第58話 宰相府への報告
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■1.フィルバート・レーゲ
王都に戻った鍵たちは、その足で宰相府へ向かった。
馬を飛ばして半日。到着した頃には、空が橙に傾きかけていた。王都の石畳は、地方の街とは違う重さを持っている。石の大きさが違う。石と石の間の目地が細い。何百年も、何万の人間が踏んできた道だ。鍵は馬から降りながら、この石が積まれた時代のことを思った。あの頃にも、記録を持ち、運ぶ人間がいた。記録が残るから、今の自分たちがここに立てる。
王都に来るたびに、鍵はここで自分の小ささを感じた。地方の街では、AIカンパニーの名が先に歩いてくれるようになっていた。だが王都では、自分はまだ名のない術者のひとりだ。知られていない場所で一から見せる——そういう仕事の感触が、鍵は好きだった。今日は特に、何かを証明しに来た、という意識があった。証明というより、確かめに来た——自分たちが積み上げてきたものが、王都でも意味を持つかどうか、を。
宰相府は、王城の向かいに建つ石造りの建物だ。装飾は少ないが、壁の厚みが権力を語っている。入り口の衛士が鍵たちを一目見て、「お待ちしておりました」と言った。すでに話は通っているようだった。
長い廊下を進む。壁には地図と帳簿の棚が並んでいた。実務の府だ、と鍵は思った。華やかさより、機能を優先した空間。装飾品のかわりに、記録が積まれている。自分たちの仕事に近い空気がある。棚のひとつに、鍵が以前提出した王国ダッシュボードの写しが綴じられているのが見えた。ここでも、あれは生きている。
出迎えたのは、痩せた長身の男だった。歳は五十がらみ。落ち着いた物腰の奥に、油断のない目をしている。宰相府の実務を束ねる、フィルバート・レーゲ。東の国境の依頼状を書いた張本人だ。会ったのは今日が初めてだが、書状の文体を思い出すと、この人物の雰囲気は想像に近かった。簡潔で、余計なことを書かない。感情より事実を優先する人間の、文章だった。
「よく戻られた」フィルバートは短く言った。「東で、何が分かりましたか」
鍵は、余計な前置きを省いた。相手が実務家なら、結論から話すのが礼儀だ。それは、ブルーの国王に報告したときも同じだった。感情や経緯より、事実と証拠を先に出す。判断は相手がする。
「東の国境で消えていたのは、荷と、それに関わった人々の記録でした。消していたのは、行商人を装った帝国の情報部の人間です。彼らは大陸中から『古代の遺物』を集め、痕跡を消しながら帝国へ運んでいました。資金の出所は、帝国の国家調達枠です」
フィルバートの表情は動かなかった。だが、机の上で組んだ指が、わずかに固くなった。
「証拠は」
「あります」鍵はクロードにまとめさせた綴りを差し出した。「金の流れ、記録の改ざんの手口、押収した通行証。それから——彼らが二年前から、私たちを観察していた記録も」
■2.結論から、証拠を添えて
フィルバートは綴りをめくった。速い。要点だけを的確に拾う読み方だ。頁をめくるたびに、ほんの一瞬、目が止まる。内容を飲み込む間だ。中身が重いほど、止まる時間が長くなる。
鍵は、その資料を「誰が読んでも判断できる」形に整えていた。冒頭に結論の要約。次に、それを支える証拠を一件ずつ。最後に、確認できていないことと、推測にとどまる部分を正直に分けて書いた。ブルーで国王に報告書を出したときと、同じ作法だ。不確かな部分まで断定して見せるのは、資料ではなく宣伝になる。分からないことは、分からないと書く。それが信頼の根拠になる。
「見事なものだ」フィルバートは呟いた。「これだけの証拠を、これだけの速さで。……なるほど、帝国が欲しがるはずだ」
「一点、明確にしておきます」鍵は言った。「ここまでが、私たちに確認できた事実です。帝国が『なぜ』古代の遺物を集めているのか、その目的までは、まだ分かっていません。そこは推測になります」
「推測でいい。聞かせてほしい」
「帝国は、私のコード魔法と、古代の遺物を、同じものと見ている節があります。両方を『回収対象』として並べた記録がありました。つまり帝国は、失われた古い技術を、現代に蘇らせようとしているのかもしれません。そのための手段として、遺物を集め、私のコードを研究している」
フィルバートはしばらく黙り、それから低く言った。
「厄介だな。帝国は表向き、『自動で動く術は神への冒涜』という国是を掲げている。にもかかわらず、裏でその技術を集めている。——国そのものが、二枚舌ということだ」
「その二枚舌は、むしろ好都合かもしれません」鍵は言った。
フィルバートが視線を上げた。「どういう意味だ」
「国是で禁じているものを、裏で欲しがっている。それは、国の中で意見が割れている証拠です。表で禁じたい者と、裏で手に入れたい者。一枚岩の敵より、割れている敵のほうが、交渉の余地がある」
