【弥代祐希 その二】
祐希は、毎朝、幼馴染と二人で通学をしている。
ただし、〈幼馴染〉という言葉が甘美な響きを持つのはラノベの世界だけのことであり、現実の幼馴染は、祐希よりもさらにむさ苦しい男である。現実の幼馴染——美作靖は、誰が見てもラグビー部だろうと判断するようなガッチリとした体型の大男で、制服のブレザーを窮屈そうに羽織っている。
髪型も、いかにも運動部に青春を捧げています、という感じのスポーツ刈り。
そして、実際に、彼はラグビー部でキャプテンをやっている。
「祐希、〈魔法少女マム〉って知ってるか?」
もちろん知っている。
ただ、祐希は、靖の問い掛けに対し、あえて首を縦に振らず、それがどうしたの、と訊き返す。
「昨日の深夜、テレビに出てたらしいんだよ」
靖が『らしい』と言ったのは、靖自身がテレビでマムを見たわけではなく、ネットニュース等で、マムがテレビに出演していたという情報を得たからだろう。
靖だけでなく、祐希の中学校の同級生は、大抵、テレビは見ていない。情報の摂取源は、専らネットである。
祐希は、足元のアスファルトを見つめたまま、靖の次の言葉を待つ。
なお、マムが昨日テレビに出ていたということも、祐希は当然に知っている。
「〈魔法少女マム〉って、マジで本当に本物なんだぜ!」
「……本物?」
思わず訊き返してしまった。
靖は、一体何をもってマムのことを〈本物〉と称したのだろうか。ルックス、ということであれば、祐希は腑に落ちる。マムの可愛さは、おそらく万人ウケする。
「魔法だよ」
「まほ……って、え!?」
校門直前の曲がり角で、ピタッと僕は足を止める。
ジョークの一つも言えない朴訥な幼馴染が、突然、酔狂なことを言い出したからだ。
「靖、魔法が本物……ってどういう意味?」
「そのままの意味だよ。〈魔法少女マム〉は本物の魔法少女なんだ」
なるほどね、と、校門に向けて次の一歩を進めるなどということはできない。
靖は、一体何をふざけたことを言っているのだろうか。
まさか祐希以上に、マムの魅力にのぼせ上がっている……というわけではあるまい。
「たしかに〈魔法少女マム〉は可愛いよ。『Wa←Wa←Wa←』のメンバー並みに可愛いと思う」
本当は、『並みに』ではなく『以上に』なのだが、そこを熱弁している場合ではない。
「祐希はマムのことを元々知ってるのか?」
「いや……」
——ついに馬脚を露わしてしまった。
祐希は、そんじょそこらの人たちに比べたら、はるかにマムに詳しく、もっといえば、誰よりも詳しい。マムのファン、いや、ヲタクといって良いだろう。
それだけではない。
実は、マムの初テレビ出演にも、祐希は一枚噛んでいる。祐希の父親は、大手民放放送局のプロデューサーなのだ。
祐希は、父親に、マムを紹介し、番組で起用するようにお願いしたのである。要するに、〈コネ〉というやつを使ったのだ。
祐希は、人差し指の爪で、鼻っ面を掻く。
「その反応だと、祐希は、すでにマムと会ったことがありそうだな」
「会ったことなんてないよ! ただ……」
「ただ?」
「……なんでもない」
変に話をはぐらかしたことで、かえって靖に怪しまれてしまったかもしれない。靖は、まるで間違い探しでもするかのように、目を細めて、祐希の表情をじっと観察している。
祐希がマムと一度も会ったことがないのは事実である。
ただし、マムとはダイレクトメッセージでやりとりをしている。
マムが動画を投稿しているサイトには、公開の場でメッセージのやりとりをする機能に加えて、特定の者同士が非公開でメッセージのやりとりをする機能が付いている。
祐希のアカウントに、先にDMを送ってきたのはマムの方である。
そんな心臓が口から飛び出るような展開がなぜ起きたのかは、祐希には、未だにイマイチ分かっていない。
まさか祐希の背後にテレビプロデューサーが控えていることを嗅ぎ分けた……というわけではないと思う。とはいえ、父親がテレビプロデューサーであることを除けば、マムが積極的に祐希と絡む理由など何もないのである。
マム本人曰く、『DMを送ったのは、祐希が私のファン第一号だから』ということだが、その真偽は定かではない。
