【青垣留美夏】後編
運命の分かれ道は、亜美夏の高校卒業を目前とした初春——亜美夏の志望校の合格発表の日だった。
亜美夏が第一志望としていたのは、偏差値が七十以上もある国立の女子大である。日本人なら誰しもが名前を知っている名門中の名門だ。
もしも亜美夏が、この大学に現役で合格したとすれば、それは快挙にほかならない。
大学の門戸は誰にも平等に開かれている、というのはお題目に過ぎず、実際には、青垣家のような貧困家庭から一流大学に進学することは不可能に近い。
しかも、亜美夏が挑んでいるのは一流大学の中でもさらに一流の国立大学である。
亜美夏の通う高校でも、過去にこの大学に合格した生徒は一人もいない。
もっとも、その快挙が起きることを、亜美夏の周りの人々はみな確信していた。
亜美夏の学力は日々伸び続け、高校三年生の秋の全国模試の段階での志望校の合否判定は〈B〉。
受験直前の模試では、合否判定はついに〈A〉となった。
みながこの日を待ち侘びていた。
鯉が滝を登って龍になる日を。
これまでの亜美夏の努力が報われる日を。
「留美夏、一緒に行こう」
合格発表を一緒に見に行こう、と亜美夏が誘ったのは、両親ではなく、家にいた留美夏であった。
大学の掲示板に合格者の受験番号が貼り出されるのは、春休み前の平日である。
それにもかかわらず、なぜ留美夏が家にいたのかといえば、それは小学六年生に進学するタイミングで、留美夏が不登校になっていたからだ。
とはいえ、亜美夏は、暇そうだったからという理由だけで合格発表に付き添うように頼んだわけではないだろう。
ましてや、出来の良い姉が光り輝く姿を出来の悪い妹に見せつけることによって、自ら優越感に浸ろうというつもりでは決してなかったはずだ。
亜美夏は、妹である留美夏に伝えたいことがあったのだ。
何か大事なことを伝えたかったのだ。
そのために、留美夏を誘ったのだということは、留美夏には十分に分かっていた。
それでも——。
「私はいいや」
留美夏は、亜美夏の誘いを断った。
そして、留美夏は、先ほどまで熱中していたスマホへとまた視線を戻した。
音量を上げて、シューティングゲームに勤しんでいることをわざわざアピールしさえした。
ドーン、バキューン——。
亜美夏は、心底悲しそうな声で、分かった、とだけ言った。
その後、亜美夏が靴を履き、家を出る音がした。
それが、亜美夏と留美夏との最後のやりとりだった。
——否、亜美夏がこの世にいる誰かと交わした最後のやりとりだった。
合格発表を確認しに行く道中、亜美夏は、交通事故によって命を落とした。
ガードレールによって区切られていない歩道を歩いていたところ、背後から自動車に突っ込まれたのである。
事故の原因は、自動車を運転していた高齢ドライバーがハンドル操作を誤って歩道へと乗り上げたことにある。
見晴らしが良い一直線の道であり、子どもや猫が急に飛び出してきたわけでもない。
なぜハンドル操作を誤ったのかについて、張本人である高齢ドライバーも『分からない』としか言わなかった。
事故を回避する術は、亜美夏には一切無かった。
法律的にいえば、過失割合は百対ゼロ。
その時その場にいた時点で、亜美夏にはもうどうすることもできなかった事故。
宝くじに当たるのと同じくらいの確率のことが、たまたま亜美夏に起きたとしか言いようのない事故。
なお、女子大の掲示板には、亜美夏の受験番号がちゃんと掲載されていた。
亜美夏の葬式は、春休みに入る直前に、家族葬でしめやかに行われた。
参列者は、父と母と留美夏のみ。
亜美夏には葬式に来たがる友人が沢山いたものの、広い葬儀場を借りるお金も、多くの参列者とやりとりをする社交性も、両親にはなかった。
