【熊田李恩】後編
新型コロナウイルスが大流行したのは、李恩が九才の頃である。
感染拡大防止のために学校はしばらく休校になり、不要不急の外出は禁止され、基本的に〈ステイホーム〉していなければならなくなった。
家の中での家族同士の会話ですら、マスクなしでは憚られるようになった。
未曾有の事態に世界が混乱を極める中、李恩は、とうとう〈シナ人〉ではなくなった。
李恩は、新たに〈武漢人〉になったのである。
「武漢人、ウイルスを持ってくるなよ」
「マジで迷惑だから、早く日本から出て行ってくれない?」
長い休校が明けた後、複数の同級生から、真顔でそう言われた。
いわゆる〈ばい菌扱い〉もされ、〈ソーシャルディスタンス〉を十分に保っているにも関わらず、『こっちに来るな』と言われて避けられて、校内に設置されているアルコール消毒液を振りかけられるようなこともしょっちゅうだった。
そのことがショックで泣いてしまったら泣いてしまったで、李恩の涙が落ちた床をこれ見よがしと消毒された。
中国に帰れ、とも散々言われたが、これにも李恩は困り果てるほかなかった。
一体、李恩は中国のどこに帰れというのだろうか。李恩は、生まれてこのかた、中国の地を踏んだことなどないのである。
「李恩ちゃん、みんなの言うことなんか気にしなくて良いよ。李恩ちゃんは李恩ちゃんなんだから」
そのように李恩を慰めてくれたのは、クラスの学級委員を務めている知念郁乃である。
小学校三年生に進学してからも和佳菜とは同じクラスだったが、黒いハンカチを落としたあの日以降、和佳菜とは一度も口をきいていない。
和佳菜から李恩に声を掛けてくることもなければ、李恩から和佳菜に声を掛けることもなかった。
和佳菜が裏で根を回している、とまで疑っているわけではないが、あの日以降、和佳菜以外の女子が李恩に積極的に話し掛けてくることも、なくなったように感じる。
その中で、三年生で同じクラスになった郁乃だけが、李恩に〈普通〉に接してくれていた。
それだけの理由で、郁乃が、李恩にとって、〈親友〉と呼べる存在となった。
郁乃は、寸分の狂いもなく毎日同じ三つ編みの髪型をしていて、そのことだけで真面目な性格であることをアピールして余りあるようだった。
黒縁の眼鏡を外し、まん丸の目に卵形の輪郭で、今風の髪型をしたり、制服のスカートの丈を少し短くしたりしてみたら男子からもモテたに違いないが、本人にはその意欲は全くなさそうである。
郁乃は、クラス委員を務めていて、それに相応しい品行方正なしっかり者であるというだけでなく、勉強もクラスで一番よくできた。
郁乃は、休み時間や放課後によく図書館に行くので、自然と、李恩の学校での居場所は図書室になった。
当たり前のことかもしれないが、図書室の司書の先生も、李恩のことを決して『ばい菌扱い』はせず、むしろ李恩がいじめられていることに同情して、李恩によく話しかけてくれた。
新任でまだ三十歳にもならない女の先生だった。
李恩が、学校の図書室にもちらほらある〈嫌中本〉——中国人がいかに日本人や世界の人から嫌われていて、嫌われるに値するかを書いた本——を気にして読んでいると、郁乃はその本を横取りし、代わりに『三国志』や『水滸伝』といった本を李恩に手渡した。
そして、李恩の背中をポンッと叩きながら言う。
「中国は立派な歴史を持った国なんだよ。〈捏造された中国〉が書かれた本なんか読んでないで、〈誇り高き中国〉が書かれた本を読まなきゃ」
郁乃は、郁乃の『推し』である諸葛亮孔明や魯智深について目をうっとりさせながら語る。
李恩はといえば、『三国志』や『水滸伝』が中国の話であるということすらその時に初めて知ったくちなのだが、郁乃が夢中で語る様子を見ていて、なんとなく自分までも幸せな気分になった。
なお、李恩が読みかけていた〈嫌中本〉は、郁乃に見つかり次第、郁乃が司書の先生に報告することによって、図書室の蔵書から外されていった。
「みんなは分かってないんだよ」
「何が分かってないの?」
「自分たちがとんでもない差別意識や偏見を持ってるってことを」
ある日の昼休み、郁乃は、自身の机へと李恩を誘った。そして、道具箱の中から、二冊の本を取り出した。
二冊とも伝記で、一方はキング牧師のもの。
もう一方はリンカーン大統領のものである。
学校の図書室で借りてきたものではなく、近所の図書館で借りてきたものらしく、図書館名が書かれた緑色のシールが裏表紙に張られている。
