長久手の戦い・終戦
徳川軍右翼。酒井忠次の部隊が本陣への救援へと向かったため、織田信雄は配下の兵をほとんど討ち取られ、壊乱寸前であった。
舞兵庫は退き鐘を聞きながら、最後に一押し、織田信雄を押し込んだ。
この攻撃により、総大将、織田信雄は逃げ出した。彼の重臣に周囲を守られながら必死に壊走した。
彼程度の頭ではこの戦場で何が起こったのか、理解できなかっただろう。戦の常道で言えば敵の先鋒部隊を奇襲し、森長可、池田恒興を討ち取ったのだ。
あわてて救援に来る本軍を万全の陣を敷いて待ち受ける。兵力はほぼ同等、先鋒部隊が敗走した敵本軍は士気が下がっているはず。
逆にこちらの士気は上がっている。現に信雄は家康と共に本陣にいるのではなく、自らの兵を率いて右翼を構成する部隊として出陣した。
手柄を挙げる機会だと捉えたのだ。本来、総大将である織田信雄は手柄など求めなくともいい。同盟者である徳川家康に戦ってもらい、自分は予備部隊で十分のはずであった。
しかし、彼にも織田信長の息子という矜持があった。
同盟者である家康が大きすぎた。つい、自らの手柄を求めた。
手柄を上げる、できれば目に見える大きな形で。
そうすれば、今後も家康はこちらを軽んじる態度は取れないだろう。そんな気持ちからの右翼への配置志願であった。
周囲は屈強な三河兵、名将と名高い酒井忠次もいる。左翼よりも早く右翼が敵を包み込んで、できれば自らの部隊で敵将を討ちたかった。
気が付けば、目の前に敵の一軍がおり、執拗に攻撃を仕掛けてきていた。
(なぜ私がこんな目に!)
全部自分のせいなのだが、そんな事を考える暇もない。
織田信雄は全力で逃げた。ただ自分の命を拾うためだけに。
「こんなものだろう。退くぞ」
舞兵庫は冷静に指示を出した。織田信雄の軍勢は壊乱しているが、さすがに天下に名高い三河の徳川軍団は秩序を保っている。
今、信雄を追えばあるいは首が取れるかもしれないが、退却の命が出ている以上、自軍のみで突出しても大きな損害を受けるだけである。
(それに、我が主君は完全に勝つ気はないらしい。まあ、この中入り自体に反対のご様子だった。何か考えがおありなのだろう)
全軍を纏めて緩やかに後退させながら、舞兵庫は少し笑っていた。
(おもしろい方だ。鉄砲の集中運用による敵防御陣の切り崩しから、騎馬のみでの敵陣突入とは。その戦術を取ってなお、完全な勝利に固執せずに退くか。これは得難い主君に仕えたのやもしれぬな)
敵左翼に当たっていた、堀秀政も退き鐘を聞いて自軍を後退させていた。
「追ってはこぬか。まあ、当然か」
敵はこちらに攻撃を仕掛けてこない。どうやらこちらと合わせて退くようだ。
敵本陣に突入した部隊もどうやら退き鐘を聞いて戦場を離脱するようだ。
「突入部隊が退く際に、一矢報いようと動いたならば、兵庫殿と連携してもう一撃、ということもあるかと思うたが、さすがに東海の覇王たる徳川殿か」
家康本陣が撤退の気配を見せている。さすがに突入部隊を追う余裕はなかったようだ。
「兵庫殿もどうやら手仕舞いか。突入部隊の撤収を援護せよ」
互いの軍勢が距離を少しずつ離していく。
(それにしても、先鋒の池田殿、森殿が敗れていなければ完勝もあったかもしれぬな。いや、先鋒が敗れたからこそ秀次殿の才気が見られたと思うべきか)
十分な戦果も上げた。
堀秀政は悠々と軍を後退させた。
戦場に退き鐘が鳴っている。
本多忠勝と対峙していた可児才蔵にもそれは聞こえていた。
ふん、と鼻を鳴らした才蔵は乗り手を失って彷徨っている馬を見ると、手綱を掴んで馬上の人となった。
