4-8.強化治療
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
松井 :「さあ、夢ちゃん、今日から強化治療です。がんばりましょう。」
夢 :「はい」
一時退院から帰ってきて再び強化治療のため入院となった。
母親 :「あの、早期発見でしたし、本人も元気に見えます。治療は軽くならないんですか?」
松井 :「う~ん、残念ですがミドルリスクですね。骨髄移植までは必要ないですが、決してローリスクではないです。現時点では再発の可能性があります。まだ、親指の先くらい悪い白血球が残っているはずです。これを徹底的にたたかないとだめです。」
母親 :「はあ」
寛解つまりほとんど治った後の治療なので、そんなにくるしい治療ではないと思ったけど甘かった。
実際は過酷を極める治療となった。
青い毒々しい液体が点滴を通して私の体の中に入っていく。この青い液体が私を苦しめる。抜け毛、吐き気、腹痛、40近い高熱。毎日のように苦しめられる。だけど、まだ、このときは何とか出歩くことができる。無理やり、院内学級に行ったり、舞ちゃんや冬子さんに来てもらったりして、色々お話して気を紛らわした。
舞 :「メロの投入が始まったんだね。美鈴もその薬を点滴してた。気持ち悪かったり、おなかが痛かったりしたら遠慮なくいってね。背中さすってあげるから。そうすれば少し楽になる。美鈴もよくそうやってあげた。」
冬子 :「そうです。冬子もお手伝いします。なんでしたら夜お泊りして看病します。」
舞 :「冬ちゃんには夜の付き添い無理だよ~。だって、一度寝たら朝まで梃子でも起きないじゃない。」
そんな二人の軽妙なやり取りを聞いてほほえましく思うとともに、私はこの二人の心遣いに感謝した。
しかし、苦しい治療はさらに続いた。メロの投入が終わると、病室の扉が閉まり、面会謝絶状態になる。私はこの病室から一歩も出られなくなる。「骨髄抑制期」に入り、免疫力が極端に落ちている。だから、準無菌室状態にするため、扉は閉まり、空気洗浄機の音が激しくなる。他の病院なら無菌室に入るところを、精神的な圧迫感から解放するため、この病院では準無菌室ですましている。もともと、クリーンフロアで無菌レベルを一段上げているため可能らしい。
この骨髄抑制期には今度は口内炎に悩まさせることになる。口の中に潜んでいた菌が私を攻撃する。普段は特に悪さをしない菌なんだけど、日和見な菌で弱った体に反応して私を攻撃する。
夢 :「お母さん、口の中気持ち悪い。四つ星のサイダー買ってきて。四つ星のサイダーが欲しい。」
だけど、お母さんがなかなか帰ってこない。一時間くらいたってやっっと帰ってきた。
母親 :「ごめんね。四つ星のサイダーなかなか無くって。」
夢 :「別に四つ星のサイダーなかったら別の出もよかったのに、もう。早く欲しかったのに。」
私は不満のはけ口をお母さんに向け困らせていた。でも、そうでもしないとやってられなかった。なんで私だけこんなに苦しめられなきゃいけないの? 私は治るの? 治っても学校の授業に追いつけるの? 同級生は受験生になったというのに自分だけ取り残されている。
夢 :「やだ、やだ」
そんな気持ちで押しつぶされそうだった。
そうやって骨髄抑制期も終わりに近づくと
松井 :「よし、まだ、回復しきっていないけど、部屋から出て院内学級に行ってもよろしい。」
と、先生から許可が出た。私は一目散に院内学級に向かう。ここが自分が病人じゃないと唯一思える場所だから。院内学級は私以外に淳君という男の子がいた。最初は二人で授業を受けていたが、やがて淳君は退院することになる。その後は新しい子が入ってくるまで当分私一人が生徒だった。だから、木ノ内先生の個人レッスン状態だった。それはそれで自分のペースで勉強できたからよかった。だけど、他の同級生と比べたら明らかに遅れている。
