【弥代祐希 その一】
『魔法少女マム』が、公に対して初めて魔法を披露したのは、動画配信サイトでのことだった。
そのショート動画は、マムの自室で撮影されたものと思われる。
女の子の部屋らしく、サンリオキャラクターのぬいぐるみや、ドールハウスの家具のような可愛らしい小物が並んだ棚が映り込んでいる。
マムは、上下薄ピンクのスウェット姿で、流行りのアイドル『Wa←Wa←Wa←』の曲に合わせて踊る。
アイドルの曲の割には全身をしっかりと使った激しいダンスであるが、マムはそれを完璧に踊りこなしている。
踊り終えると、マムは、デパート店員の〈いらっしゃいませ〉のポーズのように、肩の隣に手のひらを広げる。
手のひらの上に、赤くゆらめく〈光〉が生じる。
マムがにっこりと微笑む。
そのラストカットで、三十秒弱の動画は終わる。
動画をたまたま目にした人の中に、マムが使った〈魔法〉が本物であると考えた人は、一人もいなかったと思う。
弥代祐希だってそうである。
この動画を何十回と繰り返し再生したものの、マムが本物の魔法少女である可能性などというものを微塵も疑っていなかった。
祐希のタイムラインに、マムの動画が流れてきたのは、おそらく、祐希が『Wa←Wa←Wa←』のファンだからである。マムが『Wa←Wa←Wa←』の楽曲を使っていたために、『Wa←Wa←Wa←』のファンである祐希に対して、マムの動画が〈オススメ〉されたのだ。祐希には仕組みはよく分からないのだが、最近の動画サイトでは、このようなことがよく起こる。
とにかく、気付いたら、祐希はマムにハマっていた。
マムはダンスが上手かった。
そして、可愛かった。
マムの容姿からは、〈女神様〉という表現も大袈裟ではないくらいに、浮世離れした美を感じる。軽やかな黒髪は、まるで天からの風にそよいでいるようである。色素の薄い瞳も、まるで瞬く星のよう。スウェットを着ていても分かるほどにあまりにも細い手足は、おそらく筋肉によってではなく、何か神秘的な力によって動いているに違いない。
繰り返し動画を見ていたうち、最初の数回は、マムの手のひらの上にすら気が向いていなかった。マムの蠱惑的な笑顔に目を奪われていたからだ。
やがて、祐希は、手のひらの上で赤くゆらめく〈光〉の存在に気付いたものの、当然に、それはコンピューター・グラフィックであると解釈した。
あまり目にしない珍しい演出だな、とは思った。ただ、よくよく考えてみると、マムには『魔法少女』という肩書きが付されているのだ。
そういう〈キャラ付け〉なのだろう、と祐希は思った。
もしかすると、マムは『魔法少女まどか☆マギカ』などの魔法少女もののアニメのファンなのかもしれない。
翌日も、マムは、ダンス動画を投稿した。
撮影場所は、一本目の動画と同じ部屋だったが、マムの格好は一本目の動画と変わっており、今度は学生服姿であった。
祐希は、自分自身も中学生であるし、学生服姿の女性が特別に好きというわけではなかったが、それでも気持ちが昂った。〈制服の魔力〉というよりは、薄黄色のワイシャツやチェックのミニスカートがあまりにもマムに似合っていたからだろう。
二本目の動画で、マムが選んだ曲は、やはり今流行りの、ただし韓流アイドルの楽曲だった。
『Wa←Wa←Wa←』の曲ではなかったことは、祐希にとっては残念だった。祐希が好きな『Wa←Wa←Wa←』の楽曲はたくさんあって、意味もなく昨日、スマホのメモ機能を使って『マムに踊って欲しい曲リスト』まで作成していたほどだったのだから。
それでも、祐希は、二本目の動画を、一本目の動画の倍以上の回数再生した。
祐希は、完全にマムの虜になっていたからである。学校の宿題のことばかりか食事や睡眠のことさえも忘れて、スマホの小さな画面に熱中してしまった。
二本目の動画でも、マムはラストシーンで〈魔法〉を披露していた。にっこりと微笑んだマムは、またもや赤い光を、今度は突き立てた人差し指から発生させた。
最初は点だった光が、徐々に広がり、やがて画面全体が真っ白になる。
そうして、三十秒弱の動画が終わるのである。
祐希は、一本目の動画以上に凝った演出だなと思った。そして、マムの笑顔はやっぱり素敵だな、と思った。
マムの右側の口元にはほくろがある。
祐希には、そのほくろが愛おしくて堪らなかった。マムの神性のうちの少なからぬ部分は、このほくろに宿っているに違いない、などと意味不明な当て推量までしてしまうほど、祐希はマムの口元のほくろに執心した。
そのさらに翌日、三本目の動画が上がった。平成の時代に流行したらしいJPOPの曲に合わせて、白ふわコーデ私服姿のマムが踊る動画である。
祐希は知らない曲だったが、あっという間にお気に入りの曲となり、知らずのうちに口ずさむほどになった。口ずさんでいる間は、ずっとマムのことで頭がいっぱいだった。
ついに、祐希は、勇気を出して、マムの動画にコメントを送ることにした。
『可愛いです』
我ながら、モブっぽいコメントだなと思った。
実際に、全く同文のコメントが、海外のものと思われる別のアカウントからも送られていた。
とはいえ、二十分ほど考えあぐねた上、祐希が辿り着いたのが、このシンプルな一言だった。この一言に、祐希は、本気で書けば原稿用紙百枚分を超えそうなくらいに膨らんでいる自分の気持ちを、すべて集約させたつもりだった。
数分と経たずに、マムから〈いいね〉が返ってきた。
この動画サイトでは、〈いいね〉はハートの絵文字で表現される。ハートマークをマムからの好意であると勘違いしてはならないことくらいは祐希にも分かっていたが、それでも天にも昇るような心地となった。
マムはやがてこの世界の中心人物となる。
しかし、そのずっと前から、マムは祐希の世界の中心にいた。
女の子の名前に比べて、男の子の名前はなんてバリュエーションが少ないのでしょうか……とみなさんはそう思いませんか?
創作をするとき、登場人物の名前はその場の思いつきで決めます。
名字に関しては、電車に乗りながら執筆をしていることが多いので、路線図を眺めながら、使われている漢字を組み合わせることが多いかもしれません。
下の名前はなるべく自由な発想で考えたいのですが、男の子の名付けについてはいつも保守的になってしまいます。
本作の『祐希』という名前もリアリティのあるありふれた名前です。
本当はもっと捻った名前を使いたかった気もしますが、本作の場合は〈普通の男の子〉という点にも意味があるので、悪くはない名付けなのかもしれません。




