第1話:言葉より先に
引き継ぎが始まると、先生が2人1組のペアを発表し始めた。
「まずは佐久間くん。君は宮下さんと一緒にやってもらおうか」
宮下遥。
ショートカットで、襟足だけ長いウルフカット。少しツリ目がちの目元。
1つ上の先輩で、いわゆる“クールビューティ”という言葉が似合う女性————と言えば聞こえはいいけど、実際はクールというよりただの不愛想、って感じだ。
ほんの数回だけ、軽く会話をしたことがある。けど、あれは会話というより業務連絡だった。
必要最低限の返事しか返ってこないし、目が合わないどころか顔すら向けてくれない。
「よろしく」
その一言だけで、宮下先輩は黙々と作業を始めた。
俺も負けじと手を動かす。けど、会話らしい会話はやっぱりない。
気まずい。
そんな沈黙の中、カバンから筆箱を取ろうと机の上に置いた瞬間、横から視線を感じた。
言うまでもなく、その視線の主は宮下先輩だ。
先輩の視線の先を追ってみると—————俺のカバンにつけていたアクキーに釘付けになっていた。
俺の推しのVtuber「桜庭コトネ」のアクキー。
……しまった。
絶対思われた。「学校のカバンに萌えキャラとかつけてきてる……キモ」って。
やばい。これは痛恨のミスだ。
そう思いながら横目で先輩を見る。
……ん?
なんか、いつもより目が……輝いてないか?
結局その日は、そのまま何も起こらずに作業終了。淡々と解散した。
夜、自室のベッドでゴロゴロしながら、いつものように「桜庭コトネ」の配信を見ていたとき、ふと昼間のことが頭をよぎる。
「先輩の目が死んでないの、初めて見たな……」
「あれ、軽蔑の目じゃなかったよな。もしかして、コトちのこと知ってる……?」
なんて思ったけど、「いや、さすがにないか」と、配信に意識を戻してそのまま就寝。
—————数日後。
2回目の委員会の集まり。
今日もまた先輩と一緒に作業をすることになった。
前回のことが頭をよぎる。
……で、なんとなく、俺はちょっとしたカマをかけてみることにした。
カバンを取り出すときに、わざと先輩に見えるように角度を調整。
アクキーがバッチリ目に入るようにした。
無関心なら俺の勘違い。気のせい。……そう思ってたけど。
めっちゃ見てる。ガン見してる。
俺の中で、疑問が確信に変わる音がした。
————この人、「桜庭コトネ」を知ってる。
しかもコトちは、同接30人ちょっとの中堅どころ。
知ってるってことは、かなり“こっち側”の人間に違いない。
それだけで、なんだか先輩との距離が少し縮まった気がした。
しかし、ここは俺もオタク。
いきなり「コトち知ってるんですか!?」とか聞ける勇気はない。
結局また、特に何も起こらずにその日は解散。
その日の夜。
なんとなく嬉しいような、落ち着かないような気持ちで、布団の中でもそもそ。
「先輩とコトちの話、出来たらなぁ~」
SNS以外で語れる相手って、本当に貴重だ。
でも、先輩が同じくらい好きかどうかは分からない。
もしただ知っている程度だったら、俺だけが盛り上がって痛いやつになる。
そんなことを考えていたら、いつの間にか寝落ちしていた。
数日後。3回目の委員会。
今日こそ先輩がどれくらい“推してる”のか確かめたい。
俺は作戦を用意してきた。
コトちが配信の冒頭でいつも言う、お決まりのセリフ――
“今日もぼちぼちがんばろ~”
これを言えば、ガチ勢かどうかがわかるはず。
SNSや配信を見てないと、反応はできない。
他にもアクスタを机に置く案もあったけど、露骨すぎて却下した。
他の委員の目もあるし、さすがに恥ずかしすぎる。
図書室に着く。
「じゃあ今日も、いつものペアで作業していこっか」
先生の声が合図。俺は腹をくくった。
いくぞ……。
「先輩、今日もぼちぼちがんばろ~」
……。
静寂。
思ったより大きな声が出てしまって、周囲の視線が一斉に刺さる。
(あいつ、なにあれ?)(タメ口?)(キャラ変わった?)
———誰も言葉にはしないけど、視線だけで痛いほど伝わってくる。
「あああ、やっちまった……」
もうこうなったら大人しく作業に集中するしかない。
肝心の先輩はというと
いつもの不愛想な顔のまま黙々と作業に移っていた。
「じゃあ、そろそろお昼にしよっか~」
先生の声で昼休みが始まる。
カバンから弁当を取り出そうとしたとき、視界の端が真っ黒な何かに覆われた。
……セーラー服。うちの学校指定の。
真横に、宮下先輩が立っていた。
何も言わず、黙って立っている。
さっきの件もあって、俺は内心ビビりまくりだけど、表面上は平静を装って声をかける。
「ど、どうかしましたか?」
声が震えそうになるのを、なんとか押し殺す。
「ちょっと来て」
そう言って、先輩はくるりと背を向け、そのまま図書室を出ていった。
周囲の視線が、より痛くなる。
(詰められるやつじゃん)(終わったな、あいつ)
俺自身も「終わった……」と思いながら、先輩を追いかける。
旧校舎の、誰も来ない空き教室。
そこまで来て、ようやく先輩が立ち止まる。
こちらを振り返り、沈黙が20秒ほど続いた後――先輩が口を開いた。
「……あんな露骨なアピールしないで、普通に話しかけてよ……」
……えっ?
思ってた第一声とあまりに違いすぎて、脳が処理に追いつかない。
動揺している俺をよそに、先輩は続ける。
「私もコトち、好きなの……」
一瞬で、俺の中に高揚感と安堵と達成感が爆発する。
「普通に話しかけてくれたらよかったのに。朝の“あれ”、共感性羞恥えぐかったよ…? 佐久間くん、そういうキャラじゃないのに…」
「……あ、えっと、すみません……」
せっかく推しの話ができると思ったのに、俺の口から出たのは情けない一言だけだった。
———俺ってやつは、こういうときも、やっぱりオタクなんだな。
なんて凹んでいたら、先輩が問いかけてきた。
「佐久間くんも、コトち好きなんだよね?」
「……はい!そうなんです!最初は歌ってみたを聴いて、歌の上手さに感動して……」
———ここからは早かった。
オタク特有の早口で、コトちの魅力を語りまくった。
すると先輩も負けじと語り出す。
「私も最初は歌ってみたから入ったの!
歌声、めっちゃ感情こもってて最高だよね!
配信見に行ったら、そのギャップにやられちゃって……!」
先輩も、完全に“こっち側”の人間だった。
それから俺たちは、お昼休みが終わるギリギリまで、
ずっと———推しの話を止められなかった。