勇者の仕事
勇者が生まれた。
彼は魔王を倒すため旅立ち、幾多の戦いを超え、艱難辛苦の末、そしてとうとう魔王その人の前にたどり着いた。
彼は言う。
「神を解放しろ、魔王。この世界の神を」
魔王は言った。
「聞け、勇者。お前たちはそもそも、根本的に間違っている。わたしが神を封印していなければ、滅ぼされるのはこの世界だ」
「何をふざけたことを」
「考えた事はあるか。神にとって人間がどんな存在か。教えてやろう、人間など出来の悪い創作物、ただの失敗作だ。神はどんな世界を望んでいると思う? 混沌か? 悪徳の栄える欲望の世界か? 闇に溺れた者が弱者を虐げて貪り食う世界か? 今は一体どんな時代だ?」
「そんなものを神は望まない。それを望むのはお前だろう、魔王!」
「違う。これを望むのは、この世界を作っているのはお前たちだ。お前たち人間を含む失敗作の生き物がこの世界をかたち作っている。神が、この世界を創った神が望むのは残念ながらそんなものではない。優しく美しい、平和で豊かな世界を彼女は望んでいる。はっ! くだらない、くだらないな! そう思わないか!? 勇者!」
「そんな事はない! 誰もが平和や豊かさを享受し、幸せに暮らせる、弱者を切り捨てる事のない世界、それは素晴らしい世界だ! 僕らはそんな世界を作る! 魔王、お前を倒して!」
「そうか。お前はそんな世界を望むか。しかし今、世界はそうはなっていない。それは多くの生き物が弱者を踏み躙って餌にする世界を良しとするからだ。お優しい神がそれを見たらどう思うだろうなあ?」
「そんな、それは、お前が神を封印しているからで……」
「否!!」
魔王は叫んだ。
「わたしは神からこの世界を守っているのだよ! 失敗作のガラクタが、創造者の望みも理解せず、己の立場も顧みず、神が創った世界を汚して回っている! 世界はゴミだらけだ! 部屋がゴミだらけのとき、人間はどうする? そう、掃除だ。神が世界を片付けて創造をし直す、それをわたしは止めているのだ! いいのか勇者! わたしを殺せば、神は世界を滅ぼすぞ! それでもわたしを殺すのか!」
勇者はためらい、そして剣を握り直した。
「それでも、神がそれを望むのなら、人間はそれを受け入れるべきだ」
「そうか。では、来い」
魔王は両腕を大きく広げる。
勇者は魔王の胸にまっすぐ剣を突き立てた。
その日、神の封印は解けた。
いくつかの大陸が沈み、多くの動植物が死に絶え、世界は一変した。
勇者だった魂は目を覚ました。
その体は雲の上、大空に浮かんでいる。
「ようやく目を覚ましたか」
声のするほうを見ると、魔王がそこにいた。
「下を見ろ。お前のやった事の結果だ」
すると雲が開けてそこに今の世界の姿が見えた。
精霊や妖精が森や海を飛び回り、楽しそうに働いている。
モンスターや動物たちは争うことも食い合うこともなく生を謳歌しているようだ。
人間の姿は……どこにもなかった。
「神は、人を罰したのか」
「違う。罰するなんて意識はなかっただろう。ただ片付けただけだ。次のもっと良いものを作るために、机の上を片付けた。ただ、それだけ」
勇者は何も言えなかった。
「気にするな、勇者。神はまた創り直す。ほら、見ろ」
魔王が指差した先には精霊たちが集まっている。
その中心には光があった。
「あれはもうすぐ人間の形に出来上がる。そしてまたやり直すんだ」
「僕は……僕のした事は……」
「勇者というのはそういうものだ。お前のした事は多くの弱者を救った」
「けれど、世界を滅ぼした」
「後悔しているのか? あの世界をあのまま残しておくべきだったと」
無言でうなずく勇者に、魔王は提案する。
「では、世界を守ってみるか?」
「守る? でも世界はもう」
「あるだろう、ここに」
魔王は眼下を指差した。
「新しい世界だ。神はこれからこの世界でやり直す。けれど、もしまた世界が弱肉強食から抜け出せず、人間が獣の本能のままに生きる事を選んだら、神はきっとまた世界を片付けるだろう。その前に、お前が神を眠らせるんだ」
勇者は目を大きく見開いた。
「魔王、それは……」
「そうだ。お前が次の魔王になる。神を封印し、世界をあるがままの姿で栄えさせる」
「僕が、魔王」
「ああ。神の代わりに人間を導いてもいい。弱者を守る勇者の本能に従ってもいい。神が世界を滅ぼすのを止めずに傍観してもいい。これからはお前がこの世界に責任を持つんだ」
「お前は、どうするんだ。一緒に……いてくれるのか」
「残念だがわたしはここまでだ。もう次へ行く。お前はわたしのような失敗はするなよ。勇者が現れるという事は、世界が悲鳴を上げているという事だからな」
そう言うと、魔王は姿を消した。
勇者は、元勇者の魔王は、しばらく呆然とその場に浮かんでいたが、精霊の騒ぐ声でそちらに意識を向けると、そこで人間の最初の1人が誕生するのを見た。
まだ子どもの、善も悪もない清らかな魂。
精霊たちが喜びの歌を歌う中、新しい魔王はぼろぼろと涙をこぼして俯いていた。
その涙が喜びの涙なのか、後悔の涙なのか、それは彼以外に誰にも分からない。