第6話 「その夜、何が『消えた』のか」~3年C組、45分間の密室推理・第六章~
※この作品は『彼女の計画』シリーズのスピンオフですが、本編未読の方でも独立した作品としてお楽しみいただけます。
【前回までのあらすじ】
十月。
学級委員の再選挙で、誰もいない後ろの席から手が挙がる現象が起きる。
机には『私は、ここにいる』の文字。
沙織が描いた教室の絵には、7人目の背中が写り込む。
そして後日、あの席には『私が手を挙げたのに』というメモが置かれていた。
窓の外の揺らぎは、確実にこちらに近づいている。
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【第六章】
十一月『その夜、何が「消えた」のか』
1
十一月。
修学旅行の季節がやってきた。
行き先は京都。
紅葉がちょうど見頃を迎えている。
新幹線の中はいつもより騒がしく、クラスメイトたちはお菓子を分け合い、カードゲームに興じている。
でも、6人だけは少し違った。
窓側の席に座る拓は、流れる景色を見ている。
その後ろの席で瞳は何かを考え込むように窓の外を見ている。
康介はスマホで何かを確認している。
沙織はスケッチブックに景色を描いている。
Eは文庫本を読んでいる。
純は――全員を静かに見ていた。
新幹線の車内アナウンスが流れる。
「まもなく、京都駅に到着します」
2
一日目は班別行動。
6人は偶然同じ班になった。
いや、偶然ではないのかもしれない。
気づけばそうなっていた。
それがこの6人の「いつものこと」だ。
清水寺、二年坂、三年坂。
紅葉に彩られた観光地を巡る。
でも、誰もがどこか上の空だった。
昼食時、小さな蕎麦屋に入った。
窓際の席に座る6人。
沙織が突然、言った。
「ねえ、昨日の夜、変な夢見た」
「どんな?」
「教室にいたの。夜中の教室に。
で、あの後ろの席に誰か座ってるの」
全員の手が止まる。
「で、その人、こっち向いて言ったの。『私のこと、覚えてる?』って」
沈黙。
Eが、小さく言った。
「私も……似たような夢見た」
拓が顔を上げる。
「Eも?」
「うん。でも、その人の顔が見えなくて。もっと近づこうとしたら、目が覚めた」
康介がスマホをいじる仕草をしながら、呟く。
「……集団催眠みたいなものか」
瞳が首をかしげる。
「でも、同じ夢を複数人が見るなんてこと、あるの?」
誰も答えない。
純だけが、窓の外の紅葉を見ていた。
3
その夜。
旅館の大広間で夕食を終えた後、6人は別々の部屋に戻ることになっていた。
男子は拓と康介が同室。女子は瞳、純、沙織、Eの4人で一部屋だ。
それぞれの部屋に戻る前、廊下で少し立ち話をしていた時のこと。
沙織がスマホを取り出して言った。
「今日の反省とか、明日の予定、LINEノートにまとめておこうか」
特に反対する者もなく、沙織がノートを開く。
数人のクラスメイトが「いいね」やスタンプを既に押しているのが見える。
「今日の班行動で、迷子になった班があった件」
「明日の朝食の集合時間」
「お土産買う時間が足りないって意見」
普通の話が続く。
でも、一人だけ、ほとんど話さなかった。Eだ。
沙織がEに振る。
「Eは何かある?」
Eは少し間を置いた。その目は、どこか遠くを見ているようだった。そして、ゆっくりと口を開いた。
「……あの、前に図書館で見た本の話なんだけど」
「本?」
「うん。『彼女の計画』っていうタイトルの小説。作者の名前は忘れちゃったんだけど……読んでいて思ったんだ。これ、なんか私たちのクラスのことみたいだなって」
数人が顔を見合わせる。
沙織が首をかしげる。
「どういうこと?」
Eは続ける。一度口を開いたら、止まれなかった。
「非常階段が出てくるシーンとか、アンケートで決める場面とか、『気づいたら決まってた』っていう感じとか。偶然にしては、似すぎてる気がして……」
瞳が口を開く。
「E、それは偶然でしょ。小説は小説だよ」
でも、純は何も言わない。ただ、Eを見つめている。
Eの声が、わずかに震えた。
「別に、誰かを疑ってるとかじゃないんだ。ただ……もし本当に偶然だとしても、なんか、私たちってずっと誰かに見られてたみたいで、それがちょっと怖いなって思っただけ」
誰も何も言えなかった。
廊下の窓の外には、京都の夜景が広がっている。でも、誰もそれを見ていなかった。
4
「まあ、そんなことより、お風呂行こうよ」
誰かの声で、その場はなんとなく解散した。
Eもそれ以上追及しなかった。純も何も言わなかった。ただ、わからないまま、夜は更けた。
それぞれが自分の部屋に戻る。女子4人の部屋では、沙織がもう一度LINEノートを開き、さっきのメモを簡単に書き足した。Eの発言の内容を、要約して。
そして、灯りが消される。
翌朝。
沙織がLINEノートを開く。昨夜のメモを確認しようとして、手が止まった。
「……え?」
同じ部屋の瞳、純、Eが顔を上げる。
「どうしたの?」
沙織はスマホの画面を皆に向けた。
昨夜書いたはずのEの発言の要約が、丸ごと削除されていた。
「昨夜のEの話、消えてる……」
沙織は自分のスマホを何度も確認する。でも、確かに消えている。
