【熊田李恩】前編
熊田李恩は、二〇一一年三月一一日に生を受けた。
『二〇一一年三月一一日』——東日本大震災の日である。
李恩がこの日に生まれたことは、李恩の人生に大きな影響を与える。
もっとも、それは、ここ一年くらいのことである。
それまでの人生では、生年月日を知った大人が、驚いて訊き返してきたり、はたまたその日どこで何をしていたのかという思い出話を語り出したりという、若干煙たいことがあるだけだった。
生まれたのが、震源地である東北地方から遠い富山県だったから、ということもあるかもしれない。
当然のことながら、津波は富山県にまでは押し寄せなかった。
福島第一原子力発電所の爆発事故によって放出された有毒な放射性物質は、もしかすると富山県にも届いていたのかもしれないが、放射性物質それ自体は目に見えず、その影響も目には見えにくいものなので、少なくとも、富山県民全体が強く問題視するということはなかったということだ。
李恩がどこで生まれたのか、ということは、李恩にとっては重要なことである。
李恩は、魔法少女としての戦いが始まって東京にある『魔法少女管理棟』という乾いた名前の宿泊施設で寝泊まりするようになるまでは、ずっと富山県内で生活していた。
卒園した保育園も、卒業した小学校も、避難指示が出た一年生の終わり頃まで通っていた中学校も、いずれも地元のものである。
幼少期の人生は、その後の人生の何倍も濃縮されていて、体感時間も段違いに長いと聞いたこともあるので、現時点で『半生を富山県で過ごした』と評価しても良いくらいのレベルかもしれない。
もっとも、李恩が富山県生まれ富山県育ちということを認めてくれない人が、なぜだか沢山いた——。
「李恩って『シナ人』なんでしょ?」
仲の良い友だちから、突然そう訊かれたのは、李恩が小学校二年生の頃である。
李恩は、その質問に答えることができなかった。
不快だったからではない。
意味が分からなかったからである。
『シナ人』の〈ジン〉の部分が〈人〉という漢字によって表されることすら、言われてからしばらく後に気付いたくらいだ。
その質問に対して李恩が何も答えずとも、友だちは李恩を咎めず、同じ事を二度訊かれるということもなかった。
むしろその質問が友だちの独り言であったかのように、友だちは次には『お腹が減った』と言って、ポケットから取り出した『ブラックサンダー』のチョコレートを食べ始めた。
もう一つ取り出した『ブラックサンダー』を、『要る?』と李恩に分けてもくれた。そして、二人して『ブラックサンダー』を食べた後、また公園でケンケンパーなどをして遊んだ。
家に帰ってから、李恩は、母に尋ねてみた。
どうしても気になって、というわけではなく、ふと思い出したので、なんとなく尋ねてみた。
「ママ、私って『シナ人』なの?」
いつもにこやかな母の顔が、歪んだ。
母は、別人のような鬼の形相で、まるで私を叱りつけるように、違う、と短く言った。
そして、李恩に『シナ人』と言った友だちの名——杵島和佳菜——を私から聞き出すと、すぐさまその子の家に抗議しに行った。
李恩は、肩をいからせながら家を出る母の背中を、唖然として見ることしかできなかった。
杵島家への怒鳴り込みから帰ってきた母が、興奮気味に言っていたことによると、『シナ人』は、漢字では『支那人』と書くらしい。
中国は、昔、日本人から、支那と呼ばれていたとのことだ。ただ、『シナ人』という言葉は、戦前・戦中に日本人が中国人を見下して使った呼称であるため、差別用語なのだという。
二十年くらい前に東京都知事をやっていた保守政治家が、中国のことを『支那』と呼び、物議を醸したこともあったそうだ。
李恩は、日本人の父親と、中国人の母親との間に生まれたハーフである。
とはいえ、李恩自身は、一度も中国に行ったことはない。
詳細な経緯は知らないが、母は、本国の家族と縁を切る形で、日本へと渡航したのだという。李恩の曽祖父母が戦争で日本兵に殺されていたことも、おそらく、対立の根っこにあった。
『シナ人』という呼び名がいかに悪辣なものなのかということを母が熱心に説明するのを聞きながら、李恩の心はどこか上の空だった。
李恩には関係のない話だ、と思ったのである。
李恩は日本国籍を持った歴とした日本人である。
たしかに顔立ちは、周りの友だちと少し違っていて、吊り目で少しきつい印象を与えてしまう顔である。
もっとも、肌の色が違っているということもないし、父も母も日本人である同級生の中に、李恩よりももっと目が吊っている者だっている。
日本人の顔と中国人の顔とではどこが異なっているのか、少なくとも李恩には言語化は不可能だ。
しかも、『戦前』だとか『戦中』だとか『二十年くらい前』だとか、全部かなり昔の話ではないか。
すべて古臭い因縁だ。
