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四国征伐

長久手の戦いから二月。

大坂城、秀吉の私室に秀吉、秀長、秀次が揃っていた。

「これが書状よ」

そう言って秀吉は一枚の書状を秀長、秀次に見せる。

「徳川殿が拝謁に来られる、との事ですな」

淡々と書かれている事のみを述べる秀長。

徳川家康は秀吉の提示した条件、領地安堵と大老として扱うことに同意。

東海の覇王が成り上がりの秀吉に膝を折ったのである。

史実では結婚していた妹を離縁させてから嫁がせ、さらに実母まで人質に出してようやく臣従の形を取った家康だが、小牧・長久手の戦いで自身が撤退に追い込まれた事実が効いていた。

最も、家康は全ての領土を安堵されたわけなので、実質の国力はまったく下がっていない。

家康は今後、秀吉政権下で力をゆっくりと蓄える事になる。

「これで東が片付いたわけですから、次は四国ですか?」

秀次は四国征伐の兵站(へいたん)を担っていた。

既に四国征伐軍の総大将は秀長と決まっている。

「ま、そうなるな。わしは大坂におる。徳川殿は心配なかろうが、信雄の奴がよからぬ事を企むやもしれぬ。が、わしが大坂におれば下手な真似はできまい。予定通り、四国征伐は秀長、そちにまかせるぞ」

「はっ!」

いささか力の入った返答をする秀長。

秀吉の裏方として生きてきた彼にとって、大軍の将となって大きな(いくさ)に望むのは初めてである。

人生初の晴れ舞台と言っていい。感動と失敗できないといった感情が秀長に交錯していたが、その多くは感動だった。

「秀次は四国征伐に当たり、後方を支えよ。何か存念はあるか?」

「そうですね、後方に予備兵力として配するのは前田殿、上杉殿です。福島正則や加藤清正らは秀長様の軍に編成し、手柄を競って貰ったほうがよいかと。

あと、淡路の仙石秀久が窮地に陥っています。福島正則ら七本槍に兵をつけて先行して淡路に援軍として送るというのは?」

「ふむ……仙石も無能ではないが、四国の雄相手ではなかなか難しいじゃろう。よかろう、秀長の本陣が着く前に淡路を取られては手間取る事になる。彼奴らを先に増援として送っておこう。少し兵を増やして送るか」

それを聞いた秀長が意見を出した。

「五千ほどであれば、即座に淡路へと送れます。船はある程度整っておりますゆえ。秀次、兵站に問題はないな?」

「ありません。五千であれば、一月ほど籠城できるだけの糧食を持たせられます」

「そこまで長くはならんよ。一月後には私が淡路に本隊を率いて入っている」

「……問題ないようじゃの。では手筈通り、秀長は淡路から、宇喜多秀家は讃岐から、毛利は伊予からじゃ。ああ、長宗我部には土佐一国だけは安堵する。讃岐、伊予、阿波を落とされれば降伏するじゃろう。土佐には攻め込まぬようにな」

秀吉が長宗我部元親に突き付けた条件、それが「土佐一国のみの保有を認める。他の三国に関しては返上せよ」とのものであった。

それを拒絶し、長宗我部元親は秀吉を迎え撃つべく軍を動員している。その数、四万。

対して秀吉の四国征伐軍の総勢は十万を超える。

四万で三方から攻め来る大軍を相手取る。四国の英雄と言えど、苦しい戦いになるのは明白であった。


秀吉が発した四国征伐軍。

その陣容は総大将に羽柴秀長。副将に羽柴秀次。

秀長は本隊を率いて淡路より渡海し阿波を攻める。その数、三万。

これに元より淡路で長宗我部の牽制に当たっていた仙石秀久の部隊に、増援として先行させた七本槍の部隊が加わり、総数は三万五千となる。

秀次は姫路に本陣を置き、全体の補給線の維持と戦況の把握、大坂との連携役となる。

姫路から讃岐へと渡海する軍勢は二万三千。宇喜多秀家を総大将としているが、実際の戦略、戦術両面で黒田官兵衛が指揮を執っている。

伊予へと渡るのは中国八ヵ国の領主、毛利の軍勢である。小早川隆景を先鋒に、その数三万。

これだけで総勢八万を超えているが、姫路の秀次の下にはさらに二万を超える兵が予備として残されている。さらに言えば残っている予備部隊は前田利家、上杉景勝が率いている精鋭であり、長久手の戦いで勇名を馳せた堀秀正、舞兵庫などを温存しているとも言える。

長宗我部は四万の兵を三方へ振り分けねばならず、それぞれに均等に兵を配したとして一万を少し超える程度。最も戦力が近い讃岐方面ですら倍の兵力を相手にする必要がある。加えて讃岐方面はいつでも予備兵力を渡海させる事が可能である。

長宗我部家の当主、長宗我部元親は阿波の西、四国の境にある白井城にて指揮を執っている。地理的には各方面と連携が可能な地であったが、絶望的なまでに不利な戦を強いられていた。


