4-20.心臓移植
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
舞が西棟に来ると秋本先生が暗い顔してナース室を出て行った。松井先生と何か話をしていたようだ。
舞 :「秋本先生、こんにちは」
秋本 :「ああ、舞ちゃんか。こんにちは。」
そういうとそそくさと秋本先生は出て行った。
...どうしちゃったのかしら...
舞はそう思って、松井先生に聞いてみた。
舞 :「どうしちゃったの?秋本先生。暗い顔して出て行ったけど。」
松井 :「ああ、舞ちゃんか。なんでもない。 いや、舞ちゃんには話をした方がいいな。こっちに来てくれないか?」
そう言って、松井は舞をカンファレンスルームに誘った。
舞 :「松井先生までどうしたの?」
椅子に座るなり、舞は尋ねた。
松井 :「いや、かのんちゃんのことなんだ。」
舞 :「え? もしかして容体がよくないの?」
松井 :「ああ。この前発作を起こした。」
舞 :「うそ。それで?」
松井 :「うん、すぐに対処して問題はなかったんだけど、不整脈があったのでペースメーカーを入れる手術をしたそうだ。」
舞 :「そうなんだ。」
松井 :「でも、大丈夫だ。ペースメーカーを付けたことによる生活への悪影響はほとんどない。治れば普通に生活できる。」
舞 :「でも、一生ペースメーカーのお世話にならないといけないでしょ。」
松井 :「まあ、多分な。私は専門医でないから何とも言えないけどな。」
かのんはこの前から急速に病状が悪化し始めている。一度、こっちに来てからだ。
舞 :「やっぱり、この前、無理にこっちに来てもらったからじゃない?」
松井 :「いや、それは関係ない。むしろ逆だな。悪くなって動けなくなる前に精密検査したというのが正解だろう。」
舞 :「やっぱり、このままだと。」
松井 :「ああ、心臓移植が避けられないそうだ。」
心臓移植。リスクの大きな一種の賭けになるかもしれない。舞はそう思った。
舞 :「大丈夫。かのんなら大丈夫だよ。」
松井 :「そうだね。きっと、そうだよ。」
松井は自分自身を納得させるようにうなずいた。
舞 :「もし、心臓移植するとなったらいつなの?」
松井 :「こればかりはわからない。臓器提供者がいつ現れるかわからない。血液型など適合性があって、かのんちゃんの病状とかを考えて行われるだろう。明日かもしれないし3年後かもしれない。」
舞 :「そうだよね。臓器提供者がいるってことだもんね。」
つまり、だれかの命と引き換えに命をもらうことになる。そう考えると、複雑な気持ちになる。でも、かのんをそれでも助けたい。舞はそう思った。
舞 :「私って、わがまま」
松井 :「え? 舞ちゃんがわがままとは思えないよ。」
舞 :「ううん、わがまま。だって、早く提供者が現れて、かのんを助けたいって思ってる。」
松井 :「そうか。でも、舞ちゃん、わがままじゃないよ。」
-----------------------------------------
秋本 :「再生治療でなく心臓移植が治療方針の中心になったらしいです。」
草薙 :「そうか。」
秋本 :「舞ちゃんにはペースメーカーを埋める手術といいましたが、本当は補助人工心臓装置です。」
補助人工心臓はその名の通り心臓の働きを助けるために体の外につけた人工ポンプである。
草薙 :「心臓移植までのつなぎか。」
秋本 :「はい、早急な移植が必要でしょう。相当、悪化していますね。心臓移植をしない限り、歩けるようにもなれずく、一生ベッドの上。命の危険まであります。」
草薙 :「うん。」
秋本 :「前回、こちらに来てもらったときに心臓移植の登録も行いました。ドナーさえ現れればいつ行われてもおかしくない状況です。」
草薙 :「やはり、例の国家機関の助言を受けるべきだったか。」
秋本 :「かも、しれません。しかし、我々は親御さん含め関係者と徹底的に議論・検証した結果、引き続き上川こども病院で治療を続けると決めたんです。ここは任せるしかないかと。」
草薙 :「そうだな。」
10月のある日、草薙はある機関からかのんちゃんの心臓移植の危険性を指摘され、新しい治療法について提案を受けた。大量の免疫抑制剤の使用によるアレルギー反応の危険を指摘されたのと、今までの治療方法に変わる斬新的な治療法の提案だった。
