1-8.特別小児病棟
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則等はフィクションです。
今年のゴールデンウィークは5連休だった。この五日間、俺と冬子は毎日デートをしていた。といっても行き先は舞が入院している病院だが。
舞は少しづつ良くなっているようだ。午前中は熱が下がっており、元気いっぱいだけど、夕方になると熱が出てくるというパターンを繰り返している。
前は一日中微熱だったのだから、それに比べれば治ってきてるといえるのだろう。
今日の午後は院内学級の子供の日イベントだった。子供たちはこいのぼりを作っている。冬子も参加したかったようだが、子供たちの自主性を伸ばすのが目的なので、毎回でしゃばるのもどうかと思い、引っ張ってきた。
冬子 :「冬子もこいのぼり作りたかったです。」
あきら:「だめだ。どうせ、お星様の格好をしたこいのぼりとか作るつもりだったんだろう。雰囲気ぶち壊しの上、教育上間違った知識を子供たちに植え込む。お星様は七夕までとって置け。」
冬子 :「あきらさん、もしかして超能力者ですか? どうして私の考えていることわかったんですか?」
冬子の星好きは筋金入りだ。高校のとき、冬子は俺達天文部に入部してきた。部長の志穂先輩と俺と悪友の南しかいない3人の弱小天文部に入ってきたのが冬子だった。そのくせ、星のことなんてからっきし知らない。お星様の形が可愛いからが入部動機だ。
おかげですでに俺の家は星で占拠されている。星の形のぬいぐるみ、星の絵柄のバスタオル、星の絵柄ののれん、星の絵柄のエプロン...
メジャーなデザインのため、探すのに苦労せず、あっという間に星が氾濫していった...
俺としてはバタフライ星雲のカレンダーとか飾りたかったのだが。まあ、害はないのであきらめるしかない。
この5日間、病室で舞のお昼ご飯がすんだ後は、こうやって二人で病院の中のレストランに来ている。ここで、大人二人は昼食を取る。安上がりで健康的なデートとも言える。
冬子はハンバーグ定食を頼んだ。
あきら:「本当にハンバーグ好きだな。」
冬子 :「ハンバーグ以外にもカレーとかオムライスとかお鮨とかグラタンとかラーメンとかも好きです。」
あきら:「基本、子供が好きなのばっかりだな。」
冬子 :「そういわれると冬子照れてしまいます。」
あまり、ほめたつもりはなかったんだが。
冬子 :「そういうあきらさんも毎度毎度のチャーハンです。」
あきら:「俺も好きなんだ。一人のときは大体チャーハンだったしな。」
冬子 :「あきらさんのチャーハンは栄養が偏りすぎます。今度、冬子が作ってあげます。それを食べたらあきらさん、もうメロメロです。」
あきら:「ほう、楽しみだな。どんなチャーハンなんだ。」
聞くだけ無駄と思っているが、一応聞いてみる。
冬子 :「お星様チャーハンです。」
やっぱり。
あきら:「それはどんなチャーハンなんだ?」
冬子 :「お皿に盛り付けるときにお星様みたいな形になったチャーハンです。」
要は星型の型ではめ込んだチャーハンだな。チキンライスとかにも応用できそうだな。
あきら:「そうか。材料はなんなんだ?」
冬子 :「あきらさんが作るチャーハンと同じです。」
あきら:「ごめん、それだと栄養の偏り具合は同じだと思うが、違うかな?」
冬子 :「違います。愛情が入っています。絶対おいしいです。あきらさんは食べたくないですか?」
あきら:「もちろん、食べたい。」
巧妙に論点をずらしてきたな。だが、冬子の料理だ。まずいはずがない。
冬子 :「わかりました。今度作ってあげます。あきらさんは幸せ者です。」
否定はしない。
そうやって小さな幸せな昼下がりが過ぎていく。
そんなときだった。後ろの席から話し声が聞こえる。女の人二人の会話だ。
女性A:「お子さん、どちらに入院されたんですか。」
女性B:「ええ、六階の東棟です。」
女性A:「ああ、良かったですね。西棟じゃなくて。」
女性B:「はい、西棟だったら不安でたまらなくなります。」
舞たち4人は西棟だ。
女性A:「そうですよね。西棟は特別小児病棟。不治の病の子供たちが集まったところですからね。」
女性B:「はい、あそこに入ったら一生病院の中ですごさなければならなくなってしまいます。」
ずんと身体の芯が冷えたような感じがした。「不治の病」「一生病院の中」その言葉が耳に残る。
あきら:「ちょ」
冬子 :「今の話、本当なんですか?」
