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「凛くんはこんな荒唐無稽ともいえる話を、すんなり信じてくれるんだね」
そんな事を言われ初めて凛は、はっとした様に考え込んだ。そして、
「そうですね・・・・多分、俺は初めから何を言われても信じていたと思います」
「それは、どうして?」
「目の前であれだけ不思議な事を見せられて、信じないなんて事は考えません」
確かにそうかもしれない、と依子は頷く。
悪魔に憑かれているとはいえ、普通の感性を持った凛ですら、目の前で振るわれた力をすんなり受け入れてしまう。
ならば、凛の父親の理央の様に特殊な宗教に傾倒している人達が、依子や奏の力を間近で体験してしまったらどうなるのか。
理央に対しては度を越した悪魔崇拝に、自分らを崇めてみればとけし掛けていたが、本来依子達はそういうのを一番嫌い警戒している。
過去に、歪んだ宗教概念をもつ人間に、奏の能力が目を付けられた事があったからだ。
たまたま、奇跡を受けた親族に独特の思想を持つ人がいた。
目の前で奏の奇跡を見てしまった彼は、奏を神の様に崇め信仰しストーカーの如く付きまとい始めた。
そして、とうとう誘拐未遂を起こしてしまう。
逮捕された彼は警察官や弁護士に切々と訴えたそうだ。
―――彼女は神だ、と。
だが当然のようにまともに取り合う者は無く、統合失調症と診断され病院にいまだ入院しているという。
その他にもこまごまとしたトラブルに巻き込まれそうになったことが何度かあり、今では奇跡に関する依頼は全て断っていた。
その事に関し、逆恨みをしてくる人もいないとも限らず、ここに来て奏の噂が理央の口から出たことに、遠野家ではかなり敏感になっているのだ。
「父の言っていた事も気になるけど、奏は大丈夫なんですか?また、狙われたりしないんですか?」
見知らぬ人に付け回される。凛にとっても何時も身近に起きていた事で、常に気を張り続けなければならない辛い事だった。
自分は身を守る為に体を鍛えたが、奏は女性だ。どんなに頑張っても男の力には敵わない事もあるだろう。
「そうだね・・・正直な所、今頃こんな話が出てきて戸惑っているよ。神威と吉祥が動いているから、いずれは噂の出どころは分かると思うがね。それまでは、奏自身に気を付けてもらうしかないだろうな」
「なら、俺がなるべく奏と行動を共にすれば、一人でいるより安全だと思います」
「凛くんが?だが、君にそこまで負担を掛けるつもりはないよ」
「いえ、助けてもらった恩返しの気持もあるけど、それより心配なんです。俺はこう見えて空手は有段者なんです。それに、俺の高校と奏の大学は意外と近いんです」
凛の通う男子校は奏の通う大学の、徒歩五分ほど先にあった。
「ほぉ、凛くんはあの有名男子校に通っていたのか。・・・・そう言えば、昨日着ていた制服は確かにあの高校のものだったね」
凛は自宅からは遠くバス通学しているが、進学で有名な男子校に通っていた。ただ、依子の家からは徒歩で行けるほど近い。
奏も、家から近い事で今の大学を選んでいた。
「なら、頼んでもいいかな?・・・あ、でも奏といても大丈夫なのかい?好きな人とか付き合っている人はいない?誤解を招く様な事は本意ではないからね」
「そんな人はいませんよ。そういうのが嫌で男子校に決めたんですから」
「おや、そうなのかい。なら、奏の事を頼もうかな」
「はい。シロもいるので、今まで苦しめられた分、扱使おうと思います」
「ぷっ・・・いいね。そういうの好きだよ。―――では、凛くん、奏の事をよろしく頼むよ」
そう言いながら、頭を下げる依子に、凛も「はい」と、頭を下げた。
凛にとって既に奏は、大切な人に区分されている。
奏が誰かに襲われたり、攫われたりなど想像しただけで怒りが込み上げてくる。だから、依子に頼まれるまでも無く、出来る限り守るつもりだった。
会って間もないのに、これほどまでに『執着』してしまうという事は、依子の言う通り波動の相性が良いからなのかもしれないが、単にそれだけではない事も薄々は感じている。
これまで凛に降りかかってきた事を考えれば、まず女性に自ら関わるという事があり得ない事だから。
週明けからは、学校に居る間以外は常に奏と共に居る・・・そう思っただけで、何故か凛の心は浮足立っていくのだった。
ほんの少し嬉しそうに、凛の口の端が上がるのを見て、依子は満足そうに笑った。
そして「最後は、私の事だ」と、居住まいを正した。
「凛くんは、八百比丘尼を知っているかい?」
「やおびくに?ですか・・・・すみません・・・・」
「いや、いいんだよ。八百比丘尼とはね、人魚の肉を食べて不老長寿となった女性を言うんだ。諸説あるが、有名なのは福井県の伝承だね」
若く美しい娘が、人魚の肉とは知らず食べてしまい不老長寿となってしまった。
その所為で、一つ所に留まる事が出来ず『八百比丘尼』と呼ばれる尼僧になって、日本各地を渡り歩き信仰を集めたのだという。
八百比丘尼の『八百』とは八百才まで生きると言われていることから、付けられたらしい。
因みに『比丘尼』とは仏教用語で尼僧の呼び名の一つだ。
「八百年、ですか?」
「あぁ、だが実際はそれ以上生きているな」
「え?生きてる?」
「この日本には確実に五人はいるからね」
「あの、えっと・・・・それは」
「あぁ、五人のうちの一人は私の事だよ」
何でもない事の様に告げられるその言葉が、この身を侵略するようにじわじわと広がって脳に届いた。
そして、本日何度目かになる思考の停止に凛は、まだ驚く事があったのか・・・と、そっと天を仰いだのだった。