冷たい風が、祐希の背中に吹きつける。
祐希たちと同じ制服を着た男女が、次々と祐希たちを追い越して行く。
なぜ祐希は、校門前の曲がり角で足を止めたのだったっか——その理由を思い出してみる。
「……靖はさっき、マムの魔法は本物だ、とか、そんな感じのことを言わなかった?」
「ああ。言ったよ」
「それは、なんというか、マムが〈恋の魔法〉で視聴者をメロメロにしたみたいな……」
「は? 祐希、何言ってんの?」
「……いや、でも……」
「ちょっとこっちに来い」
ラグビー部のキャプテンは、他人様のアパートの敷地内の茂みの方へ、祐希を誘った。
当然ながら、おいでおいでと手で招いたなどという可愛らしい方法ではない。持ち前の力を使って、祐希の腕を思いっきり引っ張ったのだ。ほとんど拉致のようなものである。
靖は、祐希をオオムラサキツツジの植木の裏の、人目につかない場所へと連行し、祐希をしゃがませた。そして、靖自身もしゃがみこむ。
そして、ポケットから、ホルマリンの染み込んだ布切れ——ではなく、スマホを取り出した。
「ちょっと、靖、学校にスマホは持ってきちゃダ……」
「しーっ、静かにしろ! 祐希に動画を見せるために隠れて持ってきたんだから」
「……動画?」
「昨日、マムがテレビ出演した動画だよ。文脈から察しろ」
「はあ……」
察しろ、という前に、説明しろ、と祐希は思う。スマホでマムの動画を見せたいから、茂みの裏まで来てくれ、と最初に言えば良いではないか。
それはともかく。
祐希は、昨日マムがテレビ出演したことも、細かい放送時間も知っていた。
もっとも、それは深夜番組だったため、リアルタイム視聴することができなかった。
正確に言うと、本当はリアタイする気でずっと起きていたのだが、番組が始まる三十分ほど前に寝落ちしてしまい、見られなかったのである。
その余波で今朝は寝坊し、録画した映像を見ることも叶わなかった。
今日の放課後に自宅でゆっくりと録画を拝もうなどと思っていたのだが、予期せぬタイミングで、マムのテレビ初出演映像を見ることとなった。
マムにとっても、祐希にとっても、念願のテレビ初出演である。
祐希にマムの動画を見せるためにスマホを持ってきた、という靖の言葉には偽りはないようで、靖が顔認証でスマホのロックを解除すると、画面はすぐにマムの動画に飛んだ。
おお、これは——。
マムは、アニメの世界から飛び出してきたかのような、魔法少女のコスチュームを着ていた。
赤を基調とし、アイドル衣装をさらにフリフリにしたようなもので、マムの顔よりもはるかに大きな真っ赤なとんがり帽子まで被っているのである。
余計な装飾が廃された、ほぼスケルトンである灰色のスタジオの雰囲気からは、マムの格好はあまりにも浮いている。
とはいえ、マムの〈魔法少女コスプレ〉は、祐希の目を幸せにした。
マムが動く姿まで見ずとも、再生前のキャプチャー画だけで、祐希はもうお腹いっぱいだった。
「それじゃあ、流すぜ。刮目しろよ」
言われずとも、そうしている。
祐希は、すでにマムに目を奪われているのである。
マムが動き出す。
蝶の触角のような長いまつ毛をパチパチさせる。
薔薇の花のように紅い唇の先を少し緩める。口元のほくろが動く。
細い腕を、新芽のようにしなやかに頭上に伸ばす。
そして——。
——マムは、魔法によって、世界を変えた。
本作は今のところミステリ成分がゼロですが笑、本作を着想したのは、僕が副会長を務めている『新生ミステリ研究会』の合宿参加中でした。
去年の八月のことです。
『合宿』という名の旅行なのではないかと疑われてしまったかもしれませんが、その実体は、間違いなく〈合宿〉でした。
人里離れた建物に軟禁され、ひたすらミステリについて語ったり考えたりアイデアを出し合ったりしました。
合宿中に行った読書会(京極夏彦『姑獲鳥の夏』)の様子は、会誌『Mystery Freaks vol.4』に収録されています。
その大真面目なミステリイベントで、なぜ魔法少女云々のアイデアが僕に降りてきたのかは、本当に謎です。




