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呪文は日本語。IT社員の俺、コード魔法で異世界の壊れた仕組みを全部直します  作者: ノーコードLab


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第98話 カリンに真実を

毎日20時、更新予定です!

■1.約束の朝


夜が、明けた。


街の、東の屋根から、鈍い光が這い出してくる頃、鍵は、すでに、宿の裏手に立っていた。


石畳は、まだ、霜に覆われていた。息が、白く、空気の中に溶けては消えた。冬は、まだ、終わっていない。石守の塔が、遠く、暗い空の中に、黒く突き立っている。霜を踏むたびに、足裏に、鋭い冷たさが、通った。地平の端から延びた最初の光の線が、石畳の上を、薄く、這っていた。昨夜、クロードが、あの声に、引き寄せられかけた。その声は、鍵の内側にも、微かに、届いていた。まるで、名前を知っているかのように。管理者は、気づいている。おそらく、もう、時間は、多くない。


鍵は、その記憶を、胸の奥に、押し込んだ。


今日は、今日の、やるべきことがある。


アリアが、静かに、横に並んだ。外套を、深く、肩に引いていた。寒い。アリアが、寒さを、苦手にしているのを、鍵は、知っていた。それでも、ここに、来た。文句を、言わずに、来た。アリアの、肩が、小さく、震えていた。寒さの、せいだった。


「眠れた?」


「少し。あなたは?」


「ほとんど、眠れなかった」と、鍵は、言った。


塔の声の、残響。そして、今日、カリンに、何を、どう話すか、ということ。その二つが、夜の間中、頭の中を、行き来していた。


約束は、夜明けだった。来るかどうか、わからなかった。カリンは、昨日まで、石守の側に立つ人間だった。幼い頃から、あの塔の膝元で育ち、正式な弟子となって、三年、あの塔の教えを受けてきた。石守が、配給をくれる、石守が、街を守る、石守がいなければ、この街は、冬を越せない——そう信じて、生きてきた人間だった。


その人間に、真実を、話す。


路地の、入り口に、視線を向けた。


『今日、失敗したら、どうなるか。カリンは、塔へ戻る。石守の弟子として、再び、あの教えの中に、入っていく。そして、もう、この場所には、来ない。だからこそ、今日が、大事だった』と、鍵は、思った。


足音が、した。


石畳を、踏む音だった。ためらうような、一歩、一歩だった。重いものを、抱えているような、足取りだった。


カリンが、路地の角から現れた。顔は、青白く、目の下に、隈が浮いていた。おそらく、鍵と同じで、眠れていない。右手に、革の鞄を持っていた。中身が、重いのか、少し、肩が傾いていた。


「……来た」


カリンは、それだけ言って、止まった。視線が、鍵とアリアの間を、行き来した。警戒と、何か別のもの——おそらく、覚悟——が、混ざった目だった。


「来てくれた」と、鍵は、言った。「ありがとう」


感謝の言葉は、装飾では、なかった。本当に、そう思った。この街の人間が、石守の外側に出てくることが、どれだけ、難しいか、鍵には、わかっていた。


三人は、宿の裏の、古い木の壁に沿って、立った。通りからは、見えない場所だった。石守の巡回が、この時間、ないことを、アリアが昨夜のうちに、確かめていた。


カリンが、鞄に、手をかけた。


「帳簿の写しの、続きを、持ってきた。去年の、冬から今年の、春まで。自分の担当分だけだが……数字は、見れば、わかる」


市場で、カリンが言っていた言葉を、鍵は、思い出した。「数字は、誰が見ても、同じだから」。その言葉が、今日、ここに、カリンを、連れてきた。


鍵は、カリンの手を、静かに、見ていた。


そして、言った。


「見せてもらう前に、話したいことがある」


カリンの、手が、止まった。


■2.石守の、嘘


「長い話に、なる」


鍵は、そう前置きして、語り始めた。昨夜、帳簿から見えたことを、もう一度、順に、並べた。そして、その先を、続けた。


石が、意図的に、弱まること。ランダムでは、なく、設計された、周期であること。その周期が、人々の石への依存を、最大化するように、計算されていること。石の出力が、下がるたびに、人々は、石守への感謝を、新たにする。感謝が、服従を、生む。服従が、問いを、消す。そのサイクルが、二百年、繰り返されてきた、ということ。


カリンの顔が、少しずつ、硬くなっていった。


「管理者は、人間では、ない」


その言葉で、カリンが、口を開いた。


「石守様は——」


「人の形をしている。だが、二百年、ここにいる。それだけで、人では、ない」


「……化け物だと、言いたいのか」


「そうじゃない」と、鍵は、声を、落とした。「ただ、違うものだ、と言っている。この街の人たちが、石がなければ生きられないと思うように、ずっと、仕向けてきた存在だ、と言っている。意図を持って、それを、設計した存在だ、と言っている」


カリンは、しばらく、黙っていた。


唇が、動いた。言葉を、探しているようだった。それから、絞り出すように、言った。


「侮辱するな」


声が、震えていた。怒りの、震えだった。足が、一歩、前に、出た。


「石守様がいなければ、この街は、凍えていた。俺の父も、母も、弟も、あの冬を、乗り越えられなかった。石守様が、配給を、増やしてくださったから、生きられたんだ。あんたが言っていることは、その恩を——その恩を、汚すことだ」


「カリン」


鍵は、遮らなかった。カリンが、言い終わるまで、待った。怒りを、止めなかった。怒りは、正当だった。アリアが、鍵の横で、動かなかった。まるで、石になったように、じっと、立っていた。怒りを、正面から受け取ることが、今できる、自分たちの誠意だった。