でも、不思議なことに、既読の数は増えている。誰かが「読んだ」ことだけは確かだ。
「誰が削除したの?」
沙織は言う。
「私、編集権限は持ってるけど……消してない。昨夜はあの後、すぐ寝たし」
別の部屋から康介と拓もやってくる。沙織が事情を説明する。
康介も自分のスマホで確認する。
「確かに消えてるな……でも、俺は消してない」
瞳も、拓も、首を振る。
Eも、自分は消していないと言う。
純は、何も言わなかった。
誰が削除したのか。
誰も消したと言わない。
でも、Eの発言は消えた。
5
沙織は、LINEノートの編集履歴を確認した。
「編集履歴を見れば、誰が消したかわかるかも」
画面をスクロールする。
昨夜の23時47分。編集があった。
でも、編集者の名前が表示されていない。
匿名編集だった。
「匿名で編集できる設定じゃないはずなんだけど……」
沙織が設定を確認する。確かに、編集者の名前は表示されるはずだ。
なのに、表示されていない。
ただ、その匿名編集の記録の横に、小さなアイコンが一つ表示されていた。
誰かがログインしていた証拠。
沙織は、そのアイコンをじっと見た。
「……これ、誰だっけ」
見覚えがある。でも、思い出せない。
瞳がのぞき込む。
「それ、クラスの誰かのアイコン……?」
クラスのLINEグループで使われているものではない。でも、確かにどこかで見たことがある。
拓が静かに言った。
「あの席のやつかもな」
誰も答えない。
でも、その可能性を、誰も否定できなかった。
6
その日の班行動中、Eはほとんど口をきかなかった。
沙織が何度か話しかけたが、上の空だった。
夕方、金閣寺の前で。
沙織はEを見つけた。一人でベンチに座り、何かを考え込んでいる。
「E、大丈夫?」
Eは顔を上げた。その目は、少し潤んでいるように見えた。
「沙織……私、昨夜、何て言ったか、覚えてる?」
沙織は答えようとして、止まった。
(昨夜のEの言葉……何て言ったっけ?)
思い出せない。
大事なことを言った気がする。でも、その内容がまったく出てこない。
「ごめん、私も……思い出せない」
Eはうつむいた。
「私も、思い出せないんです。すごく大事なこと言った気がするのに、何だったか……」
沙織は、拓たちのところに戻って確認した。
「Eが昨夜言ったこと、覚えてる?」
康介が首を振る。
「何か言ってた気はするけど……内容が出てこない」
瞳も同じだった。
「夢の中で見たみたいに、ぼんやりしてて……」
拓も首を振る。
純だけが、何も言わなかった。
拓が呟く。
「記録が消えると、記憶も消えるのか」
7
その夜、旅館のロビー。
沙織は一人でソファに座っていた。
同じ階のどこかで、クラスメイトたちの笑い声が聞こえる。でも、確かめに行けない。
ロビーを通り過ぎる家族連れ。
母親と、小学六年生くらいの女の子。
その子が、一瞬だけ沙織を見た。
目が合った。
でも、それだけだ。
女の子は母親と何事か話しながら、奥へと消えていった。
沙織はその背中を見送りながら、思う。
(あの子は、何も知らない。この旅館で何が起きているかも、私たちが何を抱えているかも)
(それでいいのかもしれない。知らない方がいいこともある)
その時、沙織のスマホが震えた。
LINEノートに、新しい投稿があった。
開いてみると、それは――
昨夜削除されたはずのEの発言の要約が、なぜか復元されていた。
でも、投稿者は「不明」になっている。
沙織はゾッとした。
誰かが、消して、また戻した。
その「誰か」は、今もどこかで見ている。
8
翌日、帰りの新幹線の中。
沙織はもう一度LINEノートを開いた。
Eの発言の要約は消えたまま。
でも、既読の痕跡だけは残っている。全員が「何か」を読んだことは確かだ。
それが、唯一の証拠だった。
窓の外の景色が流れる。
拓が、ぽつりと言った。
「“消えた”んじゃないのかもしれないな」
「え?」
「“消された”んだ。誰かに」
誰も答えない。
でも、その「誰か」が、今もどこかで私たちを見ている。
それだけは確かだった。
沙織は窓の外を見た。
京都の街が遠ざかっていく。
その風景の中に、一瞬、見覚えのある背中が浮かんだ気がした。
7人目の背中。
でも、すぐに消えた。
9
学校に着き、解散する。
教室を出る最後の一人は、今日も純だった。
机の上に、一枚のメモが置かれている。
『消えても、痕跡は残る』
純はそのメモをポケットにしまい、窓の外を見た。
フェンスの手前。
揺らぎはもういない。
でも、確かに「いた」痕跡だけが、そこに残っている気がした。
いや、違う。
揺らぎは、フェンスの手前から、もっと近くに来ている。
校庭の半分ほど。確実に、距離が縮まっている。
もうすぐ、ここまで来る。
その時、教室の後ろの席で、何かが動いた気がした。
純は振り返った。
誰もいない。
でも、机の上に、新しいノートが置かれている。
表紙には何も書かれていない。
でも、開いてみると、最初のページにこう書かれていた。
『私は、ずっとここにいた』
その文字は、さっきまでそこになかった。
純は、そのノートを閉じた。
窓の外では、十一月の光が、何もなかったかのように降り注いでいる。




