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【弥代祐希 その六】

「祐希君、今日はありがとう。楽しかった」


 渋谷のスクランブル交差点を渡り切ったところで、マムが言う。


「こちらこそ本当にありがとう。一生思い出に残る一日になったよ」


「祐希君、(おお)()()過ぎ」


 マムがクスクスと笑う。


 マムは祐希のすぐ隣——肩と肩とがぶつかりそうなくらいに近い距離——にいる。まるで恋人同士の距離感だ。


 マムがつけている香水の甘い香りは、つい先ほどまでは祐希の心を惑わせ続けていた。

 もっとも、今では鼻が慣れてしまったのか、香りを感じない。

 それくらいの時間、二人は近い距離で歩いている。


 とはいえ、決して、二人が恋人並みに(しん)(みつ)になったというわけではない。


 人混みがひどいので、これくらいの距離を保っていないと(はぐ)れてしまうのだ。


 そういう合理的な必要が、二人の物理的な距離を縮めていた。


 大嫌いな人混みにも、今日だけは感謝する。



「祐希君」


 不意にマムが立ち止まる。


 それに合わせて祐希も立ち止まる。


 ハチ公前広場の中央付近、緑色の小型電車が展示されている辺りだった。


「どうしたの?」


「もうこれで終わり……だよね?」


「終わり? 何が?」


「今日はこれでお別れだよね?」


「うん。そうだね」


 考えなしにそう答えたのだが、果たしてこの答えで正解だったのか、とにわかに気になり始める。


 もう()は落ちかけている。


 ハンバーガーショップを出た後、『そろそろ帰ろうか』と言い出したのもマムである。


 それなのに——マムの表情はどこか悲しげなのだ。


「祐希君、今日は楽しかった?」


「……もちろん。というか、ついさっき言ったよね。『一生思い出に残る一日になった』って」


「ああ……そうだったね」


 やはりマムは何か変だ。


 声には、いつもの()()がない。


 その上、マムは(みよう)なことで突っかかってきた。


「祐希はさ……私が思い出になっても良いの?」


「え?」


「思い出って過去のことでしょ? 祐希は、私が過去の存在になっても別に構わないの?」


「そんなわけないじゃん」


 そんな話をしていたつもりはない。


 なんだか話があらぬ方向にズレてしまっている。


「マム、僕が言ったのは、『今日が良い思い出になった』というだけで、別にマムと僕の関係が今日で終わるだなんて一言も言ってないよ。僕は、明日からもマムの配信には欠かさず参加するし、もしも今日この後夜遅くに配信をするんだったら、それも絶対に参加する」


 ここまで言えば、マムはいつもの機嫌を取り戻すに違いない、と祐希は思っていた。


 しかし、祐希の思惑に反して、マムはさらに困ったような顔をする。


「もしも私が今後一切配信をしなかったら、私と祐希君の関係は終わり?」


 この台詞を聞いた祐希がハッとしたのは、実際に、マムには配信をやめてしまうような(ちよう)(こう)があったからである。


 ここ数日、マムは配信をしていない。


 マムはこれまで基本的には毎日欠かさずに配信をしていたので、異例の事態の()(ただ)(なか)だ。


「……それはつまり、マムはインフルエンサーをやめて、タレントとか女優になるということ?」


「私にはインフルエンサーしかできないよ」


 矛盾している。


 インフルエンサーを続ける気だとすれば、どうして『もしも私が今後一切配信をしなかったら』などと言うのだろうか。


 マムは配信を辞めようとしているのか続けようとしているのか、どちらなのだろうか。


 ()()(めつ)(れつ)だ。


「とにかく、この話はもう終わり。言っておくけど、僕はマムを見捨てたりはしないから。もう帰ろう」


 祐希が駅に向かって歩き出そうとしたところ、マムの右手が祐希に向かって伸びてきた。


「待って」


 そう言われるまでもなく、祐希の身体は(こう)(ちよく)していた。


 それはそうである。


 マムが祐希の手を握ったのだから。


 右手同士ではなく、右手と左手なので、握手のように組み合ってはいない。


 ただ、マムの細い指が、祐希の手の甲に直接触れている。マムの肌の温かさがそのまま伝わってくる。


「祐希君、ごめんね。私……ごめん」


 マムの手が祐希の手からそっと離れる。


 おかげで祐希も少しだけ冷静さを取り戻す。


「マム、どうしたの?」


「私、不安で」


「不安?……たしかに最近(ぶっ)(そう)だもんね。もし良ければ途中まで一緒に帰ろうか?」


「そうじゃなくて」


 マムの両腕が祐希の背中へと回され、祐希は——マムに抱き締められた。



 ぴゅーっと木枯(こが)らしが吹く。


 ハチ公前広場を、若者たちが足早に通り過ぎていく。


 ここにはこんなにたくさん人がいるのに、誰も『魔法少女マム』の存在に気付いていない。


 公衆の場で身体を密着させる二人の中学生に、誰一人として気を払っていない。


 人混みの中にいるというのに、まるで〈ふたりきり〉でいるようだ。


 柔らかい女の子の感触を確かめている余裕すらない。


 マムの少し舌足らずな声が、祐希の耳から脳へと侵入してくる。


「祐希君がもし良ければなんだけどさ、私、祐希君と——」


 マムの言葉が(のう)(ずい)まで()(わた)る。


 マムの言葉は、甘い香水の匂いとともに、祐希の脳を制圧した。


「また会いたい」


 まずは響きがあって、その数秒後に、ようやく意味が理解することができた。


 マムが言ってくれたのは、祐希がマムに一番言って欲しい言葉であったし、祐希がマムに一番言いたい言葉でもあった。


 祐希の人生において、こんなに幸せな瞬間はなかった。


 それなのに——。



 キャアアアアア!


 (ぐん)(しゆう)の叫び声が〈ふたりきり〉の世界を崩し去った。


 渋谷の中心地で〈何か〉が起こったのである。


 人々が指差していたのは、道玄坂の方向、渋谷を代表するファッションビルの上の空。


 そこには夜の闇よりもさらに黒い〈何か〉が(ゆら)らめいて、(うごめ)いていた。


 しかし、その〈何か〉の正体は、祐希には分からなかった。


 祐希だけではない。誰一人としてその正体を知る者はいないはずだった。

 なぜなら、それは日本、いや、世界でも初めて観測された事象だったからである。


 あれは一体何なのだろう——。


 一つだけ祐希にも分かったこと。それは、その〈何か〉が(もたら)すものは、絶望以外にはあり得ないだろうということだった。




 ここまでが第二章となります。


 起承転結の承の部分ですし、ほぼ留美夏ちゃんと菜々架ちゃんの過去の話だったので、あまり話が進んでいないという印象を与えてしまったかもしれません。

 

 この作品は、僕が今まで書いてきた作品の中でも異例な話運びをしているので、みなさんがどのように受け止めてくださっているのか、とても気になります。


 第三章は、起承転結の転の部分ですので、展開はかなり早くなります。


 第三章の主役は、お察しのとおり、ユノちゃんです。

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― 新着の感想 ―
ハチ公って、銅像できた時はまだ生きてたんですよね。 でもって現在は南極に連れてかれた犬ジロともども剥製として並べられてる……どっちも埋葬してやれよと思わないでもない。 でもって……まさかこの時にアノ…
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