第19話:世界が傾いた
まだむしむしと暑さが残る頃、学校では着々と体育祭の準備が進められていた。
意外かもしれないが、優は中学の頃は野球部に所属していたので、運動が全くダメなわけではない。
が、野球部時代もほぼベンチで、特段運動神経が良いわけでもなかった。
というか運動はどちらかと言えば嫌いだ。
親から「せめて中学くらいは運動部に入っとかないと後悔するよ」と言われ、
小さい頃、友達と公園でよく野球をしていたからという安直な理由で野球部を選んだ。
正直、あの地獄の日々はもう思い出したくない。
要するに、ただこの時期が憂鬱だってだけの話だ。
「はぁ……」
勝手にため息がこぼれる。
「ため息なんてついてどうした? 先輩に振られたか?」
こんなことを言ってくる奴は一人しか知らない。
「だから、違うって言ってるだろ」
陽介は茶化すような顔でこちらを見ていた。
「じゃあなんでそんな浮かない顔してんだ?」
「そりゃ毎日2時間体育祭の練習させられてたら浮かない顔にもなるだろ」
「あぁ~、そういうことか」
陽介は途端に興味の無さそうな顔になった。
「でもお前、別に運動できないわけじゃないだろ?」
「できないのと、嫌い、は違うんだよ」
「そういうもんかねぇ」
予鈴が鳴り、会話は強制的に終了となった。
◇
遥もまた、憂鬱な学校生活を送っていた。
今日はグラウンドで入場や整列の練習らしい。
そんな練習いる?と思うものの、もちろんそれを口にできるはずはなかった。
じりじりと照り付ける太陽の下、汗で体操服が張り付く不快感が最悪だ。
何度も同じ隊形に並んで行進するだけ。
それだけでも、普段全く運動なんてしない遥には堪えた。
“早くお昼になんないかな……”
遥は早くこの憂鬱を晴らして欲しかった。
——なんとか午前中を乗り越え、やっと至福の時間がやってきた。
遥は小走りで旧校舎へ向かった。
ドアを開けると、いつものように優が笑顔で迎えてくれる。
それだけで心が軽くなった。
「佐久間君、おまたせ」
「全然待ってないですよ!」
毎日交わすこの言葉すらも、遥にとって大切なやり取りになっていた。
席に着き、いつものようにお弁当を用意する。
「ふぅ……」
午前中の疲れが残っていて、座るだけで大きく息を吐いてしまう。
「先輩、ちょっと疲れてます?」
「あ、うん……体育祭の練習がね……」
優は、「あー!」というような表情をした。
「ほんと、誰が得するんですかね、あれ」
「あんなの、一部運動部が“俺運動できまーす!”ってアピールするためだけの行事ですよね!」
「佐久間君、言い過ぎだよ」
クスっと笑いながらも内心、遥も同意していた。
「私、運動は昔からダメだからこの期間はほんとに辛いよ……」
「俺も中学は親にそそのかされて野球部でしたけど、運動はめっちゃ嫌いなんですよね……」
佐久間君、野球部だったんだ……結構意外かも……
いつからか、二人は推しの話以外でも自然と会話が出来るようになっていた。
ずっとこの空間が続いてほしい——
遥はそんな願いを抱くようになっていた。
——翌日も、律儀に用意された体育祭の練習の時間がやってくる。
今日はリレーの練習らしい。
これが一番苦痛だった。
ただでさえ苦手な“走る”を、しかも人前でやらないといけない。
それを考えるだけでもう帰りたくなってきた。
しかも今日は昨日よりさらに暑い。
雲一つない快晴で、太陽の光が容赦なく遥の華奢な白い腕を突き刺す。
暑さで頭がぼーっとする中練習が進んでいく。
リレーの練習が始まり、自分の位置へ移動する。
何も考えないようにして、無心で走ろう……
遥の前のランナーがもうすぐそこまで来ていた。
不慣れな手つきでバトンを受け取り、走り出す。
普段こんなに早く動かさない足がびっくりして、もつれそうになる。
走り出してすぐに息が上がり始めた。
暑さと酸素不足で、頭が真っ白になってきた。
何とか走り切り、バトンを渡すとすぐに膝に手をついた。
なかなか息が整わない。
足に力が入らず、その場に崩れ落ちる。
気付いた時には目の前が真っ白になり、世界が横転していた。
今回はちょっと短めですが、物語の転機になるような回になりました。
遥が体調を崩す――という展開は、自分でも少し書くのが苦しくなる部分もありましたが、
ここからふたりの関係にまたひとつ変化が生まれるきっかけになれば…と思っています。
次回、優の行動にもぜひ注目してもらえるとうれしいです。