そこで、急遽、かのんを呼び、本院の淳典堂病院で精密検査を行い、上川こども病院の主治医、淳典堂病院の血液科の医師、そして、花の丘病院の秋本先生と草薙で検討が始まった。しかし、検討の結果、アレルギー反応が起きる可能性が0ではないが低いこと。そして、あまりに突飛な治療方法について、関係者は難色をしめした。
秋本 :「確かに、アレルギー反応の危険性はあります。でも、その可能性は5%未満。これで、のこり95%の可能性を否定するのは消極的すぎます。」
草薙 :「うん」
秋本 :「しかも、提案された治療方法は体中の血液の全取り換え。さすがに乱暴です。エビデンスもないですしね。ここでも、本院でも、多分、日本中どこ探しても難しいのではないでしょうか。」
草薙 :「しかし、心臓移植は。」
秋本 :「草薙先生のお気持ちわかります。ドナーは脳死状態でなければなりません。つまり、心臓が動いているうちに取り出さないと移植はできません。ドナーの親御さんのお気持ちを考えると私もやりきれないです。」
草薙 :「それもあるが…。いや、決めたことだ。上川こども病院に任せよう。」
草薙は言いかけたが。それは最後まで続けられなかった。
草薙 :「(あいつが提案したことを無にしていいのか)」
草薙は検討会で最後まで心臓移植に反対したが、専門医でないこともあり、最後は折れた。
秋本 :「舞ちゃんにはこのことは?」
草薙 :「内緒にしている。あまりに重すぎるテーマだ。」
秋本 :「それがいいですね。」
検討に舞も参加していれば、間違いなく草薙の味方になるだろう。でも、医者でもない舞の意見など一考もされないだろう。かえって舞を苦しめるだけだ。
草薙はため息をつくとともに首を横に振った。
-----------------------------------------
12月も半ばになり、少しずつ雪が積もり始めた北海道。東京ではまだ銀杏が黄色く色づき、大阪はまだ秋の名残のあるような季節。
そんなある日のことだった。
かのんの母親のもとに主治医が緊張した顔で現れた。
医者 :「斎藤さん、ドナーが現れました。すぐにオペの準備に入ります。」
母親 :「え? ちょっと待ってください。少し相談させてください。」
医者 :「待ってあげたいのは山々ですが、ここからは時間との勝負になります。事前に説明した通り、オペに入ります。」
あわただしく準備に入る。
主治医が今度はかのんに説明する。
かのん:「やだ。こわい。」
医者 :「大丈夫だ。俺たちに任せろ。」
そう言って、決められた手順にのっとりどんどんと進行していく。
ヘリの音が聞こえてくる。ドクターヘリが着陸する。
医者 :「ドナーの心臓が届きました。」
四角い箱が運ばれてくる。そして、その箱の上には折り鶴と手紙が。
「頑張ってください。成功を祈っています」
手紙にはそう書かれていた。ドナーのご遺族の方からの手紙だった。
手紙を見たかのんの母親と医師たちは思わず目頭を押さえた。
主治医:「よし、オペ開始だ。かならず成功させる。」
こうして日本初の子供の心臓移植が始まった。
-----------------------------------------
長い時間、母親は待たされた。よくドラマとかでは手術室の前の長いすで待つシーンが出てくるが、ここでは、ナースセンターの前のロビーの椅子で待たされた。ロビーにはテレビが映しだされているが、母親の目には入っていない。一心不乱に祈るだけだった。
時折、ナースセンターから看護師がやってきて現在の状況を説明する。中から先生の一人が定期的に電話で報告をする。思ったよりも時間がかかっているとのことだった。長期戦を覚悟していた母親もすでに手術室に入って8時間たっていることにいら立ちを見せる。
母親 :「あの、まだなんでしょうか? 何か問題が発生しているのでしょうか? 無事終わるのでしょうか」
母親は10分ごとに看護師に聞く。そのたびに看護師は手術室に電話を入れる。
看護師:「時間はかかっていますが、順調です。安心してお待ちくださいとのことです。」
そういわれても、安心できない。また、10分後、母親は看護師に聞く。
母親 :「あの、まだなんでしょうか? うまく行きますよね」
母親に何度も言われながらも看護師は嫌な顔一つ見せず、手術室に電話する。そして、母親に伝える。