俺より早く冬子が後ろの二人に声をかける。
うしろの二人は「ハッ」とした顔をした。
女性A:「いえ、ただの噂です。」
女性B:「私たち、これで失礼します。」
いそいそとレストランから姿を消した。
冬子が真っ青な顔をしている。
あきら:「ただの噂だよ、気にするな。」
そういう自分もきっと情けない顔をしてるんだろうなと思った。
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祐美子さんにもこの話をしていろいろこの噂について調べてもらった。しかし、結果はあまりいい話ではなかった。
祐美子:「あまり、人様の病気の話をするのはどうかと思うのですが、私も気になってきいてみました。どうやら、たかし君は脳の病気、かのんちゃんは心臓病、美鈴ちゃんは白血病らしいんです。」
あきら:「白血病ってかかったら確実に死ぬ病気じゃないか!」
祐美子:「いえ、今はそうでもないんです。7~8割は助かるんです。」
あきら:「でも2~3割は天国か。」
祐美子:「それは後ろ向きな考えです。でも、4人の中では、美鈴ちゃんがダントツで一番症状が軽いそうです。」
あきら:「うそだろ。うそですよね祐美子さん。舞はもう治りかけてるじゃないですか。」
祐美子:「...あくまで噂です。私たちは信じましょう。」
その後、機会を見つけて俺は病院のPCで調べた。脳の病気も心臓病も5年生存率は5割をきっていた。ただ、肝心のラインベルク症候群は記述がなかった。データが少ないようだ。だが、助からない人がそれなりにいる事実は見つけた。
あきら:「あの、噂は噂じゃなく本当なんだ。」
俺は呆然とした。すっかり、治ってきていると思ったのは甘い考えだったのか。そして、例え治っても、今度は4人全員が退院できる可能性はうんと少ない。なんてことだ。
俺は、西棟6階のナースセンターにいるつかさをつかまえて、問いただした。
つかさ:「確かに、西棟はクリーンフロアですので難病の子が多いのは事実です。だけどいわゆる「不治の病」の子だけがいるとか、一生病院から出られないとか言うわけではないです。西棟から退院する子もいっぱいいます。」
つまり、西棟には不治の病の子も一生出られない子も退院できない子もそれなりにいるということか。
つかさ:「大丈夫です。舞ちゃんは治ります。絶対治ります。」
あきら:「ありがとう」
つかさが俺を一生懸命励ましてくれるのが痛いほどわかった。だが、つかさの性格を知っているからこそつらかった。つかさはどんな悪い状況で、根拠がなくても前向きに考える。
その夜、俺はこの話を冬子にも言えず、ろくに寝ることもできなかった。
親って言うものは我がままだな。舞が意識不明のときは、ただ、死なないでこのままでもいいと思ったのに、今は退院できないと噂を聞いただけで不安にさいなまされる。
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次の日、とうとう、舞の不満が爆発した。
舞 :「もう帰りたい。病院で大人しくしてるのやだ。毎日、ビデオとご本と寝るだけなんていや!」
舞 :「帰って遊びたい。お友達と公園に行ってブランコ乗ったり、滑り台滑ったりしたい!」
舞 :「パパ、冬ちゃん、いつまで病院にいるの? もう、元気になった。帰ろう!」
あきら:「舞、もう少しの辛抱だ。熱が出なくなれば退院できる。入院したときと比べてだいぶ良くなったじゃないか?もうちょっとだ。頑張ろう。」
冬子 :「そうです。舞ちゃん、もう少しの辛抱です。頑張りましょう。冬子も頑張ります。」
舞 :「もう、いつも頑張ってる。毎日毎日頑張ってる。なのにどうして治らないの?」
長期入院している子にいってはならない言葉。「がんばろう」を安易に言ってしまった。そう、子供たちは毎日頑張って病気と戦ってるんだ。頑張ってないわけないじゃないか。
泣き出した舞を冬子が抱きしめ慰めている。親なんて無力なものだ。舞の病気との戦いにただ応援するしかできない。
もうどんな言葉を言っても舞の心を落ち着かせることはできない。「欲しいものはないか?」「退院したら行きたいところはないか?」
いつも言っている言葉は無意味だ。今は冬子の胸で泣きたいだけ泣かせるしかない。
本当にいつ退院できるんだろう。それ以前に不安がよぎる。本当に退院できるのだろうか?本当に治るんだろうか? 治ってもすぐに再発しないだろうか?