治療がひと段落すると一時退院まで治療も小休止となる。そうなると今度は暇という敵が現れた。特に院内学級も舞ちゃんや冬子さんもいない日曜日は暇だった。そうすると、今度は自問自答し始める。私は何になりたいのか? それ以上になんのために生まれてきたのか? お母さんやお父さんに迷惑ばかりかけてる。 いったい私はなんなのか。このまま一生迷惑かけ続けるのだろうか? そういう思いにさいなまされる。
つかさ:「不安な気持ちはわかります。でも、病気の時は後ろ向きに考えがちです。 絶対治りますから、今は治療に専念しましょう。」
草薙 :「治療に関しては、俺たちに任せておけばいい。夢ちゃんは治った後、どう楽しむかを考えてればいいんだ。って、このセリフは俺の元婚約者の口癖だった言葉だけどな。」
そうやって、私を励ましてくれる。
一方、舞ちゃんは、色々遊んでくれるけど、ちょっと違った。
舞 :「ねえ、ねえ、このカードの意味って何? いつ治るんですかって占ったんだけど戦車の逆位置が出ちゃったの。これって難しいよね。」
夢 :「それは、停滞を現すの。だから、今は闇の中だけど、少ししたら状況が変わるって解釈すればいいよ。確かに難しいよね。いろんな人占って経験積むといいよ。」
舞 :「淳君の似顔絵描いたんだけど、全然似てないってみんないうの。淳君も不機嫌になっちゃった。何がおかしいんだろう。」
夢 :「う~ん。デッサンがやっぱりうまくできてないの。でも、まだ、小学2年生になったばかりでしょ。できなくて当たり前、いっぱいいっぱい絵を描いて練習すればうまくなるよ。」
そうやって、私は舞ちゃんを励ました。この状況はでも、あべこべ。本当は私が舞ちゃんに励まされるべきだけどね。ところが、舞ちゃんにタロットや絵を教えていたら、今度は話を聞いた東棟の子供たちが私の周りにやってきた。
女の子:「夢ねえちゃん、私の似顔絵描いて!」
男子高校生:「夢ちゃん、俺の絵も見てくれないか? 将来漫画家になろうとしてるんだけどどうかな? ちゃんと書けてるかな? 何か気付いたことを遠慮なく言って欲しい。」
看護師:「ねえ、ゆめちゃん、私の恋、成就するか占って欲しい。みんなに内緒でお願い。」
とうとう看護師のお姉さんの恋の相談にまで占うことになってしまった。なんだか、急に忙しくなった。そして、一時退院、みんなさびしそうに私を見送る。
舞 :「早く帰ってきてね。」
夢 :「あの~。本当はもう二度と来たくないんだけど。」
舞 :「そうだよね。でも、夢ちゃんがいないとこの病院、すごくさみしい。」
女の子:「病気治らないように祈ってます。治っちゃうと来なくなっちゃうから。」
私にとっては複雑な心境だった。一刻も早く治して受験体制に入りたいのに。そう、高校に入って、短大に入って...
あれ? そのあと私何したいんだろう。そういえばよく考えていなかった。
一時退院が終わると再び強化治療に入った。また、あの毒々しいメロを点滴して、高熱と吐き気と腹痛に悩まされる。それが終わると口内炎との戦い。前回と同じだけど、今回は慣れもあって少し違った。熱にうなされながらも私は考えていた。
夢 :「私は将来何になりたいの?」
そうやって、2回目の骨髄抑制期が終わり、再び院内学級に出てくる。
いつものようにそこには舞ちゃんがいた。この子はなんでここにいるんだろう。その疑問がふつふつとわいてきた。他に遊びたいことだって一杯あるだろうに。ここが楽しいのだろうか? それとも優等生を振るまいたく、ボランティア活動してるのだろうか?