姫路に本陣を置いている秀次は姫路城の一室で予備部隊の将である前田利家、上杉景勝と茶席を設けていた。

茶を立てるのは古田織部。秀吉の茶道頭、千利休の高弟であり、現在は秀次の茶の師匠である。

最も、師匠と言っても秀次は基礎的な作法を習っただけで、もっぱら古田織部の器作りや新たな茶席の創立の後援者のような立場を取っている。

(うまいよなー、織部さんの茶。この時代にきて最大の発見は抹茶がうまいってことかも知れん)

そんな事を考えながら茶を飲む秀次。

姫路で兵站を維持しつつ、戦況を大坂へと報告する役目の秀次。

とは言え、本人にさほど仕事があるわけではなく、結構暇だった。

(黒田官兵衛が宇喜多秀家についているんだ。何も問題ないだろ。秀長さんは張り切っているし、伊予は小早川隆景だ。つか、長宗我部にとっては完全に罰ゲームだろ、これ)

宇喜多秀家はまだ若い。秀吉の参謀として長く仕えている黒田官兵衛にはそれほど遠慮もないだろうし、素直にその軍略を受け入れるだろう。

しかし前田利家、上杉景勝といえば宇喜多秀家よりも格上である。その戦歴、率いる兵の練度などを見ても宇喜多秀家はどうしても遠慮が入ってしまう。

秀吉がそう判断して秀次の下に残したのだが、万が一、大坂で変事が起こった場合は秀次が両将を率いて大坂に引き返す役目もあった。

最も、秀次は史実で四国征伐が特に滞りなく終わる事を知っていたのでしっかりと暇を持て余していた。

「いや、古田殿の茶はさすがにうまいですな」

豪快に一息で茶を飲んで笑うのは前田利家。

「前田殿も佐々の件ではご苦労をおかけしました」

秀次が頭を下げる。それを見て利家は照れたように頭を掻きながら言った。

「なに、佐々の下から逃げてきた重臣達、これが秀次殿よりの越中切取の命ありましたところ、血眼になって進撃を訴えてきましてな。わしらは兵を貸しただけですわい。後は彼らが自領を確保しようと躍起になって奮戦しておりまして、後方であきれてみておりましたわ」

この言葉に上杉景勝も静かに頷く。こちらも同じだった、と言いたいのだろう。


(ほとんど喋らないんだよ、この人。いつも全身からピリピリした空気放っているし。敵対的な空気じゃないからいいけど、この人から殺気込めた視線向けられたら、俺それだけで失禁するね、間違いなく)


喋らない景勝に代わって、その横で優雅な動作で茶を嗜んでいた青年が口を開いた。

「我らも同じく、佐々より降ってきた者たちが先陣を切って越中へと踏み込んだもので、先へ先へと争うように進むゆえ、宥めるのに苦労したものです」

涼しげな容貌だが、その体躯は一流の武人である事を示すようにがっちりとしている。それでも着物を着こなして茶席で静かに語る彼はどこかの貴種と言われても信じてしまいそうになる。

直江兼続。上杉家の筆頭家老にして、上杉の頭脳。

恐らくは、この時代で五本の指に入る軍略家。


(直江兼続だよ。愛を被って戦った人だよ。いや、あの愛の一文字は愛染明王から来ているのは知っているけど、現代人から見ても斬新すぎるデザインだ、あの兜。さっき見せてもらったけど……)


史実の偉人を目の前にして少々失礼な事を考えている秀次。


(戦国時代なんだよなぁ。今更ながら実感してるな。前田利家、上杉景勝、直江兼続……それに黒田官兵衛、小早川隆景か。今戦っている長宗我部元親も歴史に名を残す英傑だ。それに長久手で戦ったのは徳川家康……やめよう、なんか考えすぎると俺の死亡フラグが乱立してる気しかしない)


とりあえず世間話を続けながら茶を飲む秀次。四国に関しては本当にやる事が大してないのだ。兵站を維持する仕事と言っても実務は家老の田中吉政が大坂にいる石田三成と調整しながら取り仕切っている。

と、そこに田中吉政がやってきた。

「失礼します、秀次様」

「吉政か、なんだ?」

「は。小早川隆景殿より金子元宅を討ち伊予を平定したとの報せにございます」


(史実通りか。そろそろしまいだな)


秀次は史実通りに戦況が推移しているのを見て、そろそろ四国征伐が終わる事を悟った。

「ご苦労。小早川殿にはそのまま土佐の国境いに留まるように連絡を」

秀次がそう指示すると田中吉政は下がって行く。


「やあ、さすがに毛利の誇る知将ですな。これは我々の出番はなさそうですな」

前田利家が豪快に笑うと直江兼続も同意するように微笑した。

その言葉通り、讃岐、伊予、阿波を制された長宗我部元親が断腸の思いで秀吉に降伏したのはそれから一月後の事であった。


長宗我部元親、土佐一国を安堵され秀吉に臣従。

これにより四国は秀吉の物となった。

四国征伐(せいばつ)より戻った諸侯は今、大坂城の大広間に集っていた。


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