【魔法少女ユノ その一】
「うわあ、すごい煙」
半径数キロメートルにわたり広がる暗闇を見下ろしながら、マムは、口に手を当て、ゴホゴホとわざとらしく咳をする。
魔法少女として戦いに参加する前にはインフルエンサーやタレントをやっていたためか、マムの行動はいちいち演技っぽい。
どうせ戦いの最中で乱れるに決まっているのに、スプレーか何かを使って毛先を遊ばせたような髪型をしているのも、きっとその頃の癖が抜けていないためだろう。
自分のようにおかっぱ髪にしろ、とまでは言わないが、もう少し戦いに相応しい髪型があるだろうと、ユノは不平を感じる。
「困ったね。ルミナ、どうしようか?」
マムが、ルミナに縋るような格好で、ルミナの腕を掴む。
ルミナが縋るにも頼るにも値しない人間であることはマムも分かっているはずなのに、マムはいつもルミナにお伺いを立てるのだ。
「煙が濃くて、〈ユルティム〉がどこにいるか分かりません。〈ユルティム〉の位置が分からないと、結界を張れません」
「だよね」
「もう少し高い位置を飛んでみて、目星を付けるべきではないでしょうか」
ルミナの提案は、やはり一笑に付すべきものだった。
三人は先ほどまで今よりも高い位置を飛んでいて、〈ユルティム〉が見えなかったことで少し降りてきたのである。ルミナの提案は、数十秒前に戻るだけの愚行である。
ルミナはちゃんと考えているのだろうか、とユノは疑問に思う。
ルミナは常に銀色のヘッドホンを耳に付けていて、音楽の世界に浸ってばかりいる。
前髪が額の先まで長く伸びていて、目に被ってしまっているのも、視界を遮断して音楽に集中するためなのではないかと、ユノは訝しんでいる。
ルミナは、〈アノマリー〉と戦っている最中も、音楽を聴いている。最終決戦を目前にした今だって、ヘッドホンからクラシック音楽が音漏れしているのだ。
こんな大音量で音楽を聴きながら、よく会話ができるな、とその点だけユノは感心をするが、話している内容はだいたい空虚だ。
多分、何も考えていない。
「上空から見たところで、位置の特定は難しいんじゃないかなあ」
マムが珍しく正論を言う。
「そうですね」
「煙ごと覆っちゃうしかないかなあ」
「そんなこと……マムさん、できますか?」
「多分ね」
同僚二人の会話を聞いたユノは、心の中で、大きなため息を吐く。
煙全体を覆う結界なんて、途方もない。
ただ、マムの才能は、その途方もないことを実現してしまうだろう。
そのことに、ユノは呆れていた。
——興醒め。
最終決戦までもがマムの独壇場だなんて、あまりにも面白くない。
ユノは、いかにも世の中を舐めているという風体のマムが、苦労もしないで何事をも成し遂げてしまうことに嫌気が差していた。
「まあ、とにかくトライだね。失敗したらごめんね」
マムは、そのように茶化すが、どうせ——。
「えい!」
マムが地上に向かって手を翳す。
その瞬間、ユノは目を閉じた。
自分ができないことをマムが楽々とこなしてしまう光景など、決して目に入れたくなかったからである。
しばらくすると案の定——。
「こんな感じかな?」
「さすがマムさんです」
二人の声と、ルミナがパチパチと拍手をする音が聞こえた。
マムは、今日は絶好調みたい、などと言ってまた茶化す。
はあ——。
——興醒め。
ユノは肩を落とすと同時に、目を開けた。
「頼もしいです。日本の……いや、世界の命運はマムさんの手にかかってますから」
「そんなことないよ」
「そんなことなくないです」
ルミナは太鼓持ちをするために、わざわざこんな危険な場所にやってきたのでもいうのか。頭空っぽのこいつには、プライドというものがないのか。
ユノは、常日頃より、ルミナが扱う〈魔法生物〉もろとも、ルミナのことを嫌悪していた。
ルミナが肩に乗せている〈魔法生物〉も、ルミナ同様に、いつもやる気がなさそうで、怠そうにゲップばかりしている。見た目の不細工さという点でも、しぼんだ風船のような見た目と〈魔法生物〉とルミナとは似たり寄ったりだ。
「早く中に入るわよ」
ユノが、苛つきながら言う。目の前で繰り広げられる茶番劇を一刻も早く終わらせたかったのだ。
「ユノちゃん、待って。私、心の準備が」
「うるさい」
ユノは、マムの鼻先に向かって、右手を伸ばす。そして、人差し指と親指を立て、指で銃の形を作る。
驚いたマムは、両肩を縮め、身体一つ分後ろに下がる。
フッとユノは鼻で笑うと、右手を九十度回転させ、人差し指の先を、マムではなく、結界に向ける。
人差し指の先に溜めた紫色の魔力を、一気に放つ。ユノの魔法は、指から放つライフル銃である。
パリン——。
——結界が割れる。
「ねぇ、私、心の準備ができてないって言ったよね?」
「だったら、外で待ってなさい」
「今日のユノちゃん、機嫌悪くない? もしかして星占い最悪だった?」
「黙れ。殺すわよ」
「絶対うお座十二位じゃん」
ユノは、マムのくだらない冗談を振り払って、結界の穴に飛び込む。