フィルバートの目が、わずかに細くなった。値踏みするような目だった。長い間があった。
「……あなたは、商人だな。争いの話をしているのに、交渉の隙を探している」
「私は、戦えません」鍵は正直に言った。「剣も魔法もない。私にできるのは、相手が何を欲しがっているかを見極めて、こちらの持ち札と交換することだけです。それしか、やり方を知らない」
フィルバートが、初めてかすかに表情を動かした。笑みというより、ある種の了解を示す動きだった。
「その正直さも、あなたの持ち札でしょう」
フィルバートは綴りの表紙に、宰相府の紋章入りの印を押した。蝋に紋章が刻まれ、証拠が公式の記録として固定される。鍵は、その一瞬をじっと見ていた。記録は、誰かが認めることで初めて、ただの文字から証言に変わる。自分が東で集めてきたものが、今、王都の公式な文書になった。それは、静かな達成だった。
フィルバートは手を止め、鍵を正面から見た。宰相府の実務家が、評価の目を向けている——そう感じた。実績を見るのではなく、判断の仕方を見ている目だ。今後もこの人物と仕事をすることになるなら、この視線は悪くない、と鍵は思った。
■3.使者が待っている
「それで」鍵は本題に入った。「私に会いたいという、帝国の使者とは」
フィルバートは立ち上がり、窓の外——迎賓館の方角へ目をやった。夕暮れの光の中で、迎賓館の屋根が橙に染まっている。大きな建物だ。壁が白く、帝国風の細い塔が角に立っている。
「三日前に到着した。名は、ヴェンツェル・オルグレン。帝国の『技術顧問』を名乗っている」
「技術顧問」鍵は繰り返した。自動化を冒涜と呼ぶ国に、技術の顧問がいる。その言葉自体が、すでに矛盾していた。
「妙な男だ」フィルバートは眉を寄せた。「帝国の使者らしい傲慢さがない。むしろ——あなたに会えるのを、心待ちにしているように見えた」
「どんな様子でした」
「三日間、迎賓館に滞在して、一度も外に出ていない。飲み食いは最低限。ただ、部屋でずっと、何かを読んでいる。宿の者によると、持ち込んだ荷物のほとんどが、綴りだそうだ」
アリアが鍵の隣で小声で言った。「読書をしながら待てる人間は、腰が据わっています。急いでいない」
『敵の使者が、俺に会いたがっている。』
鍵は、東で見つけた覚書の一行を思い出した。「回収の対象を、術者本人へ」。帝国は、鍵という人間そのものを欲しがっている。その帝国が、わざわざ使者を寄越して、対話を求めてきた。これは何を意味するのか。奪いに来たのか。あるいは——交渉に来たのか。
「会います」鍵は言った。「相手が何を欲しがっているのか、直接、確かめたい」
フィルバートが頷いた。
「明日の朝、迎賓館へ。——くれぐれも、言葉に気をつけることだ。あなたの武器は、その言葉なのだから」
「武器が言葉、か」鍵は、その言葉を、胸の内で繰り返した。剣も魔法もない自分にとって、確かに、言葉だけが、唯一の得物だった。相手を斬るためではなく、噛み合わせるための言葉が。
その夜、宿に戻った鍵は、アリアとミナと食事をしながら、明日の段取りを確認した。何を聞き、何を話し、何を話さないか。準備のない対話は、準備のある相手の前では一方的な開示になる。情報は、出す順番と出さない判断で、価値が変わる。
アリアが紙を出して、手早く二欄を引いた。「聞くこと」と「言わないこと」だ。「帝国がコード魔法の何を求めているか——これは必ず聞く。逆に、クロードのことは、向こうが先に出してくるまで触れない。相手が何を知っているかを、まず見る」鍵は頷いた。準備とは台本を作ることではなく、優先順位を決めることだ。
「帝国が何かを欲しがっているのは分かった」アリアが言った。「でも、なぜ戦力で取りに来なかったのかが、分からない。正式な使者を立てて、対話を求めてきた。それ自体が、何かを意味している」
「そうだ」鍵は頷いた。「取れないものを、欲しがっているのかもしれない」
ミナが湯気の立つ器を両手で持ちながら、少し首を傾けた。「取れないって、どういうことですか。力で来れば、取れそうじゃないですか」
「コード魔法は、俺の体の中にある」鍵は答えた。「奪えない。使い方も、俺が教えなければ伝わらない。だから使者を送ってきた——そう考えると、辻褄が合う」
アリアが静かに言った。「つまり明日は、あちらも交渉に来る」
「そうだ。だから、俺たちも交渉として臨む」
ミナが「なんか……帝国の使者と交渉って、怖いですね」とぽつりと言った。鍵は少し考えてから答えた。「怖いと思う感覚は、正しい。怖いから準備する。怖いから注意する。最初から怖くない、と言う人間のほうが、信用できない」ミナは「そっか」と小さく頷いた。その言葉は、自分自身にも言い聞かせていた。
翌朝。鍵は迎賓館の扉の前に立った。この一歩の先に、二年間ずっと自分を観察してきた国の、顔がある。
鍵は息を整え、扉を押した。
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