「あなたの父親が、助かったことは、本当のことだ」と、鍵は、言った。「それを、否定するつもりは、ない」


「だったら——」


「でも、見てほしいものが、ある」


沈黙が、落ちた。


カリンの、息が、荒かった。アリアが、鍵の横で、じっと、静かに、立っていた。鍵は、懐に、手を入れた。


「あなたの、父親の配給記録を、見てほしい」


■3.数字が、語ること


鍵は、懐から、紙を、取り出した。


アリアが、昨夜、石守の古い台帳の複写から、抜き出したものだった。日付と、名前と、数字だけが並ぶ、無機質な記録だった。感情も、言葉も、ない。ただ、数字だけが、そこに、あった。


「これは——」


「あなたの父親が、配給判定に、異議を申し立てた、月の記録だ。そして、その翌月の記録」


カリンの、目が、紙の上に落ちた。


鍵は、何も言わなかった。数字が、語る。自分が、語る必要は、なかった。


カリンの手が、微かに、震えた。最初、記録を受け取ったカリンの手は、落ち着いていた。だが、数字を、一行、また一行と、目で追うにつれ、指先が、少しずつ、紙を、握りしめていくのが、わかった。白くなった指の関節が、それを、証明していた。


異議を申し立てた月——父親の配給量は、正常だった。翌月——三割、減っていた。さらに翌月——また、少し、減っていた。その後、父親が、もう石守に逆らわなくなった年から——少しずつ、元に、戻っていた。


「……これは」


カリンの声が、かすれた。


「偶然かもしれない」と、鍵は、静かに、言った。「でも、同じ記録が、この街に、他にも、ある。口を挟んだ人間の、翌月の配給が、落ちる。黙った人間の、配給が、戻る。そのパターンが、二百年分の記録に、繰り返されている」


シャムールの、ダルスーの話を、思い出していた。ダルスーが、異議を唱えた夜、翌朝、水路が、干上がっていた——その光景が、一瞬、頭を、よぎった。あの砂漠の街で、水路の制御を握った者が、異議を唱える家族から、静かに、水を、絞っていた。数字の、見た目は、違う。でも、構造は、同じだった。人が、長年、信じてきたものに、裏切られるときの、あの形——それは、場所が変わっても、変わらなかった。


カリンは、記録から、目を離さなかった。


沈黙が、長かった。


アリアが、隣で、じっと、立っていた。鍵も、何も言わなかった。カリンが、自分の中で、何かと、戦っているのが、わかった。急かすことは、できなかった。急かしては、いけなかった。ここで待てるかどうかが、今の自分に、できる、全てだった。


風が、路地を、抜けた。


カリンの、頬に、白い息が、かかった。石畳が、朝の光を、吸い込んでいた。陽が、昇っても、まだ、寒かった。


『壊れている』と、鍵は、思った。『カリンの中の、何かが、今、音を立てて、壊れている。それは、仕方のないことだ。でも、痛い。こういう、痛みを、引き起こすたびに、これが、正しいことなのかどうか、わからなくなる。でも、知らないままでいることが、もっと、痛いことだ』——そう、鍵は、信じていた。


カリンの、肩が、小さく、動いた。


■4.立ち去らなかった、理由


カリンが、顔を上げたのは、それから、しばらく、経ってからだった。


目が、赤かった。泣いては、いなかった。泣くまいと、しているのが、わかった。唇を、固く、結んでいた。歯を、食いしばっているのが、外から、見えた。


「……俺に」


声が、かすれた。一度、飲み込んで、もう一度。


「俺に、何を、してほしいんだ」


鍵は、答えた。


「石守がいなくても、この街が、冬を越せる仕組みを——一緒に、作りたい」


カリンは、何も、言わなかった。


鍵は、続けた。「石守を、壊したいわけじゃない。あなたが、幼い頃から、あの塔で学んできたことを、否定したいわけでも、ない。ただ、石に頼らなくても、人が、生きていける形を、考えたい。そのために、あなたの目が、必要だ。この街の、帳簿を、読める人間が、必要だ。この街を、一番、知っているのは、あなたたちだ」


「……」


カリンは、答えなかった。


鍵は、答えを、待たなかった。急かさなかった。ただ、そこに、立っていた。今日、答えをもらわなくても、いい。そう、決めていた。人が、長年、信じてきたものに、疑いを抱くとき、その夜は、長い。一日で、結論を出せる人間は、いない。


やがて、カリンが、鞄を、持ち直した。


踵を返す、気配が、した。鍵は、目を、伏せた。


だが。


カリンは、立ち去らなかった。


路地の、少し先で、足が、止まった。背中を、向けたまま。石畳を、見つめたまま。動かなかった。


鍵は、その背中を、見ていた。


朝の光が、路地の石壁に、斜めに、当たっていた。昨夜とは違う、静かな光だった。遠くで、商人が、荷を積む音が、かすかに、聞こえた。街は、何も知らずに、動いている。


『それで、十分だ』と、鍵は、思った。


今日、答えを、もらわなくていい。今日は、ここに、いてくれた。立ち去らなかった。それが、全てだった。カリンが、今日、ここに残っていることは、それだけで、何かが、始まっているということだった。今日、ここから、始まった。


遠くで、石守の塔が、朝の光を、受けていた。塔の頂点が、鈍く、輝いていた。それは、美しかった。そして、鍵は、知っていた——美しいものが、必ずしも、正しいわけでは、ない、と。


冬の、朝の、光の中で、三人は、しばらく、そのまま、立っていた。


誰も、何も、言わなかった。


それが、今この瞬間の、正直な、全てだった。


『(第99話へつづく)』

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