1-9.急性骨髄性白血病(AML)
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
この頃はたかしにいちゃんとかのんと3人で昼と晩の病院食を食べている。場所はあの院内学級の部屋だ。
病院食は決しておいしいものではない。特にかのんは厳しい食事制限がついている。塩分と水分を控えなければならない。
でも、みんなと食べる食事は一人で食べる食事よりもはるかにおいしい。おしゃべりしながら食べるとあっという間に時間がたっていく。
夕食後、かのんとたかしにいちゃんとでおままごと遊びをする。たかしにいちゃんはあんまり好きじゃないみたいで、少しするとロビーに行こうといい始める。消灯前の少しの時間ロビーに行くこととなった。
かのんは前から車椅子だけど、このごろはたかしにいちゃんも車椅子だ。たって歩くと時々ふらついて転んでしまうので、安全のため車椅子を使っている。そこで、ナースセンターのつかささんに頼んで、私とふたりでたかしにいちゃんとかのんの車椅子を押していく。
ロビーについて3人でおしゃべりしていると、東棟に入院している小さな女の子がお母さんと一緒にやってきた。
女の子:「ねえ、あの人たちなんで車椅子なの?」
女の子が私たちを指差していた。
母親 :「だめよ。ゆいちゃん。見ちゃダメ。」
心にずしんと重いものがのっかってきた。私たちって見てはいけない存在なの? 私たち西棟の子供達はいつもこんな感じに見られてる。
だから、つい大声で言ってしまった。
舞 :「私たちって、見てはいけない存在なんですか?」
つかささんがナースセンターから飛んできた。
つかさ:「舞ちゃん」
そう言って首を振る
母親 :「さあ、行きましょう。ゆい」
女の子と母親は私たちに何も言わずに去っていった。ロビーにはつかささんと私たちだけが残る。たかしにいちゃんも悔しそうな顔をしてる。だけどかのんは違った。
かのん:「舞ちゃん、ありがとう。でも、こんなこと慣れてるわ。だから気にしないで。」
舞 :「でも...」
かのん:「つかささん、お願い、ロビーの電気消してくれない? 星が見たい。」
つかさ:「うん、いいわよ。本当はダメだけど。特別にちょっとだけならいいです。」
そういうと私たちを窓の近くに連れて行き、電気を消してくれた。
かのんは窓の外を見て指を指した。
かのん:「ほら、あそこにひときわ輝くオレンジ色の星があるでしょ。あれがうしかい座のアークトゥルウス。春の星座で一番明るい星。その右下に白い明るい星があるでしょ。あれがおとめ座のスピカ。」
私とたかしにいちゃんは星をさがす。何とか見つけられた。
かのん:「ここまでは簡単ね。そのスピカの右に4つ星が四角形に並んでるでしょ。あれが、からす座。」
たかし:「あ、あった。見つけた。ちょっと暗いけど。」
舞 :「わたしも見つけた。でも、どうしてもカラスに見えないよ。」
かのん:「星座なんてそんなもん。でも、からす座は特別なの。カラスって黒いでしょ。だから、夜空では見えないの。あの4つの星はカラスを夜空に打ちつけた釘が光ってるの。あれはうそつきカラスが罰として打ちつけられてるんだよ。」
たかし:「舞ちゃんも、あんまりうそつくと夜空に釘で打ち付けられちゃうよ。」
舞 :「わたし、うそつかないもん。打ち付けられるとしたら、たかしにいちゃんのほうでしょ。」
たかし:「そっか。そうかもな」
そうやってたかしにいちゃんが頭をかいた。かのんも笑っている。さっきのいやな事件を忘れさせてくれる。かのんだって嫌な思いをしただろうに。
でも、こうやって前向きに考える方法を知っている。