ついでにマム自身も振り払えば理想だったが、さすがにそういうわけにはいかなかった。
マムもルミナも、穴が塞がる前に、結界の中へと入ってきたようだ。
ユノがゴツゴツした地面に足を付けたのに続き、二人が着地する足音がしたのである。
さらに、耳障りな声もまた聞こえてきた。
「うわあ、超真っ暗じゃん。何も見えないんだけど」
「マムさん、ユノさん、どこですか?」
たしかに想像以上に煙は濃い。二人の台詞も決して大袈裟ではない。
「ルミナちゃん、タッチ」
「わっ! ビックリしました……。マムさん、どうして私の位置が分かるんですか?」
「ヘッドホンの音漏れ」
「ああ。なるほどです」
マムの吐息がかかったことで、ユノは嫌な気配を察した。
「ユノちゃんもタッチ……って、避けないでよ」
「触らないで」
「もう! ユノちゃん、ノリ悪過ぎ!」
「は? 遊びに来てるんじゃないんだから」
——そう。これは遊びではない。
地球の存亡を賭けた戦いなのだ。
——魔法少女の最終決戦。
世界中の人々が見守る戦いで、活躍するのは、マムではない——ユノだ。
今から、ユノが世界を救うのである。
「……それにしても、マム、よく私の位置が分かったわね」
「服の色だよ。今日のユノちゃんは目立つ服の色を着てるから」
たしかに今日のユノは、普段はあまり着ない、純白のワンピースを着ている。西洋の絵画で天使を包んでいる衣のような、暗闇でも光りそうな純白のワンピースである。
今日は、ユノの日になる。
ゆえに、ユノは、今日は一番お気に入りの服を着てきた。もちろん、戦いには支障の出ない範囲で。
それと対照的に、マムは、いつもどおりの地味な黒のブラウスを着ている。
ルミナに至っては、部屋着のまま家を出たような、ダボっとした灰色のスウェット姿である。
「ユノちゃん、どうして今日は真っ白なワンピースなんて着てるの?」
「別に……」
パチンと、マムが手を叩く音がした。
「分かった! 今日のラッキーカラーだ!」
視界良好であれば、顔面を一発殴っているところだった。
「大丈夫。ユノちゃん、今日はきっと良い日になるよ」
ニヤニヤとイヤラしく笑うマムの顔が、ユノには見える気がした。
「〈ユルティム〉の魔力は、時間が経つにつれて増大してるわ」
「だね」
「この戦いは一刻を争うの」
「だね」
「手分けをして、煙の中の〈ユルティム〉を探しましょう」
〈ユルティム〉が黒煙に覆われていて見つからないことは想定外だったものの、ユノにとっては悪くない展開であった。単独行動をする口実になる。
「……だね」
ユノの提案に、マムは賛同した。
他方、異論を挟んだのは、ルミナだった。
「手分けしてって……〈ユルティム〉を見つけたらどうするんですか? 一人で戦うんですか?」
「もちろんそう……」
「ううん。違うよ。ルミナ、みんなを呼んで」
マムに話を遮られたユノは大きく舌打ちをする。マムは、あたかもその舌打ちの音が聞こえていないかのように、話を続ける。
「空に向かって魔法を打つの。〈ここにいるよ〉っていう信号ね。それを見た他の魔法少女がその場に駆けつける」
「……救難信号ですか。ただ、この霧の中で見えますかね?」
「見えるように特大の魔法を打つんだよ」
「なるほどです」
ユノはもう一度大きく舌打ちする。
『救難信号』。そんな馴れ合いには意味がない。
これまでの〈アノマリー〉の戦いを見たって、そんなことは明らかだ。これまで魔法省の派遣によって倒された三十五体の〈アノマリー〉のうち、二十七体は、ユノもしくはマムが単独で倒しているのである。〈協力プレイ〉が必要な敵なんて、ユノが把握する限り、これまで一体もいなかった。
それに——。
ユノは、この期に及んで〈仲良しごっこ〉を継続しようというマムの白々(じら)しさに、呆れて声も出なかった。
魔法少女同士は決して味方同士ではない。
そのことを誰よりもよく知ってるのがマム自身であるはずなのに——。
——まあ、やるなら勝手にやれば良い。
ユノは、〈ユルティム〉と遭遇しても、決して、助けを呼ぶ気などない。
〈ユルティム〉は、ユノだけで倒す。
そして、ユノは、この世界の救世主になる。
世界中の人々よ。見ていなさい。
今日は、絶対に——絶対にユノの日になる。
序盤から怒涛の視点転換で目を回してしまったかもしれませんが、安心してください。ここでひと段落です。
本作は(菱川が書く長編がたいていそうであるように)全四章構造になっていますが、第三章までは、基本的に、①弥代祐希、②魔法少女ナナカ、③魔法少女ユノの三つの視点で物語が描かれます。
〈基本的に〉ということなので、実は大例外があるのですが、それは追々。
視点転換がある作品で特に気をつけるべきなのは、キャラの書き分けなのですが、少なくともユノに関しては結構良いキャラしてるんじゃないかなと自負しています。こういうツンツンタイプのキャラを過去に書いてこなかったので、筆者的には新境地です。




