立花宗茂
九州征伐の事後処理も秀吉本隊と秀次の別働隊が大坂へと戻る道についてから、一月ほどで終わる事となる。
秀吉は降伏した秋月、島津を集め、国割りを発表していく。
まず、救援目的であった大友宗麟は豊後が安堵される。秋月は日向に移封。島津には薩摩、大隅が残された。
この時、大友宗麟は中央への政治的な結びつきを保つために、秀吉にある懇願を行っていた。
「宗麟、お主は本気か?」
秀吉が少し呆れたように尋ねたが、尋ねられたほうは至極真面目であった。
「はっ、我が重臣のうち、立花宗茂を秀吉様の直参として頂きたく存じます」
「ふむ……」
(大友宗麟が中央に伝手を置いておきたい、というのは分かる。が、実際の問題としてこれは島津や秋月に差をつけるため、か。最近まで島津に九州の端まで追い詰められていたのだ。それを考えると誰が背後にいるのか、それをはっきりさせたいと言う事か)
正確に大友宗麟の思考を読む秀吉。
(しかし立花宗茂と言えば大友家一の弓取りではないか)
それが問題である。立花家と言えば亡き立花道雪は西国一と言われた武将。養子である立花宗茂も父と協力して島津の攻撃を押し留めていた、隠れもなき名将である。
(確かに豊臣直参、ともなれば家格で主家を上回ってしまうがこれ以上の繋ぎはないとみたか? だが、直参の連中は若く、今回も手柄を立てたのはほんの僅か。ここにいきなり立花、というのは……それにその忠誠が誰に向けられておるのかが定かではない者は直参には入れられん……おお、そうじゃ!)
そこまで考えて、秀吉は人懐っこい笑みを浮かべて大友宗麟に向き直った。
「宗麟、お主の忠義、真に嬉しく思う。しかし、わしの直参は小姓や親戚連中の集まりのようなもの。世に聞こえた立花宗茂が与えられる場所ではない」
「それでは、お聞き届けいただけませぬか?」
落胆する大友宗麟に秀吉は笑いながら告げた。
「今回、別働隊を指揮した我が甥、秀次の下で家老と言うはどうじゃ? あれはなかなかおもしろき男での。仕えるには良き主君となろうぞ」
この言葉に大友宗麟は頭を回転させた。
(豊臣直参はかなわぬか、しかし別働隊を指揮し実質的な後継者といえる秀次様の家老となれば、秀吉様の直参より息は長いかもしれぬ)
「わかりました。立花宗茂、秀次様の家老へとご推薦のほどをお願い致します」
かくして、秀次の知らぬところで立花宗茂が家老として派遣される事が決まった。
尾張の清洲城に帰った秀次は新たな家臣となった立花宗茂を謁見していた。
「立花宗茂にござる。以後、お見知りおきを」
(……なんで立花宗茂? 九州から動きたくないから秀吉の配下になるのを断ったとか言う逸話なかったか? てか立花道雪の義理の息子だぞ。嫁さんが美人で勝気と有名なあの西国の傑物だぞ。あれか、大友義統がなんかヘマしたら俺が庇う事になるのか? 面倒事だけが増えていくような……しかし、秀吉が俺に立花宗茂をつけるとは、俺の陣営の強化も目論んでるよな、これ。朝鮮出兵とかでお前が総大将とか言われたら絶対に断るぞ、俺。あんなもん、誰が行くか)
色々と混乱はしていたが、秀吉が決めた事なので立花宗茂は秀次の家老として迎えられた。知行は舞兵庫と同じ十万石。
むしろこいつに百万石与えて俺は半隠居でいいんじゃね? と言ったら筆頭家老の田中吉政に蹴り食らったのだが。
秀吉と大友宗麟の思惑はあったが、舞兵庫と立花宗茂と言う軍略の傑物が秀次陣営に揃った事は確かであった。
立花宗茂は秀次と言う人間を計りかねていた。
若くして大領の主になっているが、決して秀吉様の身贔屓だけではないと言う。
事実、長久手の戦いでは徳川家康を撤退に追い込んでいるのだ。
尋常な男ではない。
その上、諸大名からその人柄を慕われ、秀吉様に陳情するより秀次様に陳情する者のほうが多いほどだと聞く。
秀吉様からの信頼も絶大なものがあり、病気がちな秀長様に代わって豊臣家の中核を担っている。
彼の領地に来てその斬新な政策にも驚いたが、彼の言動にも驚いた。
いきなり百万石与えると言われた時は場をほぐす冗談かと思ったが……。
後で筆頭家老の田中吉政殿に聞くと「あれは本気だったんでしょう。秀次様は能力のある人間には惜しみなく与えます。その分、働かされますが」と言っていた。
それが彼のやり方なのだろう。家柄やそれまでの経歴を問わず、能力のあるものにはそれなりの仕事場所を。暢気そうな顔をしているが、これはなかなか大物やも知れん。
家中にもおもしろい者が多い。あの舞兵庫と言う戦術家、語るのが楽しみなほどの才を感じる。
他にも馬を並べて戦うのが楽しみな者が多い。これはひょっとして大友家よりおもしろいかも知れんな。
一度、秀次様とゆっくり話してみたいものだ・・・。