ある日、私は舞ちゃんに聞いてみた。半分、この優等生への当てつけだったかもしれない。
夢 :「舞ちゃんは、なんで病院にボランティアに来てるの?」
舞 :「え?」
夢 :「だって、ほかにももっと遊ぶことあるでしょ。舞ちゃんの友達はみんな退院したじゃない。それに、小学生に内申書とかないでしょ。ボランティアしたってぜんぜん得じゃない。」
私は、舞ちゃんが病院にいるのは何か得になることがあるから、あるいは偽善だと思った。
舞 :「ほんとよね。かのんも美鈴も退院しているんだから、病院に来る必要ないんだけどね。でも、」
夢 :「でも?」
舞 :「ある人と約束したから。その人の約束を守るのが楽しいからかな。」
夢 :「ある人との約束?」
舞 :「うん。」
夢 :「どんな約束なの? 私にも教えて。」
舞 :「えへへ、今は教えられない。でも、夢ねえちゃんが退院した時、教えてあげる。その時まで期待しててまっててね。」
舞ちゃんはそう言ってはぐらかした。
でも、楽しいからここにいる。それだけは理解できた。
私は次にもう一人、不思議な人に同じような質問した。
夢 :「冬子さんはなんでここでボランティアをしてるんですか?」
冬子 :「夢ちゃん、それはグットクエスチョンです。簡単です。楽しいからです。」
夢 :「でも、冬子さんは調理師学校でて、東京の有名なホテルで修行して、将来はホテルのコック長になることだって夢じゃなかったって聞いています。今でも、レストラン開けばあっというまに有名店になる実力持ってますよね。」
冬子 :「でも、楽しくなかったです。ホテルに来るお客さんはみんな偉そうな人で、そのホテルの名前で満足して、味なんてどうでもよかった人ばかりです。そして、コックの人たちは腕前を競うのでなく、いかにコック長に気に入られるかに力を注いでいました。派閥ができて、その派閥の戦いをやってました。そんな世界に冬子疲れてしまいました。」
夢 :「え? そんなことがあったんですか」
冬子 :「だけど、去年、舞ちゃんの看病をしながら、私は頭を後ろから殴られるくらいのショックを受けました。ここでは、懸命に生きるために純粋に純粋に頑張ってる子ばかりです。名誉とかお金とか出世とか派閥とか関係ないピュアな世界です。そんな子どのたちのために何かお手伝いしたいと思い始めました。」
夢 :「すごい、やっぱり冬子さん大人。」
冬子 :「ありがとうございます。でも、ただのボランティアだけどはいけないと思ってます。やっぱり、しっかりした職業なり、技術を身につけないといけないと思ってます。だから、今、通信制の大学に入って勉強をしています。どうしてもある仕事に就きたいんです。そのための資格を得るには大学を卒業しないといけません。だから、今、頑張っています。」
そうやって冬子さんは自分の夢を語り出した。その夢は私にとってあまりに遠い困難な夢に思えた。でも、この人ならできるんじゃないかとも思った。
夢 :「やっぱり、冬子さん大人です。夢に向かってしっかり走ってます。」
冬子 :「夢に向かうのに大人も子供も関係ないと思います。ところで、夢ちゃんは将来何になりたいんですか?」
夢 :「う~ん、やっぱり絵を描くのが好きだからイラストレーターとかそっち関係の仕事ををしたいと思ってるんですが、まだ、漠然としてて。」
冬子 :「すばらしい夢です。冬子、今年一番の感動しました。夢ちゃんかっこいいです。でも、冬子と同じ間違い起こしそうです。」
夢 :「え?」
冬子 :「絵を描くことが好きですか? それとも、その絵を見せて、周りの人を感動させることが好きですか? 『ありがとう』って言ってもらえることが好きですか?」
夢 :「あ」
冬子 :「余計なことかもしれませんが、冬子は料理を極めることが好きだと思ってました。でも、本当はそうじゃなくって、料理を通して、「ありがとう。とってもおいしかったよ。」って目をきらきらさせて言ってくれるのが好きだったんです。」
冬子 :「料理は手段であり目的ではなかったんです。」
夢 :「私もそう。私は絵が好きなんじゃなくて、絵を通して『ありがとう』って言ってもらえるのが好きなんだ。」
冬子 :「多分そうだと思います。舞ちゃんに、似顔絵やタロットを教えていたときは生き生きと目を輝かせていました。他の子供たちに似顔絵を描くのをせがまれても、絵の批評をするよう求められても、いやな顔一つせず付き合ってます。」
私は目からうろこが落ちた気分だった。そう、私のやりたいことは似顔絵を描くことでも、タロット占いをすることでもないんだ。受験勉強で他の同級生と比べて遅れていることを気にしていた自分が馬鹿らしく思えてきた。
夢 :「冬子さん、ありがとう。やっぱり冬子さんは『冬のかあちゃん』だよ。」
冬子さんはにっこり笑った。
でも、私は誰にありがとうと言ってもらいたいんだろう?
