3-4.音叉(おんさ)
この物語にでてくる薬名、治療法、一部の病名、一部の物理法則はフィクションです。
くるみ:「いただきます。」
詩音 :「いただきます。」
一日中冷え込んでいる2月の土曜日の昼下がり、くるみと詩音はくるみの家の庭にあるサンルームでお茶会を開いていた。くるみがわざわざ土曜のお茶会のために増築した部屋である。ここからだと冬の寒さを感じないで、外でお茶をしている雰囲気が味わえる。
今日はスポンジケーキとドーナツと紅茶だった。
詩音 :「ミス・ラヴェンダーのお茶会?」
くるみ:「そうなの。詩音ちゃんさすがなの。赤毛のアンなのよ。」
赤毛のアンの第二巻「アンの青春」の中に出てくるロマンティックでちょっと変わり者のミス・ラヴェンダーがアンにお茶をすすめるシーンに出てくるお菓子である。
詩音 :「くるみちゃんに借りた本の中にあったから。やっぱり、アンシリーズは『アンの青春』が一番よね。」
とても小学1年生の感想とは思えない。
くるみ:「わたしも『アンの青春』は好き。特にミス・ラヴェンダーは好きなの。」
詩音 :「うん、『アンの青春』はミス・ラヴェンダーの物語みたいなものだからね。」
くるみちゃんもミス・ラヴェンダーも変わり者同士だからねとは口には出さなかった。
くるみ:「でも、赤毛のアンならともかく、難しい『アンの青春』なんてよく読めるの。詩音ちゃんすごいかも。」
詩音 :「αベクトル空間に持ち込んじゃった。あそこなら時間はたっぷりあるから。」
αベクトル空間では通常の時間は流れない。そのかわりαベクトル空間の時間が流れる。そのため、年を取ることなく悠久の時間が流れていく空間である。
詩音 :「一度あそこに呼ばれちゃうと長いときは2週間とか一ヶ月とか帰ってこれないからひま。まるでミス・ラヴェンダーがこだま荘で隠遁生活してるみたいなの。」
くるみ:「突然呼ばれて、帰る時間は不明確。とっても困るの。あそこに自由に行きたいときに行けて帰りたいときにかえることできたらどんなに便利でしょう。」
二人がここ数ヶ月悩んでいるところに結局話題は行き着いた。しかし、打開策も考えられず悶々としている。
詩音 :「早く何とかしないと。」
くるみ:「草薙先生が舞ちゃんを助け、草薙先生の代わりに番井先生が死んだことにより、対世界のバランスが崩れ始めてるのね。」
詩音はαベクトル空間にノートをおいて舞との連絡帳代わりに使っている。その結果、和恵ママと番井先生が向こうにはいないことを知り、その影響が出始めていることを気にしている。
詩音 :「早く向こうに介入して、バランスを元に戻さないとαベクトル空間がバランスを崩して崩壊する。」
くるみ:「うん、でも、スランプなの」
詩音 :「ごめんなさい。あせらせちゃったね。でも、それが普通よね。そんなにポンポン真理を発見したら毎年ノーベル賞もらわないと間に合わないよ。」
くるみ:「そうかも。でも、こんなときは気分転換が必要なの。」
詩音 :「気分転換?」
くるみ:「うん。詩音ちゃんにピアノ聞かせてあげるの。」
くるみはサンルームの中にある電子ピアノに向かおうとした。真っ青になる詩音。
詩音 :「え? ミス・ラヴェンダーのお茶会にはピアノは出てこないよ。『妖精の角笛』だよ。」
必死に話題をそらそうする詩音。お世辞にもくるみのピアノは上手とはいえない。そのくせ人に聞かせるのが好きだ。いわゆる下手の横好きである。ジャイアンのカラオケと一緒である。
くるみ:「うちには『妖精の角笛』はないの。かわりにピアノがあるの。詩音ちゃん、ピアノ聞いて欲しいの。」
言葉は穏やかだが、有無を言わせぬ迫力でくるみが迫る。
パパとか和恵ママとか呼んで犠牲者を増やそうと考えた詩音であったが、もう間に合わない。
詩音 :「そうだ、くるみちゃん、ピアノじゃなくてバイオリン弾いて。」
天は二物を与えない。くるみはピアノだけでなく楽器全体が苦手だ。だけど、しょうがない。まだ、両親の影響を受けましなほうのバイオリンを詩音はリクエストした。
くるみ:「わかったの。今日はバイオリンにする。」
くるみがニコニコしながらバイオリンを取りに言った。ドキドキしながら待ちつづける詩音
詩音 :「処刑の場にひかれていく人の気持ちが、今やっとわかったわ。」※
ぼそっと、独り言を言う。
くるみが戻ってくる。バイオリンケース以外に何か持ってきた。金属でできたYの字になっている棒だった。
詩音 :「くるみちゃん、何もってきたの?」
くるみ:「音叉なの」
詩音 :「音叉?」
くるみ:「うん、この頃バイオリン弾いてないから調律しないといけないの。長いこと弾いていないと音がずれるから、時々音あわせをするの。それがこの道具。」
くるみは音叉を叩いて鳴らしてみる。
...コーン
小さな音がかすかに聞こえる。
