取られた後、兵たちはこぞって山中城へ殺到する。
一番乗りを果たしたのは秀吉の配下で先鋒に加わっている上田佐太郎と言う武士であった。
松田康長を討ち取ったのは、なんと平野長泰であった。
秀次ですら「え、あいついたの?」と呟いてしまったが。
こうして、戦意十分な兵を抜群の用兵で生かした舞兵庫と立花宗茂の活躍により、本当に太陽が真上に来る頃には山中城を落としてしまった。
さて、なぜ秀次が山中城を一日で落とす事にしたかと言うと。
(確か史実では山中城を落として小田原まで一気に進軍。小田原城を包囲して相手に余裕を見せ付けるために様々な事を秀吉がやる。その中には大名が妻や側室を呼ぶってのがあったはず!)
稲姫を早く呼びたいだけだった。
不純な動機でやる気を見せている秀次だったが、一日で小田原城への最短ルートを確保した事は確かである。
その報が届くと、秀吉本隊も前進。「我が甥は九州での鬱憤を晴らそうとしておるようだ。北条も気の毒な事よ」と上機嫌な秀吉であった。
この本隊は豊臣秀吉を主将として、黒田考高、蒲生氏郷、細川忠興、池田輝政、堀秀政、浅野長政、石田三成、増田長盛、生駒親正、蜂須賀家政、大友吉統、島津久保。
この中で石田三成、増田長盛などは兵站の手配や各将の宿場の分配などを行う奉行職である。
先鋒は先に述べたように羽柴秀次、徳川家康に加えて福島正則、加藤清正、片桐且元、大名ではないが平野長泰。
こちらの奉行職は片桐且元。
別働隊に宇喜多秀家、吉川広家、大谷吉継、長束正家。
水軍に小早川隆景、長宗我部元親、加藤嘉明、九鬼嘉隆、脇坂安治。
北方方面部隊に前田利家、上杉景勝、真田昌幸、依田康国。
長束正家が奉行職として秀吉より遣わされている、
なお、小早川隆景は秀次より貸し出された「津島丸」に乗船しており、人一倍張り切っていた。
興味津々だった九鬼嘉隆も同乗していたが……。
宇喜田秀家率いる別働隊は、秀次が山中城を攻撃した次の日、韮山城を攻撃したが、寄せ手の十分の一の兵力で韮山城は驚異的な粘りを見せる。
結局、史実通り包囲戦となり、戦線は膠着していた。
小田原に着陣した秀次率いる先鋒部隊。小田原城を見下ろせる小高い丘の上に秀次は舞兵庫、立花宗茂と共に立っていた。
「北条早雲以来、栄光の時を刻んできた小田原よ! 私は帰ってきた!」
「来た事があるのですか、秀次様」
「ない。言ってみたかっただけだ。気にするな、宗茂」
「……いちいち気にしませんが。山中城からここ小田原まで、ろくな抵抗もありませんでしたな」
「うむ、まあ小田原城の防御に絶対の自信があるんだろ。ほとんどの兵をここに集めてるんだろうよ」
実際、山中城を抜いた別働隊は抵抗らしい抵抗もなく小田原城に辿り着いた。山中城が一日で落ちた事によって防衛線の構築が間に合わなくなった事もあるが、北条は天下一の堅城と名高い小田原城に籠って抗戦する事を優先したようである。
小田原城を見下ろしながら舞兵庫が口を開いた。
「ここで籠城し、戦の潮目が変わるのを待つ、と言ったところですか」
「大方、そんなとこだろ。兵糧切れとか狙ってるのかもな。最も、海路で兵糧は山ほど運んでこれるから意味はないが、ね」
「関白様は二十万石分ほども買い占められたとか?」
「主に俺の領地の尾張、美濃からな。おかげで金は大量に入ったけど……関白様は全国の金山、銀山を抑えてるからな。俺の領地にはないけど」
「尾張、美濃は元より実りの良い地です。領内での商人達の活動も活発なので問題ないのでは?」
実際、秀次の領内では津島を中心に経済活動が活発であり、領地経営はうまくいっている。
「徳政令禁止が効きましたな。今や京、堺の豪商が津島に店を構えております。此度の遠征に必要な弾薬なども融通してくれたとか」
「関東を平定したらまた商売の機会が広がるから、先行投資だな。俺に恩を売っておいて関東に進出する足掛かりにするつもりだろ」
そんな事を話していると、小田原城を見下ろしている立花宗茂が言った。
「しかし、見れば見るほど堅牢な城ですな。これは力押しは無理ですな」
「やっぱそうか」
「力押しでは損害はかなりのものになりましょう。攻め落とせぬ、とは申しませぬが被害甚大となれば割に合うかといわれると、さすがに正面からの短期での攻略は諦めるべきかと」
「ま、そうだろうな。力押しなんて関白様も考えてないだろうから、しばらく俺たちの出番もないよ。兵の士気が緩まないように気を付けてくれ」
「御意。さて北条は何を考えていますかな……」
呟くように言った立花宗茂に秀次が答える。
「いくつかの要因があってまだ動揺もないんだろ。小田原城の伝説的な堅牢さ、奥州の伊達がまだ動いていない事、大軍ゆえの糧食の消費の早さとか、まだ北条に有利に見える状況もある」
「奥州の伊達も含めて、希望的な観測にすぎませぬな。さ、そろそろ降りましょう」
三人は小田原城を見下ろしていた丘から降りて行った。
三月二十一日。秀吉が本隊を率いて小田原に到着する。
本陣を早雲寺に置き、小田原城包囲網が敷かれた。
そして、秀次が秀吉に呼び出された。




