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論功行賞

秀吉より小牧・長久手の戦いから四国征伐までの間の論功行賞が行われる。

この時代、主君から家臣へと授けられる褒美は主に三種類である。


まず何よりも土地、つまり領地。石高として目に見える報酬であるが、単純に石高だけでは測れない事もある。

石高は増えても重要な地、京を中心とした中央より遠ざけられたりする場合もあり一概には言えないが、ほとんどの場合、石高が多いほど厚遇されている事になる。


そして次が報奨(ほうしょう)金。つまり金や銀などである。これは分かりやすい報酬であり、主に大名級ではない者の個人的な手柄に対して与えられる事が多い。


そして最後は物、つまり茶器や名刀など、所有しているだけでも価値がある物。これらが論功行賞によって配下の者に振り分けられる。

今回の論功行賞は小牧・長久手から四国征伐までの長い期間のものであり、各々期待を持っていた。

「皆の者、大義であった。四国も落ち着き、来年には九州へと出陣する。さらに励むがよい」

そう口火を切った秀吉から論功行賞が発表されていく。


ちなみにこの論功行賞前、秀吉は朝廷より関白位を授けられている。


秀次は歴史を学ぶ上で秀吉は征夷大将軍を望んでなれなかった、もとから征夷大将軍を望んでおらず、朝廷を背景にした政治を行うために最初から関白を望んだ、などの説は知っていたが、どうやら秀吉は最初から征夷大将軍を望んでおらず、関白位を求めたことに少し驚いていた。


(信長が滅ぼした幕府、あれを見ているからかな? 征夷大将軍って言ってもつい最近踏み潰されて京から叩き出された存在、武家の頂点としての仕事すら出来なくなっていたのを見ているからか?)


そんな事を考えているうちに論功行賞が始まった。

まずは羽柴秀長。長年、秀吉を支えた弟であり四国征伐の総大将を務めた事、当然のことながらその恩賞も大きい。


「秀長には紀伊、和泉、大和を与える。また、官位を従三位権中納言とする」


京周辺三カ国、百万石を超える石高以上にその地理的にも重要な場所を任せた事となる。

これは秀長の立場を考えれば当然であり、特に驚きがあったわけではなかった。


次に発表されたのが羽柴秀次。秀吉の甥であり、長久手の戦いで東海の覇王と呼ばれた徳川家康を撤退させ、織田信雄を壊乱させた事、その後の雑賀攻め、根来の懐柔、四国征伐時の後方支援を行ってきた事などが秀吉の口から語られた。

この時、秀次は史実通りなら近江か~と暢気に構えていた。

しかし秀吉の口から発せられた恩賞で思わず吹き出しそうになってしまう。


「秀次には尾張、美濃、伊勢、伊賀を与える。官位は従四位下右近兵衛少将とする」


「は、はっ!」

思わず何かの間違いじゃないですか? と聞き返そうとしてしまった秀次は慌てて平服した。

驚いていたのは秀次だけであり、他の諸侯は多少過分な恩賞だが秀吉様の甥という事を考えればこれくらいは当然であろう、とさして驚きはなかった。

秀次が考えるより秀次がなした功績は大きい。秀吉にとって、家中で重きを置き政権の中枢を担うには若く、長久手での声望があり他の武将との仲も良好な秀次により大きな権限を与えるのは当然といえた。

(なんかめっちゃ出世したぞおい! 尾張と美濃、それに伊勢と伊賀って何万石だ? 秀長さんより石高だけなら上じゃねーか! 官位も無官からいきなり右近兵衛少将って! 朝廷を抑えているのは分かるけど、いろいろ飛ばしすぎじゃね!? いや、それに尾張ってあんたの故郷でもあるし、織田信長の根拠地だった場所だしって俺も尾張出身か。美濃もついてきたけどあそこってかなりの穀倉地帯じゃなかったっけ? 伊勢、伊賀はどういうわけだ? 俺、なんかしたっけ?)

