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賤ヶ岳の章


初めて秀吉に会ってから、何年たったのか。

人誑しの天才、日本史上最も成り上がった男、どうみても猿。

実はイケメンだった、猿顔よりは鼠顔だったなどということはまったく無かった。


愛嬌のある笑顔がよく似合う小男。

ここまで戦国武将らしくない男も珍しいだろう。

誰からも警戒感を抱かれない、そんな天性の陽気さがある。


史実で天下人だと知らなかったら、おそらく調子のいいおっさんくらいしか思えなかっただろう。



その秀吉に宮部継潤に養子に出された。

養子と言っても、調略のための人質である。

当時信長と対立していた浅井長政の攻略のため、配下の有力武将である宮部継潤を調略した際、

養子という形を取って人質として送り込まれたのだ。

但し、人質を殺すことはすなわち秀吉との決別、つまり織田家との対立を意味する。

史実でそんなことはなかったので、安心して宮部継潤の元に行って暮らしていた。

関白になるまでは死なないしな!


その後は三好康長に養子に出されるわけだが。

天正十年、史実通りに日本史上で三本の指に入るイベント、本能寺の変が起こる。

そして、中国から神速の行軍で帰ってきた秀吉が明智を討ち、清洲会議で主導権を握り。

柴田勝家との間は決定的に悪くなった。

この間、俺はずっと阿波にいたので中国大返しや、その後の天王山には参加していない。

実際にその時代に立ち会ってみると分かる。柴田か羽柴か。どちらが織田の版図を継いで天下を狙うのか。

これは避けられない、必然の戦いなのだ。自分こそが天下を担う男であると示すため。



でも阿波で三好孫七郎としてそれなりに気楽に暮らしていた俺まで呼び戻さないでくれ。


そりゃあさ! 秀吉には親族が少ないのは知ってるけど! それはあんたに子供がいないからだろうが!

秀長さん(超いい人だった)がいるからいいじゃん! 微妙に親族と言えんこともない程度の福島とか加藤とかもいるだろうに!

俺まで呼ばなくても!


愚痴ってもしょうがない。ここはマジで戦場。

本陣にいるのでまず命の危険はないと思うが、どうなんだろう?


まあ、別に俺は大名じゃないので、部隊を率いているわけじゃない。

後に『賤ヶ岳の七本槍』とか言われることになる奴らと秀吉の側周りとしてうろちょろしてるだけだ。

福島正則、加藤清正、加藤嘉明、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、糟屋武則。

後半ほど地味な印象だ。

史実ではこいつらが活躍したのは追撃戦。相手が崩れてからの最後の一押しだったという。

先陣として戦った記録のある石田三成や大谷吉継より、こいつらといるほうが安全だろう。たぶん。

しかし七人とも血気盛んで今にも突撃してしまいそうだ。

加藤清正とか治水や築城にも功績のあった奴だから、もうちょっと落ち着いているかと思った。

秀吉の側にいても槍働きしか考えていないので、必然的に俺に事務的な仕事がまわってくる。

秀長さんを手伝いながら、兵糧の数を数えて分配したり荷駄隊の整理をしたり、結構忙しい。

七本槍は何もしねーし。

福島正則は酒食らいながら眼を血走らせている。

加藤清正は手柄は俺が全て頂くわ、と息巻いている。

加藤嘉明は地味なほうの加藤だからどうでもいいな。

脇坂安治は貂の皮を持ってた。ちょっと感動した。

平野長泰と糟屋武則は顔まで地味だ。

片桐且元は史実だと大坂の陣の前に豊臣と徳川の板挟みになって苦労する人だから今から同情しておいてやろう。


せめて元養父の宮部継潤でもいれば俺の立場ももうちょっと良かったかもしれんが、あいにく元養父は山陰だ。

毛利氏対策の一人として出張っているので、ここにはいない。

ちなみに秀吉は現在、長浜城に帰っている。

伊勢の滝川一益と賤ヶ岳で睨みあってる柴田勝家、その双方に備えるためである。

史実だとそろそろ織田信孝が挙兵、美濃戦線が追加され、さらに忙しくなる。

そして美濃戦線へと主力を率いて出向いた秀吉が、中入りしてきた佐久間盛政の軍勢に襲い掛かるわけだ。

現場にいると秀吉の美濃出兵が囮だったことがわかる。

短時間で戻るための用意、沿道に食料の補給地点を作っていたり、あらかじめ使用する街道を整備していたりするからだ。

それでもかなり綱渡りの策だろう。

もし佐久間盛政がある程度の戦果に満足して引き上げていたら?

いたずらに大兵力を移動して相手に振り回されただけ、との印象を味方に与えかねない。

もし佐久間盛政の戦果に乗じて柴田勝家が一気に押し出して来ていたら?

勝負はどっちに転んだかわからない。史実での前田の撤退もなかったかも知れない。

この策は相手の兵力の一部を誘い込み、敵の重厚な陣に穴を開けることが目的である。

だからこその周到な用意なんだが・・・。

危険な賭けでもある。だから秀長さんも本陣を預かっている身だが、緊張が見える。

一歩間違えば、この本陣まで敵が雪崩れ込んでくる可能性もある。

そうなれば、総崩れだろう。

そりゃあ、緊張するわな。




勝つんだけどね。秀吉の読みどおり。

調略の天才、人の心を取る天才だが、秀吉は戦争の天才でもある。

そのことがこの戦いで証明されるわけだ。




6月。

中川清秀が守る大岩山砦が陥落。中川清秀は討死した。

高山右近も攻められて本陣に逃げ帰ってきた。


そして秀吉の美濃大返しが始まるのである。


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― 新着の感想 ―
Arcadiaでも見てたー。懐かしい!すごい名作
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