郁乃は、二冊の児童書を自慢げに李恩の鼻先に掲げ、上目遣いで李恩の反応を窺っている。
表紙の人物画を見つめる。
一方はソウルシンガーにいそうな体格の良い黒人で、もう一方は顔の露出している部分と同じくらいの面積の髭を蓄えた白人である。
伝記となっているということは、何かすごい偉業を成し遂げた人たちなのだろう。
無知な李恩は、恥を忍んで、何をした人たちなの、と郁乃に尋ねた。
「キング牧師は、公民権運動を主導して、黒人に選挙権を認めさせ、ノーベル平和賞を受賞した人だよ。〈アイ・ハブ・ア・ドリーム〉ってスピーチは知ってるでしょ?」
知らない、と素直に答えると、郁乃の眉毛がへの字に曲がった。
李恩は、消え入るような声で、ごめん、と謝った。
「それから、リンカーンはアメリカの第十六代大統領で、〈奴隷解放宣言〉を出して黒人奴隷を解放した人だよ。〈ガバメント・オブ・ザ・ピープル、バイ・ザ・ピープル、フォア・ザ・ピープル〉っていうスピーチは分かるよね?」
郁乃は、舌を上手に使って、大袈裟に英語を発音する。
なんとなく分かる、と今度は嘘を吐くと、郁乃は満足げにニンマリと笑った。
「みんなもこういう本を読めば分かるはずなんだよ。差別とか偏見とかが如何にくだらないかってね」
「……そうだね」
「完全に時代遅れ。だって今はグローバルの時代だよ。ダイバーシティの時代だよ」
「ダイ……何それ」
「ダイバーシティ。多様性ってこと」
「ああ」
「それなのに、みんなはロクに本も読まないで、ネットの変な投稿を鵜呑みにして、自分では何も考えもしないで、李恩ちゃんのことを〈武漢人〉とか言って差別してるんだよ。そんなのバカな話だと思わない?」
李恩は、うんと相槌を打つことに躊躇して、うーんと唸ってしまった。
「李恩ちゃん、どうしたの?」
「……私、本当に〈武漢人〉なのかもしれない」
「何言ってんの? そんな弱気にならなくて良いんだよ」
「いや、そうじゃなくて……」
李恩は、今まで同級生の誰にも言えなかったことを、郁乃には打ち明けることにした。
「実は、私のお母さんって武漢の出身なんだ」
「へぇ」
その後、郁乃が言葉を継ぐことはなかった。
聞き流してくれたのだ、と李恩は解釈した。
「……まあ、関係ないよね。お母さんがどこに生まれたかなんて。私自身は武漢に一度も行ったことはないわけだし」
「本当に一度も行ったことないの?」
「うん」
じゃあ関係ないね、と郁乃は言ってくれた。郁乃だけは信頼できる、と李恩は思った。
昼休み明けは、体育の授業だった。
種目は、来月に控えた運動会の練習も兼ねて、組体操である。
郁乃がいなければ、李恩は、何らかの理由をつけて授業を欠席していたと思う。
なぜなら、組体操の授業では、誰かとペアを組まなければならないからだ。李恩と進んでペアを組んでくれる同級生は、郁乃の他にはいなかった。
しかし、この日は——。
「郁乃ちゃん、どうしたの? 早くしゃがんでよ」
郁乃の様子は明らかにおかしかった。李恩とペアを組んではくれたものの、いつものように、郁乃から進んで声を掛けてくれたわけではなく、李恩から声を掛けられるのを待っていた。
そして、練習が開始してからも、校庭のうす灰色の土を見つめたまま、じっと動かなかったのである。
「郁乃ちゃん、大丈夫?」
郁乃はやはり下を向いたまま、何も答えない。
李恩は気付く——郁乃の身体がプルプルと小刻みに震えていることを。
「郁乃ちゃん、震えてるよ。具合が悪いの?」
郁乃は、地面を見下ろしたまま、大きく首を横に振った。
そして、小さな声で言う。
「……けて」
「え?」
「……続けて」
続けてと言われても、どう続けて良いのか李恩にはよく分からなかった。
本来であれば、郁乃がしゃがみ、李恩が郁乃の肩の上に乗るはずなのである。
しかし、郁乃は立ったままなのだから、李恩も立ち尽くしているほかない。
郁乃が深く息を吐く音がした。
同じ音が三回。
その後、郁乃はようやく震える足を曲げ、ゆっくりとしゃがんだ。
「本当に大丈夫?」
返事はない。まるで郁乃には李恩の声が一切届いていないかのようだった。
このまま練習を続けて良いものか不安だったが、仕方がない。
李恩は、自らの右の太ももを、郁乃の右肩の上に掛けた。
郁乃の身体に触れた途端、郁乃の身体の振動が李恩にも伝わってくる。
それは、徐々に大きくなっていき、やがて陸地に打ち上げられた魚のように、ビクビクと大きな動作に変わっていった。