李恩が生まれるずっと前に湧き上がって、李恩が生まれる前に廃れてしまった話ではないのか。
そして何より、李恩に『シナ人』と言った和佳菜は、李恩同様に、母が李恩に説明したような話など一切知らなかったはずだ。
和佳菜は、李恩を『シナ人』であると勘違いしただけだ。『シナ人』という言葉の意味も知らなかっただろうし、もしかすると、李恩の母親が中国人であるということも知らなかったかもしれない。
いずれにせよ、実際に、李恩は『シナ人』ではない。
『言い間違えました。ごめんなさい』で済む話だ、と李恩は思っていた。
——しかし、実際には、そう簡単にはいかなかった。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
翌日、和佳菜は、李恩の顔を見るたびに、何度も何度も泣きながら謝ってきた。
気にしないで、と李恩が言っても、何度も何度も——。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい——」
そして、和佳菜は、その日の夜には、両親とともに、高級な菓子折りを持って、李恩の家を訪れた。和佳菜は、両親とともに、また何度も何度も頭を下げた。
頭を一度下げるごとに、和佳菜の家族が背景へと吸い込まれていき、距離が遠ざかっていくように感じる。
実際に、少しずつであるが、和佳菜の家族はじりじりと後退りをしていた。
「申し訳ありません。このとおりです」
「本当にうちの子が馬鹿ですみません。ほら、和佳菜ももっと頭を下げなさい」
「ごめんない。ごめんなさい」
頭は下げるものの、李恩とは一度も目を合わせない。
繰り返し頭を下げる大人たちを見て、李恩はようやく理解した。
そうか。そうだったのか——。
——李恩は〈シナ人〉だったのか。
和佳菜は、決して〈言い間違え〉をしたわけではなかったのだ。
むしろ和佳菜は、〈正しいこと〉を言ってしまったがために、謝罪の繰り返しを余儀なくされているのである。
『勘違いをしていました』『思い違いをしていました』という弁明をひとつたりともしないのも、そのことを強く裏付けている。
いくら謝られても、李恩の母には、和佳菜をも、和佳菜の両親をも許す気は毛頭ないようだった。
母は、決して三人を玄関口から先には通さず、腕を組んで仁王立ちしながら、三人が垂れた頭を無言で睨みつけ続けていたのである。菓子折りも決して受け取らなかった。
ひたすら頭を下げたのち、和佳菜一家は、四角い箱に入った洋菓子を玄関ホールの端に置き、母の視線に追いやられるようにして、そそくさと家を出て行った。
その時——和佳菜のポケットから何かが落ちた。
黒いハンカチである。
先ほど来、和佳菜がボロボロと零れ出る涙を拭っていたハンカチだ。
李恩の母はすでに踵を返しており、来客の落とし物には気付いていない。
李恩は、閉まったばかりの玄関ドアを開け、和佳菜たちの背中を追うことにした。
ハンカチを届けるついでに、李恩は、一言声を掛けたかった。
『私は気にしないよ』と。
母は許さずとも、李恩は許している。
和佳菜には〈失言〉があったかもしれないが、謝罪もしてもらえたことだし、すべて水に流して構わない。今回の件はなかったことにして良い。
李恩の正体は〈シナ人〉なのかもしれないが、そんなことに何の意味があるというのだろうか。
これまでどおり、放課後に公園で落ち合ってバカ話をして笑けるのに、そんなことは一切の支障はないのだ。今まで支障になったことなんて一度もないのだから。
李恩は、アスファルトの私道に出た。
帰路の三人は早足だったため、意外と距離がある。
李恩は、踏み込む脚に力を入れる。
李恩が駆け出そうとしたその時、和佳菜の母親が、和佳菜に言い聞かせる声が聞こえた。
「和佳菜、もう李恩ちゃんとは遊ばないでね」
——え?
「李恩ちゃんとは一切関わっちゃ駄目だから」
どうして? 和佳菜と私とは——。
「和佳菜、分かった?」
和佳菜と私とは友だちなのに——。
和佳菜が首を縦に動かしたのが、背後からもハッキリと見てとれた。
どうして——。
李恩の手から、ポトリと黒いハンカチが落ちた。
これはあまり知られていませんが、『小説家になろう』では以前、小説の背景色を変えるという機能がありました。
この機能を誰よりも愛していたのが、おそらく僕だったと思います。
数年前から視点転換が多いミステリを書く傾向にあるので、視点が変わるたびに背景色を変えていました。本当にめちゃくちゃお世話になっていました。
しかし、その機能が無くなってしまい、路頭に迷いました。
本作では、この話のように、魔法少女ひとりひとりの過去が偶像劇として描かれます。漫画『ONE PIECE』でいうところの黒背景ですね。
背景色が変えられないので、タイトルをそれぞれの視点名にしています。
この作品を同人誌にするとしたら、字体を変えると思います。