初夜と思惑
聚楽第での盛大な催しから一月後、秀次の祝言が挙げられる。
花婿は羽柴秀次。花嫁は小松姫。徳川家康の養女である。
秀次十九歳、小松姫十四歳であった。
参列者は秀次の養父であり後見人でもある叔父、豊臣秀吉。同じく叔父である豊臣秀長。
さらに養母たる寧々、秀吉の妹である旭姫、秀吉の母の大政所。
秀次の重臣からは田中吉政、舞兵庫、立花宗茂、宮部継潤、三好康永。
花嫁側からは養父である徳川家康、実の父である本多忠勝、婚礼の儀に骨を折った井伊直政、重臣である本多正信。
さらに公家衆や皇族の参列まであり、派手好きな秀吉が、式が大いに盛り上がるように金と時間をかけて用意された華燭の典であった。
(はっはっは。結婚しちまった。小松姫と……本多忠勝の娘ですよ。相手十四歳って、俺はロリコンかっつーの! 現代じゃありえんなぁ。
しかし、美人っつーか美少女っつーか。現代日本に居たらいけないオジサンに狙われそうなくらい美少女だ。親がやばいくらい怖いけど。
それにしてもこの時代の武家の婚礼は長い! 丸二日がかりだぞ! ほとんど座りっぱなし! 途中で逃げ出そうかと思ったわ! 花嫁の義父と実父が来ているからそんなこと出来ないけどな! ようやく終わったと思ったら、そのまま初夜ですよ! いやまあ、この時代なら十四で子供いる人もいたわけだし、いいんだろうけど……。
とりあえず、沈黙に耐えられないから何か喋ろう)
寝室に敷かれた布団の上に、秀次と小松姫は向かい合って座っている。
「疲れた?」
できるだけ優しい声をかける秀次。
「いいえ、私は大丈夫です」
小松姫が答えたが、それっきり二人は黙り込んでしまった。
(世のイケメンたちはこんなときにどんな話してんだ? 精一杯の勇気を振り絞っていった一言で会話終わるとか、俺どんだけなんだ……)
それでもいつまでも黙っているわけにはいかない。秀次は気の利いたセリフも出てこなかったので普段通りの口調で小松姫に語りかけた。
「え~と、まあ、これからよろしくな、姫さん」
花嫁、小松姫は自分の夫となった人物を興味深く観察していた。
尊敬する父曰く、三方ヶ原以来初めて徳川に野戦で傷をつけた男。その武才は計り知れないと言う。
家康様曰く、飄々としているがその器量の底が知れないと言う。
九州征伐では家康様の言をほぼ無条件で取り入れ、全ての戦に完勝した。
「おそらく、秀次公なら自分の配下の将のみで勝てただろう。私に采を取らせたのは、我が武門の名誉を立てさせてくれただけのこと。それだけの余裕があり、また彼は恐ろしく冷静に戦況を見つめていた。彼の人は人を知る。名将を名将たらせるために何が必要かを知っている。我らと小早川、他の大名にまで下知できるほどの権限を与えておいて、自らは超然としていた。我らがその気になれば九州で秀次公を討つことは可能だったかもしれん。そんな事をすれば徳川も小早川も破滅する事を、彼は知りぬいた上で我らに采をまかせたのだ……」
家康様がこれほど恐れる将は武田信玄以来やも知れぬ、と父は言っていた。
この地に来る前に様々な話を聞いたが、民を慈しみ領内の領民から神の如く崇められる領主。
部下を信頼し、年上の部下をも問題なく使いこなす人使いの天才。
先見性を持ち、新たな戦略をも生み出す戦争の達人。
しかし、今目の前にいる何やら困った顔をしてこちらを見ている若者とはどれも結びつかないような気がする。
「秀次様、ふつつかものですが、これから末永くよろしくお願い致します」
そう言って布団に頭をつける。これから初夜、というのが妙に生々しく感じられた。
「あ、うん。仲良くしような。よろしく、姫さん」
少し照れながら笑う秀次様は歳よりも若く見えた。
そしてゆっくりと私を抱きしめてくれる。
優しそうな人でよかった。この人となら夫婦としてやっていけそうだ。
秀次と小松姫が初夜を迎えている頃。
小松姫の義父、徳川家康の部屋には今回の婚礼に同行した諸将が集まっていた。
「今回の縁談、我らにとっては願ってもない好機である」