「ねえ、郁乃ちゃん、本当に大丈夫なの!?」
「早くして! 早く上に乗って!」
郁乃が叫ぶ。普段冷静な郁乃からは今まで聞いたこともないような金切り声だった。
「早くして! 早く! 早く!」
それは〈早く終わらせて欲しい〉という意味なのだと李恩にも分かったのだが、有無を言わせぬ響きに、従う以外の選択肢はなかった。
李恩は、おそるおそる、左の太ももも、郁乃の肩の上に掛ける。
李恩が、自らの体重を郁乃に委ねた次の瞬間——。
——郁乃が倒れた。
顔面から土に落ちた。
間一髪で共倒れとなることを回避した李恩は、すかさず郁乃の身を案じる。
「郁乃ちゃん、大丈夫!? 早く保健室に」
李恩は、郁乃を抱え起こそうと、郁乃の腕に手を伸ばす。
しかし、その手は郁乃に叩かれる。
「やめて! 触らないで!」
どういうことなのだろう。痛みを感じる余裕がないほどに、頭が混乱していた。
呆然と立ち尽くす李恩に、郁乃が、地面に顔を埋めたままで叫ぶ。
「私は悪くない!」
李恩は、さらに混乱する。誰も郁乃を責めてなどいない。
李恩は、郁乃を心配して、保健室に連れて行こうとしただけなのだ。
それなのに——。
郁乃は、今度は李恩の顔を睨みつけて、叫ぶ。
「あんたのせいなんだから! 早く消えて! 私から見えないところに消えて!」
保育園に通っていた時、李恩には、自分が他のみんなと違っているという認識はなかった。
周りの人が、李恩にそんな認識を抱かせなかった。
同い年の友だちはみんな、李恩を、当然のごとく、みんなと同じように——同じ人間として扱ってくれていた。
小学校の入学したての頃も、まだ大丈夫だった。
李恩が〈シナ人〉として、みんなと違う、近寄りがたい〈何か〉として扱われるようになったのは、みんながもう少し〈大人〉になって、それなりの理解力を備えるようになってからだ。
李恩も、母親から〈シナ人〉という言葉の意味を教えてもらって、ようやく自分がみんなと違う〈何か〉であると理解できるようになった。
みんなも同じだ。
成長して、学校に行き、文字を学び、大人の考え方を学ぶことで、ようやくみんなは、李恩がみんなと違う〈何か〉だと知ったのだ。
だとすると——李恩は疑問に思う。
学校は何のためにあるのか。
子どもは何のために勉強をするのか。
子どもは何のために〈大人〉になるのか——。
『親友』だった郁乃と絶縁した頃から、『達観している』と、李恩は周りから言われるようになった。
悪口を言われても、まるで風がそよいだだけかのように、憮然としていたからだろう。
李恩が、意に介さないという〈手段〉で、誹謗中傷に耐えようとしていたことは事実である。
李恩に向けられている差別や偏見は理由のないものである。それなのに、なぜ李恩が謂れなき誹謗中傷を受けなければならないのかといえば、それは〈みんな〉が愚かだからである。
差別は、人間に備わった本能だ。
差別が理性的なはたらきではなく、本能的なはたらきである以上、この世から差別を根絶することは絶対にできない。
性犯罪を厳罰化したところで性犯罪者の性欲が無くならないように、差別を無理矢理禁止したところで、差別心や偏見は無くならないのである。
差別が理性的なはたらきに属さないことは、どう考えたって明らかである。
『差別と合理的区別は違う』と言う人がいるが、差別と合理的区別との境を明確に示すことなどできない。
〈合理的な理由〉は常に後付けされる。
外国人のことが嫌いな銭湯の店主は、外国人の利用を妨げるためには、『日本語で書かれた注意事項が読めない人はマナーが守れないからお断り』と宣言すれば良い。
李恩を『ばい菌扱い』したい人は、李恩と武漢との関連性を強引に探し出して、無理やり結びつけてしまえば良い。
李恩の母親が武漢出身であることを知らなくたって、日本人に比べて中国人の方がコロナウイルス感染に対する抵抗が低い、だとかそれっぽい統計を適当に一つ見つけてくれば、中国の血を半分引いている李恩を〈合理的区別〉によって差別することが許される。
差別は、人間に備わった本能だ。
その本能が齎す欲求は、今日、最も高まっているのだろう。
複雑で割り切れない現代社会。
物事を簡単に割り切って〈区別〉できれば、どんなに楽だろうか。
自国民はみな素晴らしくて、他国民はみな劣っていると考えて生きる方が、どんなに楽だろうか――。
愚かな〈みんな〉は、残念ながら、差別本能に抗うことができない。