訳が分からず考えも纏まらない秀次を置いて、論功行賞は進む。


四国征伐にて長宗我部より召し上げた三カ国のうち、伊予は小早川隆景に、讃岐は仙石秀久に、阿波は蜂須賀家政に与えられた。

宇喜多秀家には備前一国が与えられ、佐々成政の領地は切り取った上杉景勝、前田利家に約束通り与えられ、残った地は秀吉の直轄地となった。

その他、七本槍の中では福島正則、加藤清正が五千石の加増、他は三千石の加増となった。

秀吉は最も信頼できる弟と甥に大坂から尾張までの、いわば日本の中心地を与え各地の金山、銀山を直轄地として抑えた。その上で織田政権時代から自らの下で戦ってきた仙石秀久、蜂須賀家政などを国持ち大名とし、山内一豊、中村一氏なども数万石の小大名にする事で恩に報いた。

その上で小牧・長久手の戦いの時から明確に味方になっていた前田、上杉に佐々成政の領土を約束通りに与えておき、「このわしは約定をたがわぬぞ」と言うメッセージをこの沙汰に込めている。

事実、恭順した徳川家康は三河のほか、支配していた地域から一片の領土も削られる事なく本領安堵され、長宗我部元親も当初の突き付けた条件通り、土佐を安堵されている。


(こうしておけば今後の九州、さらには遥か東に赴いたとき、約定が守られ本領は安堵されるとなればこちらに転ぶ輩も出てこよう。せいぜい我らは寛大であると見せておく事だ)


「皆の者、先に言うたとおり、次は九州じゃ。大友より救援要請が届いておるゆえ、島津を征伐に行く。各々、準備を怠るでないぞ。九州への征伐はわしが総大将として采を取る。残りの将は近いうちに申し付けるゆえ、そう思うておけ」

居並ぶ将は一斉に頭を下げた。一人、考えがあちこちに飛んでいたために頭を下げるのが遅れかけて慌てて下げた事によって畳にしたたかに鼻をぶつけた者が一人だけいたが……。


論功行賞が終わった後、秀吉は秀長を私室に呼び、話をしていた。

秀次はまだ若くいきなり大きな領地を貰ってしまったために、家臣が足りなくなる事が確定していたため、(宮部の父ちゃんと三好の父ちゃんと……田中吉政、舞兵庫に……可児か? だめだ、あいつに領地経営なんてやる気があるわけない。あああ、人材どっから持ってくるんだよ! 信雄についていた奴らなんて秀吉に攻められている時にほとんど信雄を見限って秀吉について側衆とかになっているし。……いいや、誰かに誰かを紹介してもらおう)

