【魔法少女ナナカ その二】
「何これ!? 真っ黒々じゃん!!」
結界の中に入るやいなや、ナナカは思わず叫ぶ。
これまでの〈アノマリー〉との戦いにおいて、こんなシチュエーションは無かった。想定外の展開である。
この煙は一体何だろうか。〈ユルティム〉の持つ魔力のどす黒さが、煙として発せられているとでもいうのか。
外は昼間なのに、結界の中は夜の闇よりもさらに暗いではないか。
もっとも、結界の中に入った途端に、想定された最悪の光景——先に入った魔法少女三人のうちの誰かの死体が転がっているという地獄絵図——が目に入らなかったことに、ナナカはひとまずは胸を撫で下ろす。
とはいえ――。
そのような事態が現実に起きていないことが確約されたわけでもない。
結界の内部は黒い煙で充満しており、良くも悪くも、何も見えないのである。
ナナカの耳元で、リオンの可愛らしい声が聞こえた。
「……ナナカ、手を繋ごう」
「えっ!?」
——それはどういう意味?
……いや、違う。そういう意味ではない。
「……あ、分かった。うん」
ナナカは、すでにナナカの指先に触れていたリオンの小さな手を、割れ物を扱うかのように、優しく慎重に包み込む。
リオンの手は、ナナカの手よりも柔らかく、温かい。
二人は、手を繋ぎながら、同時に地面に着地する。
視界が悪い中、手を繋いでハグれないようにしよう、というリオンの提案は、冷静かつ合理的なものである。
それなのに——。
ナナカは、一瞬、リオンの提案を変な意味で捉えてしまい、戸惑ってしまった。
そして、リオンの提案の意味を正しく理解した今だって、心臓の高鳴りは止まらない。
絶対に、顔も真っ赤になっている。
黒い煙が充満していて助かった、とナナカは思った。
「それにしても、すごい魔力だね」
「〈ユルティム〉の魔力が、ってこと?」
「そう。どんどん大きくなってる」
リオンは、魔力に対する感受性が、魔法少女の中でもダントツで鋭い。
ナナカも少しは魔力を感じることはできるが、ほとんど悪寒みたいなものである。なんとなくそうかな、いや気のせいかな、というレベルなのだ。
「リオン、結界内にいる魔法少女の魔力は感じられる?」
「もちろん分かるよ」
「ちゃんと私たち含めて五人分いる?」
ナナカたちより先に結界に入ったはずの三人の姿は一切見えない。
ナナカは、リオンの感受性によって、三人の安否を確めたかったのである。
しかし——。
「ごめん。それは分からない。音楽に喩えると、私が持ってるのは、〈相対音感〉みたいなものだから」
「ああ。そうか」
ナナカがリオンの言葉の意味をすぐに理解できたのは、同じ説明を以前も受けたことがあるからに他ならない。
『〈ド〉と〈ミ〉を聴けば、二つの音の音階差が三度であることは分かる。でも、いきなり〈ミ〉が鳴らされたときには、それが〈ミ〉だとは分からない』と、リオンは〈相対音感〉を説明してくれた。
そして、自らの魔力の感受性についても、『元々あった魔力が減ったり増えたりしたときには、それがどれくらいの量減ったり増えたりしたかは分かる。でも、元々ある魔力それ自体を数値化はできない』という風にリオンは説明していた。
要するに、今この状況に当てはめると、『現段階で何人の魔法少女が生存しているかは分からない。ただ、誰かが死んで魔力を失った時、そのことを把握することはできる』ということになるだろう。
なお、リオン曰く、『〈アノマリー〉が放っている凶々しい魔力と、魔法少女が放っている清らかな魔力とは、全くの別物で、それを混同することはない』とのことである。
説明はなんとなく理解できるが、ナナカには決して体感できない世界である。
「みんな生きてると良いけど」
「そうだね。信じよう」
『信じよう』という言葉とは裏腹に、ナナカの手を握るリオンの手に、余分な力が籠る。
——リオンは不安なのだ。この子は、自らの死を恐れない代わりに、仲間の死をひどく恐れている。
ゆえに、リオンは、〈ユルティム〉の当然の出現に、居ても立っても居られなかったのである。