李恩が〈みんな〉と違う、と一旦知った以上、〈みんな〉はその認識を取り消すことができない。
勉強家で人一倍の道徳を備えた郁乃だって、差別や偏見は克服する対象だったのだ。
決して、差別心や偏見を一切持っていないわけではなかった。
李恩の母が武漢出身であるという予期せぬ情報を前にして、本能が理性を呑み込んでしまった。
体育の授業の後すぐに、郁乃は冷静さを失って『消えて!』と叫んでしまったことを李恩に謝罪した。
全ては自分の弱さのせい、というのが郁乃の原因分析だった。
郁乃の謝罪によって二人は仲直りをしたが、決して元通りの関係には戻らなかった。
郁乃の態度はよそよそしくなり、李恩と話すときの言葉選びに気を付けていためか、会話はぎこちなくなった。
やがって李恩は、郁乃に気を遣って、休み時間や放課後を郁乃がいる図書室で過ごすことを控えるようになった。
そうしたら案の定、郁乃と李恩との友情関係は自然消滅した。
李恩との関係が切れたことで、郁乃は、以前よりもクラスメイトと上手く馴染めているように見える。
思うに、差別は、永久不変の本能であると同時に、歴史的に培われた戦略でもある。
ある集団は、ある集団をあえて差別する。わざと〈敵〉を作ることで、自分たちの絆を深める。
李恩が勉強することで分かったこととして、日本人の集団は、中国人の前は朝鮮人を、朝鮮人の前はロシア人を、ロシア人の前にはアメリカ人を、〈敵〉とみなしていた。
要するに、常に〈敵〉がいないとダメなのだ。
〈敵〉がいなければ、まとまることができない。
李恩が差別されているのは、そんなくだらない必要にも基づいているのである。
だとすれば——。
〈みんな〉と李恩が仲良くする必要などない。
無理をして仲良くしたところで、お互いのためにならない。
〈近寄りがたい〉だとか〈ぼっち〉だとか言われても構わない。
李恩は、愚かな〈みんな〉とは関わらずに生きていくのだ。
そう決意したことで気分は軽くなった——気がしていた。
それなのに——。
実際には、この頃から、李恩は、急な発熱や頭痛に襲われるようになった。
朝起きてから一度もベッドから出られずに、学校に行けない日も増えるようになった。
死にたいと思って、リストカットをしたことだって何度もある。
結局、李恩は、〈みんな〉から孤立して生きられるほど強くなかったのである。
李恩は、〈みんな〉と対峙して生きられるほど強くなかったのである。
李恩が生まれながらにして背負った業は、李恩にはあまりにも重すぎる。
どんなに強がってみたところで、李恩は、所詮〈みんな〉の中でしか生きられない、弱い人間なのだ。
李恩は、自分のことが心底嫌いになる。
李恩は、自分の心も、自分の身体も、全くもって自分で使いこなせていないのだ。
十三歳の誕生日を少し過ぎた頃、李恩は魔法少女になった。
魔法を使えるようになったのは、自らが選びとったことではない。
ある日、突然、何の前触れもなく、魔法が使えるようになった。
避難先の地下シェルターで、李恩は知らずのうちに、自らを囲う〈盾〉を作っていたのだ。
他方、魔法少女になることは、李恩が自ら選択したことだ。
李恩は、魔法少女として、〈みんな〉のために命を懸けて戦いたかったのだ。
そうすることで、李恩は〈みんな〉から認められたかった。
李恩が〈みんな〉の輪の中に入るためには、李恩が〈みんな〉のために何か大きなことを成し遂げなければならない、と考えた。
結局、李恩も〈敵〉を必要としたのだ。
日本人が中国人を〈敵〉とすることで一致団結するように。
李恩は、〈アノマリー〉を利用して、〈みんな〉と統合することを希ったのだ。
李恩は弱い。本当に弱い。
ゆえに、李恩は、魔法少女として〈アノマリー〉と戦わざるを得ないのである。
この作品を下読みしてくれた友人には、『平野啓一郎臭い』と評されました。言うまでもなく、とても光栄でした。
あらすじにも書きましたが、本作は社会派だと思います。魔法少女のくせに社会派です。
ただ、(とりわけこのサイトには)社会派が苦手な方も多いと思いますので、予防線を張っておくと、今回の排外主義のくだりが一番『平野啓一郎臭い』です。一番小難しいです。
ここを乗り越えた方には、この作品を最後まで楽しむことができる資質があると思います。
他方で、この話は、右翼も左翼もまとめて批判してしまっている感があるので、この話にカチンときた人もいるのではないかなと推察します。