「楽しかったぜ、忠勝さんよ。またやろうや」
来国俊を肩に担いで馬を反転させ、片手を挙げて去って行く。
「あーあ、勝てなかったかよ。ま、秀次様にはもうしわけねぇが今日はこんなとこだろうなぁ」
その姿を眺めていた忠勝もまた、戦いの途中で降りた自分の馬の手綱を掴んだ。
「可児才蔵、恐ろしき使い手であったな……退くぞ、殿をわが手で努める」
馬上から周囲に指示を飛ばす。
見れば、連れてきた僅かな手勢はみな満身創痍であった。
それらを一瞥してから、さして急ぐでもなく去って行く可児才蔵の背中を見た。
「またやろう、か。我はそんな日が来ぬ事を祈るとしよう」
事実、両名が敵同士で相まみえるのはこの戦場が最後となった。
史実ではこの中入りは秀次が一方的に打ちのめされて終わっている。
死にたくない一心で、秀次は舞兵庫にすがり、偶然とは言え、家康を撤退にまで追い込んだ。
家康は池田恒興と森長可を討ち取ったが、最終的な損害は家康軍のほうが多かった。
何より、家康・信雄ともに自身が討ち取られる寸前まで追い詰められている。
家康は酒井隊に周囲を固めさせ、殿に本多忠勝を置いて両翼に展開していた部隊を纏めながら撤退している。
(敗けたな。引き分けと言えぬこともないが、酒井隊が救援に来たところで相手が退いてくれたからこそ、拾った命にすぎぬ。酒井隊が抜けた右翼は長くは持たなかっただろう。そうなれば、最初に突入してきた騎馬部隊を退けている間に右翼を抜いた敵は本陣を洪水のように踏み潰していたはず。いや、必ずそうなっていた。なぜあそこで兵を退いた?)
家康は軍を小牧山に進めながら、馬上で考えていた。
(わしと信雄殿の首を取れば、この戦は秀吉殿の完勝ではないか。それがわからぬか、あの若者は……いや、これほどの戦術を駆使する男だ。甘くは見れぬ。となると、何か退く理由があったか。もしわしが討ち取られておれば、秀吉殿はそのまま三河へと攻め入る、いや、まて、それを嫌ったか!)
三河は治めにくい土地である。土着の三河兵は郷土出身の徳川家以外の支配を簡単には受け入れまい。
(なるほど、わしは生かされたか…秀吉殿は西にまだ敵を抱えている。これ以上、戦線を東に伸ばして三河支配に時を取られるよりは、わしを臣従させる事で東の厄介ごとを片付けるつもりだな。しかし、わしが臣従せねば今回以上の兵力を動かして三河に乱入し、主だった城や砦を落として、京へと動けぬように致命的な損害を与える戦法を取られる)
三河支配をせず、徳川家の力を大きく削ぐだけに留め、その間に西の問題を片付ける。
(今回の戦、総大将は信雄殿。わしは同盟者として兵を出したのみ……対外的にはそう通すつもりか。あの別働隊を相手に勝っておれば、大きな譲歩も引き出せただろう。さらに相手から様々な懐柔策があったはず……今の状況でそれは望めぬ。このまま信雄殿と行動を共にするのは危険だな)
秀吉と信雄では役者が違う。
おそらく、信雄はこの敗退により秀吉に潰されるはずだ。
「小牧にいる部隊へ伝令を走らせよ。引き揚げの準備を進めておけと。我らが小牧に到着次第、三河へと帰還する」
家康は決断した。ここは我慢のしどころだと。
三河へと帰還して兵を休ませる。戦後の交渉で秀吉は臣従を迫ってくるだろう。
(現領地を全て安堵すること。その条件のみなら、秀吉殿はあっさり吞むだろう)
徳川家の領地はおよそ百万石。それに家康の名声。それらを秀吉は粗略には扱わぬはずである。
(降ろう、秀吉殿に。年月をかけて秀吉殿の政権で力を蓄えるのだ)