リオンは、ここ二週間ほど体調が優れず、ずっとベッドで寝たきりだった。
本部からも、無理はするな、と指示されていた。
それなのに、リオンは、〈ユルティム〉を倒すための最終決戦に臨むため、ベッドから這い出てきた。
リオンの手は、人並み以上に温かい。
それは、リオンが発熱しているからでもある。
健康状態でいえば、リオンは、立っているだけで精一杯というような状態なのだろう。
それでもリオンがここにいるのは、ここにいなければならない理由が、この子の中にあるからだ。
仲間である他の魔法少女のため。
仲間のための捨て身。
この子は、自らの身を顧みない。
ゆえに——。
そんなリオンを、ナナカは命を懸けて守らなければならないのである。
ナナカは、リオンの手を強く握り返す。
「リオン、何があっても私の手を離さないでね」
「分かった」
「うーん……」
「ナナカ、どうしたの?」
「やっぱり心配」
ナナカは、自らの髪を留めていた金色のバレッタを取り外すと、それをリオンの艶やかな黒髪に通す。
そして、つむじの少し下のあたりで留め具をカチッとはめる。
「ナナカ、どうして? どうして髪留めをくれたの?」
「この金色のバレッタがあったら、黒い煙の中でも少しは目立つでしょ」
「つまり、私を見失わないようにってこと?」
「まあ、そんな感じ。リオンがフラフラってどこかに行っちゃうと困るからさ」
「何それ。子ども扱いしないでよ」
リオンは、フフッと可愛らしく笑った。
そして、バレッタを一旦髪から取り外すと、トレードマークのポニーテールを結いていたゴムを外した。
さらさらの黒い長髪に手ぐしをさっと通すと、ゴムの代わりにバレッタを使ってポニーテールを留める。
すべてナナカの手を握っていない方の手での作業だった。そして、リオンは、そのままその手で、ナナカが愛用していた黄金のバレッタを優しく撫でたのである。
『子ども扱いしないでよ』とリオンは言ったのだが、実際、リオンは小柄で、子どもらしく見えることは否めない。そうした幼気な見た目も、ナナカの庇護欲を間違いなく高めている。
ナナカとリオンは、手を繋ぎながら、黒煙の中をゆっくりと一歩ずつ進んでいく。リオンの足が地面を踏みしめるたびに、金色のバレッタがわずかな光を集めてキラリと輝く。
〈ユルティム〉と遭遇しても、二人なら大丈夫——そんな根拠もない、あまりにも漠然した自信を、ナナカは胸に抱いていた。
「リオン、今日で全部が終わるといいね」
「全部?」
「〈アノマリー〉が全部消え去って、また平和な世界に戻るといいねって」
ナナカにとっては意外なことに、リオンからはすぐに返事はなかった。
「……平和な世界かあ……。ナナカはそのために戦ってるの? 平和な世界のために」
「え!? みんなそうじゃないの!?」
「人による……と思う」
「そうなの!?」
ナナカは目を丸くする。カルチャーショックを受けたような、そんな気分だ。
とはいえ、少し考えてみると、ナナカ自身もよく分からなくなる。
果たしてナナカは〈平和な世界〉とやらのために戦っているのだろうか——。
「……リオンはさ、何のために戦ってるの?」
「私? そんなの——」
言えない、とリオンは言う。
そして、ナナカから目を逸らす。
ナナカは思う。
リオンは、ナナカよりも何百倍も立派だ。
〈言いたくない〉ということは、言えないけれどもちゃんと理由があるということなのだから。
羨ましい——。
金色のバレッタも、確実にナナカよりも似合っている。
魔法少女といえば『魔法少女まどか☆マギカ』ですね。本作でも、タイトルだけ言及されています。
数年前までアニメは一切見ない人間だったのですが、最近徐々に見るようになり、『魔法少女まどか☆マギカ』も見ました。
正直、めちゃくちゃ影響を受けました。
その直後に魔法少女モノを書こうと思い、『魔法少女の雪冤』たるタイトルで書き始め、あまりにまどマギ過ぎたので、中絶させました(おい)
対して、本作では、まどマギの影響は排除されています。冒頭で黒猫は出てきましたが、インキュベーターではありません。