第2話:不器用な二人
昼休みにあれだけ盛り上がっていたのが嘘のように、二人は静かに図書室へ戻ってい
った。
横並びで歩くのも気恥ずかしくて、俺は少し距離を取って先輩の後ろを黙ってついていく。
空き教室を出てから、結局ひと言も会話はなかった。
図書室に戻り、残っていた作業に取り掛かる。……けど、全然集中できない。
昼休みのことが何度も頭をよぎって、気持ちがふわふわしている。
先輩も、俺と同じようにコトちのことを推している———それが分かったことは、本
当にうれしい。
でもそれ以上に、ふと気づいたことがある。
「先輩って、あんなふうに笑うんだなぁ」
ちょっと失礼かもしれないけど、いつもと違う表情を見たことで、
俺の中に謎の優越感みたいなものが生まれていた。
あの顔を知っているのは、たぶん俺だけかもしれない。
……なんて、キモいことを考えながら先輩のことをチラチラ見ていたら、気づけば帰宅時間になっていた。
下駄箱で靴を履き替えていると、後ろから誰かに肩を“トン”と軽く叩かれた。
あまりにささやかなタッチだったので気のせいかと思ったが、振り返ると———
そこには、いつもの無表情な先輩が立っていた。
さっきまでの柔らかい表情とのギャップに、「昼休みの佐久間君、めっちゃ早口だったし気持ち悪かった」とか言われるんじゃないかと、俺は一瞬で身構えた。
「……あの、お昼のことだけど」
き、来た……謝罪の準備は万全だ!
「すみませんでした!!」
「……楽しかった」
……ん?
思いきり食い気味で謝ったせいで、先輩の声がちゃんと聞き取れなかった。
斜め45度に腰を曲げたまま固まりつつ、そっと先輩の顔をうかがう。
そこには、ぽかんとした顔で俺を見つめる先輩がいた。
完全に、面食らっている。
「なんで謝るの?」
「い、いや、あの……」
何も言えなかった。やっぱり俺は情けないオタクだ。
「コトちってあんまり大手じゃないから、SNS以外で語れる相手いなかったし……楽しかったよ」
先輩の言葉が、頭の中で何度もリフレインする。
……先輩も、楽しいって思ってくれてたんだ。
「俺も! めっちゃ楽しかったです!」
「また、コトちのこと語り合いましょう!」
言ってから、しまったと思った。
勢いで“次の約束”みたいなことを口走ってしまった———オタクはこれだから困る。
でも、数秒間固まったままだった先輩の顔が、少し柔らかくなって。
「うん。私も、まだ語りたいことあるから」
……これは、“次”があるということか?
「またね」
そう言って先輩は、下駄箱を後にした。
俺は昼休みに呼び出されたときと同じように心臓をバクバクさせながら家路についた。
その日の夜。自室にて。
「ん~~~~」
ベッドに寝転がり、唸りながら今日の出来事を思い返す。
朝は完全にやらかしたと思った。
昼休みに呼び出されたときは、終わったと思った。
でも———
先輩もコトちが好きで、一緒に語り合えて、笑ってくれて。
「……あれ、マジで現実か?」
先輩とあんなに話せたなんて、未だに信じられなかった。
「それに……」
「先輩の笑った顔、可愛かったよな……」
完全にラブコメ主人公ののセリフのような気色の悪い独り言を呟いてしまった。
でも事実、あの笑顔は可愛かった。
普段は無表情でちょっと怖いイメージがあったけど、
笑ってるときの先輩は、まるでお腹を撫でられてる猫みたいに柔らかくて、優しい雰囲気だった。
次の集まり、いつだったっけ。
スマホで予定を確認する。
「来週か……」
俺は、先輩に早く会いたくなっていた。
◇
同じ頃。宮下家、遥の部屋。
彼女の部屋は、女の子らしさがあまりない。
シンプルなベッドに勉強机。
その上には、コトちと同じゲームをやってみたくて、親に頼み込んで買ってもらった
ゲーミングノートPCが置いてある。
他にはローテーブルがひとつ。
部屋の中で唯一“らしくない”のが、そのゲーミングノートだった。
遥もまた、今日の出来事を思い返していた。
「……今日の私、絶対キモかった……」
「佐久間君とほとんど話したことなかったのに、いきなり早口で語りまくっちゃったし。そのあと気まずくて全然喋れなかったし。帰り際にはまた話しかけるし。
しかも“次の約束”みたいなことまでしちゃって……あぁ~~~~~~~~」
自室での遥は、学校とは違って驚くほど饒舌だった。
普段外ではなかなか話せないぶん、家では独り言で発散しているのかというくらい、よく喋る。
そう、彼女はただの“極度の人見知り”だ。
クール? 不愛想? そんなのは全部誤解。
本当は緊張しやすくて、人と話すのが苦手なだけ。
「でも……」
「久しぶりに、誰かとちゃんと話せて。
しかも推しのこと語り合えて。……楽しかったな」
机に顔を伏せて、ぽつりと呟く。
「……次、また話せるかな」
遥は、次の委員会の日を確認し、そっとベッドに身を委ねることにした。