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その後、私は懸命に辛い治療を続けた。ずっと、舞ちゃんと一緒だった。調子のいい日は舞ちゃんが一緒に遊んでくれたり、あるいは舞ちゃんにタロットや絵を教えたりしながら過ごした。その間、いっぱい、話をした。好きなこと。学校のこと。将来のことなどまるで同級生のように話した。ううん。同級生以上に見栄とか張らずに済んだ分、素直に話せた。
そして、冬子さんには一杯相談に乗ってもらった。将来のこと、家族のこと、恋愛のこと。そして、冬子さんはじっくり聞いてくれたあと、色々助言をしてくれた。その話は冬子さんの経験をもとにしたためになる話ばかりだった。
それらは、つらい、治療の中での一服の清涼剤みたいな時だった。
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半年以上たって、私はやっと退院する日を迎えた。辛い治療にも耐え、骨髄抑制時の感染もなかった。その日もやっぱり、舞ちゃんと冬子さんは、院内病院に来ていた。
冬子 :「夢ちゃん、退院おめでとうございます。」
舞 :「おめでとう、夢ねえちゃん。でも、これから、さびしくなっちゃう。もうちょっと入院しない?」
夢 :「こらこら、退院する人を引きとめてどうするの。しかも、舞ちゃん、健康児じゃない。入院患者ならともかく。外で、いつでも会えるわ。」
舞 :「そうなんだけどね。」
夢 :「そういえば、約束覚えてる? 退院した時、なぜ、ボランティアしてるか教えてくれるって。」
舞 :「うん、覚えているよ。だって、退院した時じゃないと話せないんだもん。」
そういって、舞ちゃんは私に話し始めた。
舞 :「たかしにいちゃんとの約束なんだ。院内学級に伝わる物語ってたかしにいちゃんが作ったんだ。だけど、作っただけでは、みんなに伝わらない。読んであげて初めて伝わるもの。」
夢 :「うん。」
舞 :「私は、辛くても頑張っている院内学級の人たちや入院している子供たちに少しでも励ましや慰めになるようにご本を読んでるの。それで、最後にみんなが笑って退院していくのが楽しみなんだ。その時、心の中でたかしにいちゃんと『よかったね』って話すんだ。」
夢 :「そうだったんだ。たかしさんは舞ちゃんにその本を託したってことは遠くに住んでる子なんだね。」
舞 :「うん。とても、遠いところに住んでる。遠すぎて会えないところ。たかしにいちゃんはこの西棟から出られなかったんだ。」
夢 :「え?!」
舞 :「西棟はそういうところ。みんながみんな治るわけじゃない。たかしにいちゃんだって自分で自分の物語を話したかったはず。」
夢 :「...」
舞 :「たかしにいちゃんの夢は『大人になること』。きっとそうだった。だけど、そんな誰でもかなえられるこの簡単なことができなかった。」
夢 :「...」
舞 :「たかしにいちゃんが自分の病気が治らないと気付いた時、この物語を語り継ぐことを私に託したの。だから、私が代わりにやってるの。」
夢 :「そうだったんだ。」
私は恥ずかしく思った。辛いのは私だけではなかったんだ。死にそうな思いをしたけど、死んだわけじゃない。西棟から出られる私はラッキーなんだ。私は思わず涙ぐんだ。
夢 :「舞ちゃん、冬子さん、ありがとう。私、将来のこといろいろ悩んでたけど、今、はっきりやりたいこと決まった。」
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私は退院してからすぐに受験勉強に取り掛かった。決して頭はよくないけど、目標に向かって頑張った。病気のこともあるので無理は出来なかったけどできる範囲で頑張った。そして、春、私は定時制高校に入学した。学校の先生は全日制でも十分いける学力なのにもったいないと言ってくれたが、私はある目的のためと体を治すために定時制に入学した。
そして、一年間療養したのち看護学校に入学した。午前中は看護学校、夜は定時制の高校という生活だ。私にとってやりたいことは冬子さんや舞ちゃんと同じように、病気の子供たちを勇気づけてあげること。それが私にとって楽しいことだから。
そして、2年間頑張って、准看護師になってこの病院に戻ってきた。
もしかしたら、もういないかと思ったけど、やっぱり女の子がそこにいた。少し大きくなった舞ちゃんだった。それに冬子さんもいる。
舞 :「おかえりなさい、夢姉ちゃん。」
冬子 :「おかえりなさいです。夢ちゃん。」
夢 :「ただいま。舞ちゃん、冬子さん。」
おしまい
夢ちゃんの物語はこれで終わりですがトリックエンジェルはまだまだ続きます。
いかがでしたでしょうか? 4章の中でも結構お気に入りの作品です。思春期にだれでも悩む将来のこと。それは闘病中の人だって同じ。今、まさにこの瞬間、病気と闘い将来のことを悩んでいる中学生にエールを送ります。がんばれ。そして、やりたいものを目指しなさいと。