小牧・長久手始末
書籍化ですが、5/24発売となりました。
既にamazonで「腕白関白」と検索すれば出てくるようになっています。
興味がおありの方、ぜひとも一度見てみてください。
秀吉軍本陣。
中入り部隊から早馬が駆け込んできた。
「徳川家康率いる部隊と接触、岩崎城前にて戦闘が発生し、森長可殿、池田恒興殿が討死!」
思わず秀吉は腰を浮かせかけた。
森、池田の両将が討たれた、それはつまり大敗したと言う事か?
「その後、森・池田隊の残兵を秀次様の本体が吸収、岩崎城前にて陣を敷く徳川軍との戦となりました!」
「それで、どうなったのじゃ!」
秀吉は急かした。この中入り、もし大敗しようものなら、徳川強し、の印象のみがこの戦で世間に残ってしまう。
それだけではなく、秀吉は家康に敗けた、と評価されればまずい。
家康は簡単には秀吉に臣従しないだろう。四国と九州を早く片付けたいこの時に…!
が、次の報告で秀吉は眼を見開いた。
「秀次様の策により、敵本陣へと精鋭部隊を突入される事に成功! 徳川軍は本陣に乱入された事により、軍を退きました! お味方、大勝利であります!」
おお―!! と周囲から歓声が上がる。
秀吉も胸を撫で下ろしていた。
(ようやった秀次! あやうくこの出兵が無駄になるところじゃったわい。報告に敵の首をあげたとの報告がないと言うことは、家康の軍勢を追い払ったというところか。こちらから追撃をかけるだけの余裕はなかったのか? いや、元々あやつはわしと同じく中入りに反対じゃった。十分な成果を挙げた上で、これ以上敵領で戦う愚を避けたか。なれば、これから小牧山に攻撃をかけても大した戦果はなかろうな……あの狸の事だ、さっさと三河へ兵を退くであろう。信雄に十分に付き合ったのだ。これ以上深入りすれば損害が大きくなりすぎる事くらいわかっておろう。ふむ……ならば)
秀吉は立ち上がると周囲の者に明るい笑顔で言った。
「どうやら我が甥は徳川殿を退けることに成功したようじゃ。小牧山の陣にはほとんど兵は残っていまいが、戦の勝敗をつけるためにも、今日中に小牧山を占拠せよ。その後、秀次が戻ってから、わしは尾張へと兵を動かす」
「殿、尾張とは?」
秀吉の周囲にいる小姓が問いかけると、秀吉はことさらに鎮痛な表情を作った。むろん、演技であるが。
「信雄めがこの戦を起こした。確かに信雄は織田の嫡子、しかし織田家の当主は三法師君じゃ。それは清洲での合議にて決まったこと。それを不服として、旧来より織田家と同盟状態であった徳川殿を味方につけ、三法師君に歯向かった。徳川殿は義理厚き人ゆえ、断ることはできなんじゃ。その徳川殿が三河へ戻られた今、信雄めは孤立しておる。ゆえに、尾張に侵攻し、信雄を掣肘する。それでこの戦はしまいじゃ」
最後はひらひらと手を振って語る秀吉。
元々、この小牧・長久手の戦いは秀吉が仕掛けた謀略に踊らされた信雄が起こした戦である。信雄は単独では膨大な領地を持つ秀吉に抗えない。必ず家康を頼る。
そこを叩けば、徳川家康といえど、おとなしくならざるを得ない。秀吉にとってはそのための戦であった。
秀次の率いた中入り軍により家康本人が率いた軍勢を敗退させた。
こちらも森・池田の二人を失ったが、秀吉にとってこの二人は外様といえる存在である。元は信長配下の将として同格に近かった。何かと秀吉にとっても遠慮がある相手だったが、その二人を失う替わりに甥の秀次があの徳川家康を打ち破ったという実績を作った。
(我にとってはおいしい話よ)
秀次が調子に乗って家康を追撃しなかったのも評価できる。三河まで兵を進めるには兵力も補給も足りない。下手に追撃して逆撃など食らったら先の勝利など吹き飛んでしまう。
ことさらに「徳川殿は義理によって信雄に付き合わされただけ」と強調しているのも、自分は徳川に遺恨はない、悪いのは織田宗家に歯向かった信雄である、と周囲に向かって「そういう事にしておけ」と言っているのである。
(家康とまともに戦えば、一年はかかるわ。あの狸、既に落としどころを探っておろう。それなりにこちらが譲歩してやれば、臣従しよう。我の寛大さの宣伝にもなる)
たとえ一度敵対しても寛大にそれを許す態度を取れば、後々その評判が役に立つと秀吉は思っている。
(が、信雄はここで潰しておく必要があるな。あやつは愚鈍。そのくせ信長様の血を引く貴種としての誇りだけが高い。今回の戦で家康もしばらくは動くまい。あの馬鹿に尾張一国は大きすぎる。幸い、三法師君に逆らったと言う大義名分はある)
殺してしまえば後々人の噂でやっかいな事になるかも知れない。織田家を完全に潰して天下を盗み取るつもりだと囃し立てられるのは御免だった。
(……僧にでもさせるか。出家させてお伽衆にでもしてやって捨て扶持をくれてやろう)
実権のない名誉職にでもつけておけばいい。
今後の方針を頭の中でまとめた秀吉はつぶやくように言った。
「秀次が戻ってからだな…」
彼の甥が戻れば、自分が軍勢を率いて尾張を平定する。
秀次は秀長の補佐として先に大坂に戻らせ、西への準備をさせよう。
そう考えている秀吉に周囲の者が意見を述べる。
「殿、ここは徳川をも一気に叩ける好機ではございませぬか」
「左様、徳川は痛手を受け撤退中です。今三河へ兵を進めればまともな対応はとれないかと……」
口々に三河への侵攻を訴える側近達に秀吉は軽く笑みを浮かべて言った。
「徳川殿は東海一の弓取りよ。その徳川殿を我が配下として遇したい。それにわしと徳川殿は金ヶ崎以来の付き合いよ」
金ヶ崎の退き口。朝倉、浅井の両軍に包囲されかけた信長が電撃的な撤退をする際、殿に残ったのが他ならぬ秀吉だった。
先鋒として最前線にいた家康もこの撤退において秀吉を助けている。
とはいえ、その後は信長の一武将でしかなかった秀吉と対等の同盟者であった家康の間に特別な友誼があったわけではない。
そう言っておく事で周囲の意見をやんわりと否定しただけである。
(それにしても、秀次はよくやる)
この後、秀吉は秀次帰還後に即軍勢を尾張へと向けた。
なお、戻ってきた秀次も秀吉の方針を全力で支持した。
深い考えがあるわけではなく、単純に家康が怖かったからである。
「秀長、秀次は大坂に戻り城代として職務をまっとうせよ。
秀長、お主は毛利との交渉じゃ。信雄が片付いたら次は四国、綿密に打ち合わせをな。
秀次、お主はわしが率いる六万以外の兵を預ける。雑賀、根来、佐々を降しておけ。
さて、小牧も取ってこの戦いの決着はついた。尾張の信雄に三法師君に楯突いた報いを受けさせねば、な」
秀吉周囲の者が一斉に平服し、恭順の意を示す。
「よし、ではゆくとしよう」
そう言いながら、秀吉は天幕から出て行った。
頭を下げてそれを見送った後、それぞれも立ち上がって行動に移った。