関東へ
北条氏直は落胆していた。とりなしを頼んだ家康からは「督姫離縁」の返事が来ただけである。
氏直が名胡桃城を攻めさせたわけではなかった。
一族の主戦派であった北条氏邦が独断で部下に攻め込ませたのだ。秀吉との和議が進んでいたが、この和議を壊すには沼田を攻めればいい。
それだけで秀吉の面目は潰れ、なし崩しに戦となる。
事ここに到ってはしかたなし、と氏直も覚悟を決めた。
彼も戦国大名である。名も惜しかった。
秀吉は先鋒として羽柴秀次を総大将とする部隊を派遣する事を決定。
自らは後に本隊を率いて小田原へ向かうとした。
「小田原か。面倒だなぁ、遠いし」
「あまり動かないでください、危ないですよ」
秀次は大坂の屋敷で稲姫の膝枕でごろごろしていた。
「耳掃除しているのですから、少しじっとしていてください」
「ん~」
言われたとおりに眼を閉じてじっとしている秀次。
「小田原ねぇ。義父と一緒に先鋒か」
「家康様もいかれるのですか?」
「そ。俺と家康殿が先鋒、別働隊は宇喜多秀家が率いる事になっている。あと、毛利の水軍と九鬼水軍、北方から攻めるのが上杉、前田、真田だな。えーと、総勢でたぶん二十三万くらいの数になると思う」
「まあ、すごい数ですね。関東武者は恐ろしいと聞きます。くれぐれもお気をつけてください、旦那様」
「家康殿がいるから楽勝だと思うけどね。俺、別にやる事ないかも」
あまりやる気を見せない秀次だが、稲姫はそんな秀次に微笑む。
戦国武将らしからぬこの青年と結婚してはや二年。稲姫はこの穏やかな旦那様にすっかり惚れていた。
「ふふ、父にも稲は元気に、とても幸せに暮らしております、とお伝えください」
「うん、忠勝殿にも伝えとくよ。でもしばらく会えないから……」
耳掃除が終わった秀次はくるりと体を反転させて、そのまま稲姫に覆いかぶさった。
「きゃっ! 旦那様……まだ外が明るいですのに」
「しばらく会えなくなるから、稲の温もりを覚えておかないとな!」
「もう……」
結婚して二年、いまだに新婚気分でいちゃつく二人であった。
明けて天正十八年、二月。
徳川家康率いる三万と秀次率いる三万三千が駿河の長久保城に集結。
毛利、九鬼の水軍一万も既に関東へと展開を始めており、北方方面軍の上杉、前田に真田も動き出していた。
宇喜多秀家率いる別働隊も出立。秀吉率いる本隊も着々と出陣準備を整えている。
秀次は毛利水軍に建造したガレオン船「津島丸」を貸している。速度が速く大量の荷を運べる津島丸は兵站を支えると同時に、小田原の海から威圧を加えるに十分な威容を誇っていた。
そして、秀次は豊臣丸建造と同時にもう一隻、ガレオン船を造らせていた。
一度完成させているので、工房の人数を増やして同時に二隻造れるようになっていたのだ。
もう一隻のガレオン船は、ある目的を持って小田原征伐中に関東へと向かう事になる。
北条側の防衛線の最前線に二つの城がある。
山中城と韮山城である。
ここである程度秀吉の兵を食い止め、出血を強いる。その間に小田原までの道程に複数の砦を構えて最終的には小田原城へと敵を誘引しこれを破る、というのが彼らの戦略であった。
秀吉側の兵の動きが思ったよりも早かったため、まず山中城と韮山城で敵を食い止めて時間を稼ぐ必要があったのだ。
これを察知している秀吉側は山中城に羽柴秀次を韮山城に、宇喜多秀家を差し向けた。
山中城の近くに布陣した秀次は配下の将に言った。
「まずは山中城だ。あれを一日で抜く」
これには秀次配下の将も驚いた。
「一日で、ですか。また無茶を言われますな」
「兵庫、無茶じゃないぞ。明日の払暁より攻めて昼には落とす」
「いつになく気合十分ですな、秀次様」
「宗茂、俺はいつでも気合十分だ。大体こっちの兵力は圧倒的なんだ。囲んでからじっくり城攻めなんてやる必要はない。相手に時間を与えない事が肝心だ。
拙速を尊ぶべし。北条に圧力をかけるためにも、ここは無理押しでもなんでも踏み潰す」
この言葉に舞兵庫、立花宗茂の両将は顔を見合わせたが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「まあ、秀次様がそこまでおっしゃるなら……」
「半日で落として見せましょう……」
(頼りになる奴らだなぁ)
いつも通り、戦は人任せで丸投げの秀次であった。