和恵も子供のころ体が弱く学校にいけない日々が長く続いたらしい。そして和恵は天国に召された。
舞が天国に召されるのは絶対に絶対に見たくない。だけど、和恵より悪い状況が将来を暗くさせる。
ラインベルク症候群は難病指定されている疾患だ。だから、あせってはいけない。少し、良くなったところでいつぶり返すかわからない。
だけど、出口の見えない俺たちの戦い。大人の俺たちでも消耗戦に入っているのに当事者で子供の舞はどれだけつらい思いをしているのだろう。
結局、俺は舞にテディベアのぬいぐるみを頑張っているご褒美に買って上げた。これで少し気がまぎれたのだろう。かのんちゃんと二人でテディベアを子供にしてままごと遊びを始めるようになった。
でも、根本的な解決になっていない。俺たちの出口にない戦いは続いていた。
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ある日、おれは意を決して、冬子と一緒に草薙先生に直談判することにした。
あきら:「先生、正直に言ってください。舞は不治の病なんでしょうか?」
冬子 :「一生、病院の中なんでしょうか?」
草薙 :「はあ?」
あきら:「俺たち覚悟ができています。どうか正直言ってください。」
草薙 :「急に何を言い出すんだ。」
俺たちはこの前のレストランの話をした。そして、色々調べたらその噂があながちうそでないことがわかったことも話した。
草薙 :「楠木さ~ん。だめですよ。親御さんがそんな話信じちゃ。子供がすぐ親の表情見て不安がりますよ~。」
あきら:「でも」
草薙 :「まあ、心配なのはわかりますけどね~。お二人の質問に一つ一つ答えていきましょう。まず、舞ちゃんは不治の病かというと不治の病です。」
あきら:「やっぱり。」
愕然とする
草薙 :「花粉症もある意味不治の病でしょ。それと一緒。」
あきら:「はい?」
草薙 :「根治することはできないという意味です。でも『寛解』っていう言葉があるんです。根治できなくても病状を押さえ込んで、普通に生きていくに支障のないところに持っていくことを『寛解』といいます。舞ちゃんの病気はそこに持っていくことを治療方針としています。」
あきら:「えっとそれじゃ。」
草薙 :「ええ、根治は難しいかもしれませんが寛解にはなるでしょう。事実上は治るということです。」
あきら:「でも、根治できないとなると将来何らかの制限とかでてきたりするのでしょうか?」
草薙 :「運動制限とかでしょうか? そうですね。オリンピックの選手とかは難しいかもしれません。例えば中学高校で部活を行うくらいなら制限はないですよ。」
少しホッとする。
草薙 :「それと冬子さんの質問のほうですがはずれです。一生病院を出れないことはないです」
冬子 :「え?」
草薙 :「週末の一時外泊を許可します。だいぶ良くなってきましたからね。」
冬子 :「ええ!」
地獄から天国に一気に上ったような気分だ。
あきら:「ありがとうございます。ありがとうございます。」
草薙 :「まだ夕方になると微熱が出ますので無理は禁物ですよ。この病気は暖かくなると治るんですが無理はいけません。無理すると冬場ぶり返すかもしれません。」
あきら:「はい。」
草薙 :「ゆっくり、慌てずに一歩一歩前に進んでいきましょう。」
あきら:「本当にありがとうございます。」
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舞 :「うそ、本当に帰れるの?」
あきら:「ああ、土日だけだけどな。月曜日になったらこの病院に戻ってこないといけない。」
舞 :「うれしい~」