その後3人は寝る時間までかのんの星の話を聞いて、おしゃべりをしていた。
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夜、物音でふと目を覚ました。誰かの声が聞こえる。
付き添いで寝ている冬ちゃんを起こさないようにそっと病室をでる。
声は美鈴の病室から聞こえる。私は病室の入り口から中をのぞく。
美鈴 :「背中が痛い、お母さん、背中さすって。」
母親 :「はい、ここ?」
美鈴 :「そこじゃない、もっとこっち。」
母親 :「うん、そこ。う~、気持ち悪い。」
美鈴は洗面器を抱え込んでいた。
舞 :「美鈴! 大丈夫?!」
私は駆け寄ろうとした。だけど美鈴のお母さんが止めた。
母親 :「舞ちゃん、ありがとう。でも、大丈夫。心配しないでね。だから、今日は遅いから部屋で寝なさいね。冬子ママも心配するわよ。」
舞 :「うそ、こんな状態で大丈夫なわけないじゃない。今、先生呼んで来る。」
そう言ってナースセンターに駆け込む。まだ、つかささんがいた。つかささんに事情を話して、先生を呼んでもらおうとした。だけど。
つかさ:「大丈夫。美鈴ちゃんは今病気と戦ってるの。一生懸命戦ってるの。だから苦しいけどがんばってるの。」
舞 :「だったら、なおさら先生呼んでお薬あげて助けてあげてよ。」
つかさ:「お薬のんだから、ああなの。」
舞 :「うそ、お薬飲めば治るんだよ。楽になるんだよ。お薬飲んで苦しむなんて変だよ。」
つかさ:「美鈴ちゃんの病気を治すためにはとても強い薬を飲まなきゃだめなの。だけど、そのお薬は自分をも苦しめるの。おなかとか背中が痛くなったり、気分が悪くなったり。でも、それを乗り越えていくと、少しずつ確実に良くなっていくの。」
舞 :「...」
つかさ:「だから、美鈴ちゃんは治ることを信じて、どんなにつらい治療も耐えて頑張ってるの。」
...頑張るってそういうことなんだ...
舞は自分が恥ずかしくなってきた。
...頑張るって退屈とかまずい食事を我慢することだと思ってた...
...私は美鈴のように薬でつらい思いをしてるわけじゃない。かのんのように厳しい食べ物の制限があるわけじゃない。ただ、病院で大人しくしてればいいだけ。つらい治療なんかもなく、好きなもの食べて、夕方ちょっと熱がでるのを我慢するだけ。そんなの美鈴たちに比べたら頑張ったっていえるの?...
...それなのに私はパパとか冬ちゃんに当り散らして。なんてわがままなの...
私はナースセンターから自分の病室に戻ろうとしたけど、そのまま、美鈴の病室に向かった。
美鈴のお母さんが否定の意味をこめて言った。
母親 :「舞ちゃん、冬子ママが心配するから戻りなさい。」
私は首を振った。
舞 :「冬ちゃんは一度寝たら朝まで起きないから大丈夫。今、私は美鈴を励ましていたい。それが私のできることだから。」
そういって私は美鈴の手を握った。黙って手を握った。
美鈴 :「舞ちゃん...」
美鈴のお母さんもあきらめたようで、そのままにしてくれた。
美鈴はその晩、何度も背中をさすって欲しいと頼み、そのたびお母さんや私がさすってあげた。そうすると美鈴が安心して落ち着いてくれた。
そのうち、美鈴も痛みが和らいだのか眠ってしまった。美鈴のお母さんもそれを見て安心したのか私に言った。
母親 :「舞ちゃん、ありがとう。さあ、今日はもうだいぶ遅いから寝なさい。」
舞 :「うん。」
そういって、私は自分の病室に戻った。
次の日、私は少し寝坊しておきた。でも、冬ちゃんはまだぐ~ぐ~寝てる。
そっと起きだして、また美鈴の病室に向かった。美鈴はまだ寝ていた。でも、美鈴のお母さんはおきていた。そして、私と一緒に廊下に出て話をしてくれた。