家康が低い声で一堂に告げる。
「秀次公は若くして名声を得ている。北政所様(寧々)にも親しく関白様の跡継ぎになられるかもしれん。最も、関白様に実子がいない現状ではだが」
側に控える徳川家の謀臣、本多正信がその後を続ける。
「左様……将来的に秀次公と戦うにせよ、共闘するにせよ、まずは徳川との結びつきを強める事が重要でした。この婚礼、渡りに船でしたな」
「そうだ。我らが京や大坂に出ようとすれば秀次公が障害となろう。が、私は戦で天下を取るつもりはない。大義名分もなく戦など起こしても徳川を危うくするだけよ。今は力を蓄え、諸将との結びつきを強くする必要がある。秀次公と縁戚になったこと、これは僥倖じゃ。この機会、逃してはならぬ」
小松姫の実父、本多忠勝も口を挟んだ。
「娘には何も言っておりませんが、輿入れの際に当家より侍女と側回りがついております。特に側回りの者は念を入れて選別しております」
この言葉に家康は頷くが、まだ満足はしていない。
「相手は秀次公だ。彼の御仁、底の知れぬ部分がある。念には念を入れておく必要がある。彼を徳川家に取り込めれば、我らの天下もあり得る……天下なくとも、天下に最も重き家は徳川、ともなりうるのだ。ここでしくじるような事はあってはならぬ」
家康は本気で秀次を自分の懐へ取り込もうと画策している。
(敵に回すには底が見えぬ。何より器も大きい……関白様も今後何十年も生きられるわけではない。秀次公を取り込むのだ、徳川寄りに。それが我が家の繁栄の元になる)
「相手を取り込むには相手を知らねばならぬ。奥向きの事は侍女達にまかせよう。小松姫と秀次公が仲睦まじく暮らされておれば、奥向きの事はよい。だが、表向きの事だ。小姓や側回りの者たちでは何も掴めぬ。正信、何か存念はないか」
徳川の誇る謀将、本多正信はしばし眼を閉じて考えを巡らせる。
そして、一つの策を思い当った。
「我がほうの武将を客将として貸す、というのはどうでしょう? 古来より嫁入り時に配下を重臣の一人として差し出した例は数多くあります。おかしな事ではありますまい」
ふむ、と家康が一つ頷いて続きを促す。
「送り込んだ将は徳川との戦以外では大いに働いて貰いましょう。手柄を立てればそれだけ取り立てられます。何かとやり易くなるのは間違いないかと」
「名案なり、正信。確かにその手はあるな。されど秀次公はこちらからの将を受け入れてくださるかな」
「そこはおまかせください。この正信、命にかけても口説いて見せましょう」
謀将としての誇りを滲ませて答える本多正信。この答えに家康は満足した。
「されど、誰を送り込むのだ、正信殿」
本田忠勝が問うが、本多正信にもすぐには浮かばなかった。
「万一にも相手に取り込まれぬよう、忠誠厚き者でなければなりませぬな。それに余りに天下に名が響いた者では関白様の不審を招きましょう……」
本田正信の脳裏に幾人もの名が浮かんでは消えていく。
(武骨な武辺一辺倒の三河者ではだめだ。時には内情を探り、こちらへ密かに連絡するような事もありうる。それだけの器量もいる。酒井、井伊、だめだな。名が知れすぎている。何かあると教えるようなものだ。無用な警戒を招く……わしも忠勝殿も無理じゃな。それこそ秀次殿はともかく、関白様にいらぬ疑いをかけられる)
「なかなかに、人選は難しい事ですな」
「確かに」
正信の言葉に忠勝も頷く。
じっと考えていた家康が口を開いたのはその時であった。
「お主がいけ」
家康が振り返った先にじっと佇んでいた男。
影のように身動き一つしなかった男は短くその命を受けた。
「御意」
男の名は服部半蔵。家康が持つ忍の集団、伊賀者たちを統率する者。
忍の長にして、武将としても一線級の力を持っている。
その忠誠心は家康に向けられている事は明らかだったが、小松姫との初夜を思い出して本多正信の言上をほとんど聞いていなかった秀次はあっさり丸め込まれた。
かくて、服部半蔵が秀次の配下に加えられる事になった。