父、母、そして留美夏が囲む棺桶の中には、亜美夏の死体が入っている。
しかし、棺桶を開けてその容姿を確認することは許されていない。
——決して見られるような容姿ではないからだ。
亜美夏の顔は、自動車の後輪によって、踏み潰されてしまったのだという。
たまたま事故を目撃した通行人が精神科への通院を余儀なくされるような、そんな有様だったという。
火葬炉の中で棺桶の中身が燃やされている最中、留美夏は狂ったように泣いた。
あまりにも惨めではないか。
亜美夏は恵まれない境遇の中、あれだけ必死で勉強をして、実際に志望校にも合格したというのに、呆気なく命を落としてしまった。
あれだけ気を遣っていた見た目も、最後の最後にはブロブフィッシュ以上に醜くなってしまった。
なんて悲しいのだろうか。
なんて。なんて——。
しかし、焼却炉から出てきた棺桶が開けられ、中身の白骨を見た時、留美夏の涙は涸れた。
今度は、留美夏は、葬儀場で狂ったように笑った。
あまりにも滑稽ではないか——。
亜美夏は恵まれない境遇の中、あれだけ必死で勉強をして、実際に志望校にも合格したというのに、呆気なく命を落としてしまった。
あれだけ気を遣っていた見た目も、最後の最後にはブロブフィッシュ以上に醜くなってしまった。
なんて可笑しいのだろうか。
なんて。なんて——。
留美夏は悟った——人生とは、〈運ゲー〉なのだと。
この〈運ゲー〉の中で、最も大事なのは、一番最初に使う運である。
それは、どのような家庭に、どのような容姿で、どのような才能を持って生まれるかというものだ。
要するに、〈親ガチャ〉である。
【親の財産】……F
【親からの愛情】……F
【親から受け継いだ容姿】……F
【親から受け継いだ知能】……F
【親から受け継いだセンス】……F
こんな酷いパラメータで生まれた時点で、亜美夏と留美夏の人生は最初から〈オワコン〉だった。
せいぜいできることは、〈リセマラ〉ができない人生という〈クソゲー〉を恨み、〈ガチャ運〉の良い〈優秀な〉人々を妬むことくらいである。
それなのに——。
亜美夏は、何を勘違いしたのか、高望みをしてしまった。
〈ノーマル〉の分際で、努力さえすれば〈スーパーレア〉や〈ウルトラレア〉になれるという〈幻想〉を抱いてしまったのである。
それは実に愚かなことであった。
亜美夏は、その愚かさゆえに、あんな惨めで、あんな滑稽な死に方をしたのだ。
もっとも、何もすべて亜美夏が悪いというわけではない。
亜美夏は、その〈幻想〉を、社会によって植え付けられたのだから。
〈親ガチャ〉で当たりを引いた者たちが主導する社会は、人生は〈運ゲー〉であるという〈不都合な真実〉を隠そうと必死な社会。
自分たちは専ら努力によって今の地位にいるという大嘘を吐いて、努力こそがすべてだという大嘘を吐いて、本当は運がないだけの〈愚民〉を操り、従わせるのだ。
素直な姉は、嘘つきな社会に騙されたのだ。
その結果、無駄な努力をした挙句、犬死にしたのである。
人生という〈運ゲー〉をプレイする上で何よりも重要なことは、弁えることである。
足掻いたり藻掻いたりしてはいけない。
〈ガチャ〉の結果を受け入れ、〈ガチャ〉によって与えられた人生を生きるのである。
それができなければ、亜美夏みたいに喜劇のような悲劇のような見世物じみた無様な人生を歩むことになってしまう。
この人生は、耐えだ。
ただただ耐えるほかない。
別に死後の世界に期待しているわけではない。
輪廻転生だってきっとないだろう。
それでも、この人生を耐えるのだ。
理由なんてない。
ただ人生とはそういうものなのだというだけ。
人生という〈クソゲー〉。