冬子 :「でも、無理はいけないと言われました。おうちに帰ってもうちの中で大人しくしてないといけません。」
舞 :「うん、大人しくしてる。」
次の日、舞はほぼ5ヶ月ぶりに家に戻ってきた。
舞 :「和恵ママ、ただいま~」
舞が和恵の写真に挨拶する。
舞 :「お星様~」
舞がお星様のぬいぐるみを抱きしめる。その後、狭い家の中を一つ一つ確認して回る。
寝室、2階の部屋、お風呂場、おトイレ、ベランダ、押入れの中。
舞 :「入院前と一緒。」
あきら:「そりゃそうだ。何も変らないよ。」
舞 :「帰ってきたんだね。」
あきら:「ああ、帰ってきたんだ。」
少しして冬子が買い物から帰ってくる。
冬子 :「ただいまです。」
舞 :「冬ちゃん、お帰りなさい。」
冬子 :「夕飯の材料買って来ました。今日はお星様ハンバーグです。」
舞 :「待ってました!」
舞が大喜びする。
舞 :「だって病院の食事まずいんだもん。」
まあ、確かにおいしくはないな。しかも冬子の料理に慣れるとその差に愕然としてしまうだろう。
冬子 :「舞ちゃんとあきらさんはそこで大人しく待っていてください。冬子がよりに腕をかけて作ります。」
あきら:「腕によりをかけてだろ」
冬子 :「そうとも言います。でも、細かいこと気にするのは良くないことです。」
あきら:「はいはい」
舞が面白そうに俺たちのやり取りを見ている。
舞 :「こうやって、冬ちゃんの料理を3人で食べるの半年ぶり。」
あきら:「ああ、そうだな」
冬子 :「お待たせしました。自信作です。」
舞 :「わ~。」
あきら:「待ってました。」
みんなでいただきますをする。
舞がお星様ハンバーグに手をつける。そして、突然、立ち上がり、箸を落とす。
舞 :「うそでしょ。」
冬子 :「お気に召しませんでしたか。」
あきら:「ん? いつもと同じだろ。」
舞 :「こ、こんなおいしいハンバーグ今まで食べたことない!前食べたときと味が断然違っている! 冬ちゃんレベルアップしてる。」
冬子 :「ふふふ。女子三日会わざれば刮目して見よです。」
あきら:「それは女子でなくて男子だ。」
冬子 :「そうとも言います。でも、細かいこと気にするのは良くないことです。」
あきら:「ああ、悪かった。確かにこの半年散々ここで料理の練習してたからな。もともとの調理師学校のでの教育の上にさらなる努力が実ってるからな。」
冬子 :「わかればいいです。」
冬子がぷいと膨れながら言う。
舞 :「冬ちゃん、おかわり!」
冬子 :「はい、もりもり食べて、早く元気になりましょう。そうすれば毎日冬子のご飯が食べられます。」
舞 :「うん!」
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その夜、舞は満足してさっさと寝てしまった。俺と冬子の二人になった。
あきら:「冬子、少し話したいことがあるんだけどいいかな?」
冬子 :「はい?」
あきら:「実はな...」
冬子 :「はい。」
あきら:「実はな...」
冬子 :「はい。」
あきら:「いや、やっぱりいい。」
冬子 :「途中で止めるのはだめです。」
あきら:「ああ、そうだな。」
俺は覚悟を決めた。
あきら:「実はお願いがあるんだ。」
冬子 :「?」
あきら:「舞のママになってくれないか?」
冬子 :「冬子、今でも舞ちゃんのママ代わりです。」
あきら:「いや、ママの代わりでなくてママになって欲しい。」
冬子 :「それって...」
あきら:「ああ、こんな俺でよければ結婚して欲しい。」
一瞬、冬子がハッとした顔をする。そして見る見る顔を赤くする。
冬子 :「はい。もちろん。はいです。冬子うれしいです。」
冬子が俺の胸に飛び込んでくる。
つづく