看護師:「時間はかかっていますが、順調です。もう少しお待ちくださいとのことです。」
でも、母親は安心できない。何度目かの質問した時だった。
看護師:「大丈夫です。予定よりかかりましたが、今、胸の縫合手術をしています。あと小一時間で終わります。」
母親がその場に崩れる。
母親 :「ありがとうございます。ありがとうございます」
その姿を見て緊張しっぱなしだった看護師もふ~と息を抜く。
しばらくして主治医が現れる。左手にビニールに入った赤いものを持ってきている。表情は何かやり遂げたといった顔をしている。
母親はロビーの他の人の視線を気にせず駆け寄る。
母親 :「あの、手術は?!」
主治医:「安心してください。手術は成功です。心臓もちゃんと動いています。まだ、拒絶反応とか、腎臓機能の低下とか予断を許さないですが、手術は大成功です。」
母親は人目を気にせず、先生の手を握り何度も何度もお礼を言う。
主治医:「とりあえず、ここではなんですので、カンファレンスルームで説明しましょう。」
そう言って、カンファレンスルームに母親を連れていく。
主治医:「かのんちゃんの心臓ですが、やはり、普通の子供に比べてかなり大きくなっていました。もうちょっと遅れると危なかったです。」
主治医はビニール袋を見せながら、まるで鼠をとった猫が飼い主に見せるように得意げに説明する。
主治医:「これからは拒絶反応との戦いになります。まずは24時間後、そして1週間後、次は3ヶ月後。ここを乗り切れば5年生存率はぐっと上がります。その後のことはその時考えましょう。我々も全力を尽くしますので一緒に頑張りましょう。」
主治医が一生懸命説明するが、母親はもうぜんぜん聞いていなかった。手術が成功した喜びでいっぱいだった。
------------------------------------------
夕方、楠木家に電話が鳴る
冬子 :「はい、冬子です。あ、いつもお世話になります。」
あきら:「『楠木です』って言ってほしいんだが。いきなり『冬子です』はないだろう。」
冬子 :「え? 本当ですか? 冬子びっくりです。すぐに舞ちゃんと変わります。」
そういうと冬子は舞に電話を差し出す。
舞 :「誰?」
冬子 :「草薙先生です。」
舞はなんだろうと首をかしげながら電話に出る。
舞 :「もしもし。代わりました舞です。」
うしろで冬ちゃんが「あきらさんは細かいことにこだわりすぎです。将来きっと髪の毛で苦労することになります。」とぷんぷんしている。
草薙 :「いいか、落ちついてきけ。」
舞 :「うん」
草薙 :「今日、かのんちゃんの心臓移植手術が行われた。」
舞 :「うそ! そんな話全然聞いていない!」
草薙 :「こればっかりはドナーが現れたらすぐに行わないといけない。だから、事前連絡がなかった。」
舞 :「それで、それで? うまくいったの?」
舞がもどかしげに聞く。
草薙 :「ああ、手術は成功だ。」
舞 :「やった~!」
草薙 :「順調に心臓も動いている。目も覚ましたらいいのだが、もぞもぞと暴れるので眠る薬を入れたらしい。明後日にはもう、話ができるだろうとのことだ。」
舞 :「ばんざ~い。ばんざ~い。すご~い。信じられない。かのん、よかったね。」
舞が涙ぐむ。
草薙 :「でも、安心するのはまだ早い。これから拒絶反応との戦いになる。まだ予断は許さない。でも、山を越したのは事実だ」
舞 :「うん。かのんなら大丈夫。きっと頑張るよ。ほんと先生教えてくれてありがとう。」
舞は涙ながらに電話の先にお礼を言う。
舞 :「かのん、大丈夫かな~」
舞は夕食の時も上の空でかのんの心配をしていた。
あきら:「大丈夫だ。かのんちゃんとお医者さんを信じろ。」
舞 :「だけど心配。今すぐにでも北海道に飛んでいきたい。」
あきら:「無理だ。北海道は遠すぎる。」
舞 :「だよね~。日帰りで帰ってくるわけにもいかないし。あ~あ。ひかるみたいに北海道に親戚いないかな。パパも和恵ママも一人っ子だからね~。」
あきらと冬子が顔を見合わせる。
冬子 :「舞ちゃんに親戚がいます。しかも北海道に。」
舞 :「え?」
冬子 :「私の兄がいます。一度舞ちゃん連れて来いとうるさいです。ちょうどいいです。明後日いきましょう。」
舞 :「へ?」
例によって突然北海道行きが決まった。
つづく