そこに全くの救いがないわけではない、ということも留美夏は気付いていた。
〈クソゲー〉世界の唯一の救い——それは音楽だ。
クラシック音楽を聴いている間は、留美夏は心を音楽へと逃すことができる。
音の調べによって創造される世界は、素晴らしい。
この理想世界において、苦しみや悲しみは、全て調和の下に置かれている。それらは幸福を際立たせるための〈スパイス〉として、人間を祝福する存在として、飼い慣らされ、牙を抜かれている。
野蛮な現実世界とは違う。
音楽の世界に浸っている間は、〈クソゲー〉な現実世界から心を引き離すことができる。
よくよく考えるまでもなく、音楽も〈幻想〉の一種に違いない。
ゆえに、それに近づき過ぎるのは危険だ。
たとえば、プロのピアニストを目指すとか、プロの作曲家を目指すなどしたら、亜美夏の二の舞となりかねない。
大事なのは、常に聴く側で居続けることである。
享け取る側で居続けることである。
才能に憧れることなく、才能を賞賛すること。
愚民が神に近づけるなどと勘違いして傲らないこと。
それが〈ノーマル〉として生まれた者の分相応の弁えなのだ。
『私、留美夏には音楽の才能があるの思うの。このまま努力してピアノを続けてたら、音大に入れるんじゃないかな?』
頭の中で姉の声が聞こえてくるたびに、留美夏はそれを遮断するために、ヘッドホンの音量を上げる。ダダーンと鍵盤を叩く音が、姉の声を掻き消してくれる。
不登校になった留美夏に、亜美夏が買い与えてくれたのが、電子ピアノだった。
亜美夏曰く、小学三年生の留美夏が音楽祭で鍵盤ハーモニカを上手に弾いている姿が印象に残っていたらしい。
別に姉におだてられてその気になったわけではなかった。ただ、家で特にやることがなかったため、留美夏は毎日電子ピアノを弾いていた。
正直、楽しかった。
鍵盤を指で叩けば叩くほど、鍵盤を叩いているという感覚が薄れていき、まるでルミナの心が演奏しているような心地になる。日々上達していくのが、自分でも分かった。
もっとも、亜美夏が死んでから、留美夏は一度も鍵盤に触れていない。
なお、これは亜美夏が死んでから知ったことだが、電子ピアノを買うために、亜美夏は友人数人から借金をしていたらしい。
小学六年生の進学時から始めた不登校は、中学校に入学してからも継続し、昼夜が逆転した生活を続けていた。
そんな時に、〈アノマリー〉が出現し、やがて地下シェルターでの避難生活が始まった。
そこでも、誰とも話さずに〈引きこもり〉同様の生活を送っていたところ、突然、留美夏は魔法の力に目覚めた。
昼寝に目を覚ますと、隣に〈ブロビィ〉がいたのだ。
魔法を使えると知った時、留美夏の心が躍ることも、留美夏に強い責任感が宿ることもなかった。
留美夏は、それをただ単に受け入れただけである。
そして、その態度は正しかった。
魔法少女として〈アノマリー〉との戦いが始まってすぐに明らかになったことは、マム以外の魔法少女はマムの〈付け合わせ〉であり、マムの〈引き立て役〉に過ぎないということである。
そのことに対して、留美夏が不満や嫉妬を覚えることもない。
それは、そういうものなのだ。
それ以上でもなく、それ以下でもない。
留美夏は魔法少女として戦わなければならないため、魔法少女として戦う。
死ぬ時には、死ぬ。
それ以上でもなく、それ以下でもない。
人生とは、そういうものなのだから。
下読みした友人からはこの留美夏のくだりについて、『櫛木理宇以上のイヤミス』などと称されました笑
ここが最鬱地点なので、これ以上鬱なくだりはこの先ないです。
ちょうど仕事で理不尽な交通事故の案件を扱っていたタイミングで書いていたので、その影響が色濃く出てしまったのかもしれません。