詩音 :「音小さくてこれじゃ聞こえない。」
くるみが詩音の頭の上に音叉を乗せる。まるで頭の中で鳴っているように聞こえる。
くるみ:「頭の上とか口にくわえて使うの。」
詩音 :「なんか不便。もっと普通にしてて音大きくならないの?」
くるみ:「??」
くるみ:「う~ん。ちょっと待ってて。」
くるみは2階に行ってがさがさ何かを探している。
しばらくして木の箱みたいなものを持ってきた。
くるみ:「あったの」
くるみは木の箱をおいて、再び音叉を鳴らす。そして木の箱の上に音叉を差し込む。今度は木の箱から大きな音が聞こえ出す。
詩音 :「?!」
くるみ:「共鳴箱というの。」
詩音 :「共鳴箱?」
くるみ:「うん、共鳴箱。この音叉とこの箱が共鳴して大きな音がでるの。共鳴すると小さなエネルギーでも大きなエネルギーになることができるの。」
詩音 :「へ~」
くるみ:「お風呂で身体を小さく前後に揺らしたりするとそのうちお風呂の水があふれたりするのと同じ。」
詩音 :「ああ、知ってる。大きな橋が風に吹かれて突然壊れたりするのと一緒でしょ。この前テレビでやってた。」
くるみ:「詩音ちゃん。すごいの。頭いいの。」
詩音 :「へへ」
詩音は照れくさそうに頭をかいた。
くるみ:「共鳴はその物体が持っている固有振動数が一致するとおきるの。固有振動数はその名のとおりその物体が持っている特定の振動。」
詩音 :「固有振動数?」
くるみ:「うん。式で書くとこうなるの」
くるみは固有振動数の式を詩音に書いて見せた。
くるみ:「この振動数が一致すれば共鳴が起きて小さなエネルギーでも大きな力が発生するの。」
詩音はその式をじ~っと見つめていた。そして、見る見る顔色が明るくなっていった。
詩音 :「『共鳴させられれば小さなエネルギーで大きな力を出せる...』 ああ! わかった!」
くるみ:「???」
詩音 :「αベクトル空間への行き方!」
くるみ:「え?」
詩音 :「共鳴させればいいんだ! そうすれば240GeVものエネルギーがなくてもいい。 それにこの式間違っている! だって、α軸方向の時間の記述がない!」
くるみ:「あ。」
二人で顔を見合わせる。
詩音 :「この世界での時間軸で共鳴が起きるように、α軸方向の時間も共鳴が起きるはず。だから、α軸の固有振動数がわかれば共鳴させることができる。」
くるみ:「詩音ちゃんがαベクトル空間に行けるのは、きっとαベクトル空間の門の固有振動数と詩音ちゃんの固有振動数が一致して共鳴しているから。だけど、好きなようにいけないのはまだ共鳴がたらないから。」
詩音 :「音叉を私の頭の上で共鳴させるのでなく、共鳴箱のようなものを使って共鳴させればもっと大きなエネルギーがだせる。」
くるみ:「そうやって、α軸方向の時間で共鳴させれば、向こう側のエネルギーがどんどん溜まってとほうもないエネルギーになる。しかも、それにかかる時間はα軸の時間だから、この現実世界ではほんの一瞬でしかない。だから、好きな時に自由に出入りができる。」
詩音 :「ブレイクスルーした!」
くるみ:「うん、うん。」
詩音 :「そうするとガウス平面状での固有振動数はこうゆうふうに表されるから、これをα軸上にフーリエ展開するとこうなる。」
詩音がフーリエ展開した式を見せる。それをくるみが少し手直しする。
くるみ:「できた。これでいける」
詩音 :「すごいすごい。これって『固有時間振動数』って名づけない?」
くるみ:「うん、賛成なの。」
詩音 :「後は、その人の固有時間振動数をフーリエ展開でスペクトラム分析すれば誰でもいけることができる。」
くるみ:「うん。でももう一つ問題があるの。この共鳴箱と一緒で共鳴させるに適した材質があるはず。それを使って共鳴させないとうまくいかないはず。」
詩音 :「適した材質?」
くるみ:「うん。触媒みたいなもの。多分この世にありふれているもの。そして『なんでこれが?』って言う感じのものだと思う。」
詩音 :「つまり、触媒となる材質とその人の固有時間振動数を見つける方法を探し出せばいいのね。」
くるみ:「簡単に言うけど大変。」
詩音 :「うん、でも、今まで比べればすごい進歩した。なんかワクワクしてきた。」
二人はもうお茶会もバイオリン演奏もそっちのけで「くるみの第三定理(Shion's theory)」を作り上げていった。
つづく
※L.M.モンゴメリー著 掛川恭子訳の「アンの青春」(講談社)からの引用
ポッチ:「うまく、ピアノから逃げたわね。」
詩音 :「ちっちっち。あの後、パパとママが帰ってきて、お夕飯のときに披露していただけたわ。犠牲者増えたのは良かったけどね。」
ポッチ:「あはは、結局逃げ切れなかったんだ。ご愁傷さま。さて、次回トリックエンジェル第25話は」
詩音 :「『3-5.対世界』です。再び番井先生登場です。」