6-1.再発 (急性骨髄性白血病・ハプロ移植編)
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
何年か前の春のことである。
花の丘公園の前の通りに一台のバスが止まっていた。ちょうど入口の反対車線である。
花の丘公園に遊びに来た親子連れが一杯降りてくる。
男の子:「早く行こうよ」
男の子が待ちきれないのかお母さんをせかす。
母親A:「少し待ってなさい。赤ちゃんをベビーカーにのせるから」
しかし、男の子は待ちきれない。バスのうしろから反対側の公園に走っていく。
その時、反対車線から一台のバイクが来る。
若い男:「あぶない!」
若い男は急ブレーキをかけるとともに歩道側にハンドルを切り、飛び出した男の子を避ける。間一髪避けられると思った。しかし、その時、逆に歩道にいた親子連れの女の子が急によろめき、車道側に飛び出す。
ドスン。
女の子がバイクに腕をひっかけられ倒れる。腕からは血が出ている。
若い男:「バカヤロー、急に飛び出すお前たちが悪いんだ。」
そう言って若い男はそのまま逃げ去って行った。
妙子 :「美鈴ー!」
女の子の母親が女の子に駆け寄る。右手から血がどくどく流れている。
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女性 :「お父さん、目の前で事故です。女の子が倒れています!」
父親 :「よし、すぐ助けるぞ」
お父さんと呼ばれた初老の男性が言うと同時に飛び出す。
女性 :「はい、お母さんは娘を見ててください。」
二人は駆けつける。すでに何人か集まっていた。女の子はもう立ち上がり、公園の隅に腰かけていた。大した怪我ではなさそうだが、血が止まらない。
女性 :「救急車呼びますね。」
父親 :「いや! ここからならそこの病院におぶって行ったほうが早い。すぐ連れてくぞ。」
応急処置でハンカチで止血した女の子をおぶってすぐに父親は病院に駆け込む。
女性は茫然としている母親を起こして病院に連れていった。
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山田 :「丸山美鈴ちゃんのお母さんですね。幸い美鈴ちゃんの怪我は大したことないです。ちょっと腕を切っただけです。骨折とか打撲もありません。」
母親がほっとした表情を浮かべる。
山田 :「少ししたら血もとまるでしょう。それまで処置室の前で待っててください。そうしたら今日は帰って大丈夫です。」
女性 :「よかったです。」
妙子 :「ありがとうございます。お二人が助けておかげです。結局私、気が動転して何もできませんでした。」
女性 :「いえいえ、大したことしていないですし。私も同じくらいの娘持ってるから、お気持ちわかります。」
妙子 :「あ、同じくらいのお子さんがいらっしゃるんですね。」
女性 :「はい。幼稚園の年中さんです。」
妙子 :「まあ、娘と同い年なんですね。」
父親 :「じゃあ、俺は帰るわ。店あけっぱなしだからな。」
そう言って父親は帰って行った。
女性は、その後も病院にのこり、警官の対応など事故の後処理の手伝いをしていた。
そうやって、30分も過ぎた時だった。処置室が急にあわただしくなった。
女性 :「どうしたんでしょう。」
妙子 :「なにか、いやな予感がします。」
その時、処置室から山田先生が出てきた。
山田 :「お母さん、お子さんは何か持病か何かありますか?」
妙子 :「え? 時にありませんが。」
山田 :「実は血が止まらないんです。」
妙子 :「ええ!」
その時、廊下をどたどたと小走りで女医さんが処置室に来た。
山田 :「番井先生、この子です。」
番井先生と呼ばれた女医さんは、子供の傷口から流れる血の色を見て顔をひきつらせた。
番井 :「茶褐色の血! まずいわ。 パラネキサム酸の準備を、それで止血する。そして、ステロカイドの準備も。」
看護師:「はい。」