母親 :「昨日はありがとうね。」
舞 :「ううん、たいしたことしてない。」
母親 :「舞ちゃんにはちゃんと話しておいたほうがいいわね。」
そう言って美鈴の治療のことを話をしてくれた。美鈴は病気を治すために、強い「メロ」という薬を使っている。この薬を使うと、吐き気や高熱やおなかや背中が痛くなってしまう。だけど、これを使うと悪い血がなくなっていくらしい。
舞 :「私が使ってるステロカイドと一緒?」
母親 :「それよりもうんと強い薬。」
舞 :「でも、そんな強い薬使うと、体がもともと持ってるばい菌をやっつける力が弱くならない? 免疫とかいうの。私もそうだから。」
母親 :「舞ちゃん、よく知ってるね。そうなの。だから二人ともクリーンフロアにいるのよ。」
舞 :「あ、そっか」
母親 :「だけど、美鈴は舞ちゃんよりもばい菌をやっつけることができなくなるの。『骨髄抑制』っていうのよ。この『メロ』を飲んでるとそうなっちゃう。だから、飲みつづけると死んじゃうから、一端止めるの。そして、また、体力が回復したら、また始めるの。」
舞 :「いつまで繰り返すの?」
母親 :「これを5回。今、入院してから2回目なの。」
舞 :「そんなに大変なんだ。知らなかった。」
母親 :「でも、頑張れば必ず治る病気だから。私たちはそれを信じてるのよ。」
舞 :「うん、こんなに頑張ってるんだから、きっと治る。私もそう思う。」
母親 :「それで、もう一つ大事なお願いがあるの。」
舞 :「?」
母親 :「もう少ししたら、その骨髄抑制期に入るの。そのときは例え舞ちゃんでも病室の中に入ってはだめ。その間はすごく病気に移りやすくなっていて、舞ちゃんにはなんでもないばい菌でも、美鈴に移ったら大変なことになるの。だから、その間は待ってて欲しい。」
舞 :「どれくらい?」
母親 :「10日から2週間くらい。」
舞 :「わかった。我慢する。でも、早くよくなって欲しい。また一緒に遊びたい。」
母親 :「うん。少し、元気になったら遊んでね。でも、舞ちゃんの病気も早く治るといいね。」
舞 :「うん」
そう言って私は病室に戻っていった。
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あきら:「ええ?もう夜の付き添いいらないっていうのか?」
舞 :「うん、いらない。一人で大丈夫。」
祐美子:「私たちに気を使ってるのなら、そんなことしなくてもいいのよ、舞ちゃん。」
舞 :「もうひとりで大丈夫。」
あきら:「だって、美鈴ちゃんもかのんちゃんもたかしちゃんもみんな付き添ってるじゃないか?」
舞 :「でも、大丈夫。私もみんなみたいに頑張りたい。」
冬子 :「舞ちゃんだって十分頑張ってます。」
舞 :「ううん、私わかったの。私わがままだって。みんなのほうが頑張ってるのに、自分も頑張ってると思ってた。こんなの頑張ってるうちに入らない。もう、おうちに帰りたいとかわがままも言わない。夜も一人で寝れる。」
祐美子:「でも。」
舞 :「もう決めたの。夜の付き添いいらない。」
冬子 :「冬子は嫌です。冬子は舞ちゃんのママです。さびしい想いはさせません。舞ちゃんがなんと言おうと付き添います。」
二人とも頑固だ。冬子もこうと決めたらてこでも動かないし、舞も和恵に似て絶対に折れない。結局、冬子に週一日だけ夜の付き添いをしてもらうことで舞も冬子も納得した。
あきら:「舞、本当に大丈夫なのか?」
舞 :「うん、大丈夫。心配しないで。パパ。」
そうして、週一の冬子の付き添いを除いて舞は一人で夜を過ごすこととなった。
だけど、これが後で大きな後悔となる。
つづく。