なんかぶつぶつと呟きながら出て行ったので秀吉も何かあるかと思い呼ばなかった。

「秀長、ようやってくれたな。お主に与えた国じゃが、いろいろ面倒事が多い地でもある。なんとかうまく切り盛りしてくれ。まあ、お主の事じゃ、うまくやるとは思うが」

「ご期待に添えるよう、全力を尽くします」

大和国などは昔から寺社が多く、寺社が領地を寺領として保有していた歴史があり、ここ数十年続いた戦国の世で戦国大名に力で奪い取られた、と恨み骨髄の節がある。

平定されたのなら寺領を返せ、などと難癖をつけてくるのは明白であった。よって天下の調停人と呼ばれる調停名人の秀長を国主としたのだ。

「秀次には尾張と美濃、それに伊賀と伊勢をつけた。我が甥であれば十分に三河殿の牽制になる。国力で上回り一度勝っておるからの」

秀吉は上機嫌である。しかし、気がかりな事があった。

「秀長、お主最近は体調が思わしくないと聞いたが……」

「いえ、大事ありませぬ。余計な心配をお掛けしたことをお詫びします」

「こりゃ秀長、ここにはわしとぬしの二人しかおらん。遠慮はいらんぞ……悪いのか?」

秀吉が気になっていること、それは秀長の体調であった。秀長の侍医からは長年の戦塵が溜まり病に対して弱くなっていると報告が来ている。

心底心配そうな秀吉の様子に秀長も折れた。

「兄上には隠せませぬな。左様……最近は時折起き上がるのも苦痛である時があります。また、夜になると咳が止まりません事が多く……」

「それを大事ない、とはいわんな秀長」

秀吉が苦笑する。

「申し訳ありません。ですが、政務に支障が出るほどではございませぬ」

秀長はそう答えるが、秀吉は秀長に無理をさせるべきではないとこの時に決めた。

秀吉にとって秀長と秀次は欠かせぬ両腕である。体調が思わしくないならまずは養生させるべきだと決めた。

「秀長、九州にはわしと秀次で行こう。お主は大和にて養生しながら政務を取り仕切ってくれ」

「兄上、それは……」

「なに、お主は先の四国征伐にて総大将を見事に勤め上げた。これ以上戦場で無理を重ねてお主に倒れられては、わしはどうすればよいのじゃ」

「そのような……」

「今回はまかせよ。なに、先の四国征伐以上の兵にて九州へと発つ。わしが本隊、別働隊を秀次が率いれば問題ない。あれは十分にやれる男ぞ」

「確かに秀次は大軍を率いるに十分な力量を持っておりましょう。長久手の戦いでの武功、それに四国での各方面への手配りといいまず間違いはないかと……わかりました。私は大和にて中央を抑える役ですな」

秀吉は柔らかい笑みを浮かべて頷いた。

「ああ、それともう一つ、相談があったのじゃ」

「相談でございますか?」

「左様、それも秀次の事じゃ。それとなく探らせてみたのじゃが、あやつ、側女の一人もおらんらしい。かつては池田恒興の娘と縁組させようかと思った事もあったが、どうにも池田の娘にやるには惜しい気がして、乗り気になれなんでの。まあ、今にして思えばそれは良かったのじゃが……」

「確かに秀次もいい歳。誰ぞといい縁談を、との仰せでありますな」

「左様、衆道でもしておるのかと思ったがそれもないらしい。わしと違っておなごに対してはなかなかに奥手じゃの」

秀長は思わず「兄上と比べれば誰でも奥手です」と言いそうになったが我慢した。

「しかし秀次もいまや四ヵ国を拝領した大名です。官位も右近兵衛少将……家内の誰ぞ、とはいきますまい」

「それよ。声望も高くわしの甥でもある。下手な者と縁戚になるのもまずい。かといっていつまでも独り身では格好もつくまい。秀次が子をなせば一族の者が増えるのじゃからの」

そう言った秀吉は少し寂しそうに笑った。

(兄者はご自身の子が出来ぬ事に苦しんでおられる……)

秀吉には正妻の寧々の他に大勢の愛人がいたが、誰一人として秀吉の子をなしていない。

(それでも今は秀次がいる。あれだけの器量だ。兄者の肩の荷も少しは下りたか……)

「実は相手として考えている者はおるのはおるのじゃ」

「相手がおるのですか?」

秀長が驚く。てっきり秀次の嫁には誰がいいかを相談されていたと思っていたのだが……。

「うむ、これはまだ本人にも相手にも話しておらぬ。お主にのみ話す事じゃ。秀長、九州が片付いたら秀次に正室をとらせる。その段取りをわしが九州に行く間にやっておいてほしいのじゃ」

「兄上、それは構いませんが、その相手とはどなたの娘です?」

「それはの……」

相手を聞いた秀長は驚愕し、いや、それはどうかと……などと慌てるが秀吉から子細を聞いて納得した。

「分かりました。滞りなく婚儀を行えるように手筈を整えておきましょう。それで、その話は私から彼の御仁へ?」

「いや、やはり話はわしから持っていく。寧々にもな。まあ、全ては九州が片付いてからの事よ。秀長、しっかりと養生せいよ。今は体を治す事が我らの力を保つことに何より必要なことじゃ。有馬に湯治に行け。朝鮮人参なども手配して精をつけよ、良いな」

「痛み入ります、兄上」

こうして秀次の知らないところで婚礼話が勝手に進んでいた。


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