番井 :「そしてすぐに緊急輸血を。この子の血液型は?」
山田 :「Aです。」
番井 :「すぐに準備して。」
看護師:「それが。」
番井 :「どうしたの?」
山田 :「午前中に大量下血した患者さんがいて、A型の血が足りなく近隣病院から集めて対処したばかりです。血液センターに電話して取り寄せてもらってる最中です。」
番井 :「か~。こんな時に限って。どれくらいで来るの?」
山田 :「あと一時間でしょうか。」
番井 :「そんなにかかるの? そんなに待ってられない。今、ここにいる医師や看護師たちからつのるわよ。」
しかし、今日は土曜日。勤務者がすくなくそして、珍しくA型の人が少ない。
番井 :「まだ足りない。お母さんもAの可能性がある。お母さんにも協力してもらおう。」
番井は処置室の前にいる妙子に話す。しかし、妙子はAB型だった。
女性 :「私、A型です。協力します。」
番井 :「うん。緊急事態なんです。お願いします。」
そうやって、女性も献血に協力することとなった。
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看護師:「丸山美鈴ちゃんの検査結果が出ました」
番井先生はその結果をみてうなずく
山田 :「やっぱりですか。」
番井 :「ええ。白血病。かなりの重症。末期だわ。」
山田 :「手の施しようがありませんな。」
番井 :「めぐりあわせの悪さをつくづく感じるな。」
山田 :「もし、この病院に来るのを一日早めるか遅らせるかすればもしかして助かったかも知れない。」
番井 :「5分で十分だ。しかし、事故に会ってしまった。」
山田 :「これで傷の治療を優先せざるを得ませんな。今、白血病の治療をすればこの傷がもとで感染症でやられますしな。」
番井 :「事故にさえ会わなければ…」
山田 :「全力で白血病治療にあたれました。かなり厳しいですが、もしかして助かったかもしれません。」
番井 :「だけど、その望みも事故で断たれた。しかも病院の目の前でだ。あと、ほんの少しで助かったのに。運命の神はこの子に悪意でも持っているのか。」
山田 :「お母さんを呼びますね。」
番井 :「ああ。」
妙子は番井からの説明を受け、その場で泣き崩れた。
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舞と美鈴は春休みも終わり3年生に進学した。今日はGW前に行う合唱コンクールの話し合いが教室で行われている。
担任 :「では、合唱コンクールのソロは丸山さんに歌ってもらいます。」
パチパチパチ。拍手が鳴る。
「丸山さん歌うまいもんね。」「丸山さんが歌えば優勝狙えるよね。」
みんな納得顔でうんうんとうなずく。
担任 :「では、丸山さん、あいさつを。」
美鈴 :「頑張って歌いますので、みんな一緒に頑張りましょう。」
ぱちぱちぱち
美鈴 :「くしゅん。」
美鈴があいさつを終えた途端くしゃみをする。
担任 :「あら、丸山さん、風邪? そういえば楠木さんも今日風邪でお休みするって言ってたわね。」
舞は2~3日前から調子が悪かった。少しお熱があり、のどが痛い。それに咳も出る。そのため、念のため、草薙先生に診てもらいに病院に来た。今日は、いつもの西棟でなく、外来で見てもらった。感染症の可能性があるからだ。
冬子 :「舞ちゃん大丈夫でしょうか? 冬子心配です。」
草薙は血液検査の結果を見て渋い顔をする。
草薙 :「う~ん、ちょっと困った状態です。」
冬子が青くなる。
冬子 :「もしかして、再発ですか?」
草薙 :「まことに残念ですが、ラインベルク症候群が再発しています。しかも風邪との合併症です。」
冬子 :「う、うそですよね。そんな、舞ちゃんが再発だなんて。薬はあるんですよね。」
草薙 :「残念ながら、片方はありますが、片方は特効薬となる薬がありません。」
冬子 :「そんな。こんなことになるなんて。冬子何がいけなかったのでしょうか?」
草薙 :「冬子さん、自分を責めちゃいけません。こればかりは運命です。お母さんは悪くありません。それで、大変申し上げにくいのですが、舞ちゃんの余命ですが。」
冬子がごくりと喉をならす。
草薙 :「あと80年くらいしかありません。」
冬子 :「そんな、舞ちゃん不憫です~~~~。」
舞 :「はい、ストップそこまで。冬ちゃんも草薙先生も悪乗りしすぎ。」
草薙 :「ごめんごめん。」
冬子 :「冬子、ちょっとシリアルな場面に憧れてました。この頃なかったもので。」
舞 :「それをいうならシリアス。」
冬子 :「そうとも言います。」
舞 :「そうとしか言わないよ。まったくもう。ただ風邪ひいたのとそれが引き金でラインベルグ症候群が再発しただけじゃない。」
草薙 :「そうはいうけど、一昨年だったら大問題だろう。このまんま入院だぞ。」
舞 :「でも、今はキロニーネ一錠渡しておしまいでしょ。」
草薙 :「まあ、そうだが。」
舞は原因不明の難病であるラインベルク症候群にかかっている。この病気は微熱が続き、呼吸器系の疾患を併発して、死に至る可能性のある病気だ。そのため、舞は2年前半年入院した経緯がある。幸い、特効薬キロニーネが開発され、普通に生活できるようになっている。だけど、寒くなり始めると再発する可能性がある。そのたびにキロニーネを飲む必要がある。今年は春になってから再発してしまった。
草薙 :「そうはいっても風邪もひいている。養生が必要だ。1週間の休養を命じる。その間、病院のボランティアを禁じる。重病だって言うのわかってるよね。」
冬子 :「はい、冬子よくわかりました。先生の言うこときかないで大変な思いしたこと覚えてます。今回もちゃんと言いつけ守ります。」
草薙 :「舞ちゃんもわかったな。」
舞 :「うん。しょうがない。1週間休めばいいだけだもん。それに、病院で風邪を移すわけにはいかないから。」
草薙 :「ああ、また一週間したら来てくれ。また診てあげよう。多分そのころにはすっかり治ってだろう。」
舞 :「はい。」
草薙 :「冬子さん、舞ちゃんに栄養あるもの食べさせてあげてくれ。食事療法が風邪とかラインベルグ症候群には一番の薬だ。」
冬子 :「わかりました。よりに腕をかけて料理作ります。」
草薙 :「ところで、その風邪学校で流行ってるのか?」
舞 :「うん。美鈴ちゃんもくしゅんくしゅんいってる。」
冬子 :「それで、明日、丸山さんと一緒に松井先生に診てもらうことになっています。」
草薙 :「それがいい。用心に越したことはない。舞ちゃんと違って、『再発しました、あはは』じゃ済まないからな。命取りになりかねない。」
美鈴の病気は白血病。化学療法で完全寛解に持って行っているもののまだ維持療法中。それにある程度免疫を抑えているから風邪もひどくなりやすい。
舞 :「ちょっと心配。」
冬子 :「大丈夫です。美鈴ちゃんただの風邪です。」
草薙 :「ですね。余計な心配ですね。」
そういって、冬子と舞は帰って行った。
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松井 :「まあ、大丈夫だと思いますが、念のためマルクをしておきましょう。」
美鈴の体が固まる。マルクとは骨盤に穴をあけて中の骨髄を検査することである。その痛さは大人でも悲鳴を上げるほどである。子供の場合、全身麻酔を行なって検査するのが一般的である。しかし、全身麻酔から目が覚めたときの気持ち悪さは白血病のつらい抗がん剤治療を思い出させ、あまりいいものではない。
美鈴 :「我慢する。」
松井 :「よし、いい子だ。それだけ力強ければ白血病もどっかいっちゃうよ。」
松井先生が笑いながら話をする。
辛いマルクも終え、診察室を出て行く丸山親子に松井先生があらためてにこにこしながら話す。
松井 :「大丈夫。心配しないで。」
そうやって松井先生は二人を送り出す。
二人を見送った後、松井先生は厳しい表情をする。
松井 :「再発してなければよいが。」
病院に戻りながらそうつぶやいた。
つづく