博乱の八咫烏③
きっと悪い顔をしているのだろう。
親指と中指で輪っかを作りながらお松に尋ねると、彼女は唾を飲み、胸元から小さな子袋を取り出した。
「こ……これが今払えるお金です……」
子袋を受け取り、中身を確認する。
中から姿を現したのは数枚の小さなお金だった。
「おい……、まさか……これで全部ってわけじゃないっでしょうね? どう見ても五十文しかねーじゃねーか」
「……すみません、これで全部です……」
「おいおいおい……、こんなんじゃ米も満足に買えないってーの……」
この時代の米は銭とほぼ同じ価値になるが、五十文程度の銭では米なんて十キロも買えない。
ひとりでも少なすぎるのに、彼女の家庭は動けない旦那を入れて三人だ。それも育ち盛りの子供まで居るのに、全財産が五十文って……。
嘘だろ、と疑いたくもなるが、それは彼女の容姿からもある程度納得出来る部分もある。
髪はボサボサ、服は小汚く、よく見ると顔も少しやつれている。多分、最低限の食事しか取っていないのだろう。
それなのに、彼女はこの全財産を使ってまで恨みを晴らしたいと思っている。
それだけ彼女の念は深いということだろう。
「お願いします、これが今出せる最大限の誠意なのです! 足りなければ私を商品として、売り飛ばすなり好きに使ってくださいませ! その代わり子供だけは……」
「…………」
「今ものうのうと生きている銭虎が許せないのです。ですから、この恨みを……」
お松は再び涙を流し、深々と頭を下げた。
仮にこの条件を呑んでしまえば自分がどうなるのか分からないというのに、そんな後先を考えず、彼女は今の恨みを晴らしたいがために懇願する。
人の親として正しい行動なのかと問われれば微妙のラインだ。
ただ、愛する旦那を騙し、借金ついでに愛娘まで奪い取った銭虎という金貸しを、彼女は人の親以前に人として……ひとりの女として許せないのだろう。
それだけはしっかり伝わった。
「ダメね」
私は彼女の願いを断った。
「……やはり足りないのでしょうか?」
「そう、足りない。アンタなんか売っても大した金になんかならない。勘違いすんなや」
流石に言葉が悪かったのか、喜多が後ろでツッコむ。
ここまで言われたら怒るかと思ったのだが、顔を上げた彼女の顔にはそんなものひとかけらも存在しなかった。あるのは涙だけだ。
「私がいなければ子供も生きてはいけません……。足りなければ息子も一緒に――」
それ以上はダメだ。それ以上は人の親として言ってはいけない。
私はお松の胸ぐらを掴み取った。
「勘違いすんなってのはテメー等の価値云々より、そもそも私は奴隷商じゃねぇって言ってんだよ」
「あ……」
「アンタは今、個人的な恨みに息子を利用しようとした。それってその悪徳金貸しと何が違うの?」
何が違うのか……、人に聞けば半数以上は全く違うと答えそうな質問である。現に話に出てきた金貸しの銭虎と、ここにいるお松とでは全く違う。もっと簡単に言えば加害者と被害者だ。
だが、お松の息子にとってはどうだろう。根本的な原因は金貸しだが、仮にその身を売られでもしたら母親も同罪と思うのではないだろうか。
悪人に嵌められたのは同情するが、それに子供を利用するなんてのはダメだ。
そんな人を人として見られなくなった時点で、私はその人をクソ野郎認定するだろう。かつての父のように。
「あ……ああ……。私は……なんて事を……」
正気に戻ったのか、私の言った意味を理解してくれたのか、お松はその場で力のない声を漏らした。
彼女は踏みとどまった。外道にならなかっただけ、彼女には人としての価値は十分にある。
だが、それはあくまで私の考えであって。
お松からしたら、外道に落ちようとした自分と頼みの先がダメだった事に絶望している。
「では、私達はこれからどうしたら良いのでしょうか……。このまま恨み晴らせず朽ち果てるまで待つしかないのでしょうか……」
生気すら失いかけている。
しかし、絶望するにはまだ早い。
私はまだ「引き受けない」とは言っていない。
「何ショボくれてんのよ。言っとくけどアンタに価値がないわけであって、アンタ以外には価値があるじゃない」
「え……」
「髪に付けてる……コレ。それを出せるならこの依頼……受けてあげないこともないわ」
ハッ、とお松は自身の頭に手を伸ばす。
そこにあったのは深紅に輝く玉形の髪飾り。小汚い今の彼女には似合わない、とても大事にされていそうな立派な髪飾りだった。
「こ……これで御座いますか?」
「そう、それ」
選択肢に入っていなかったようで、お松は視線を逸らし熟考する。
おそらく、あの髪飾りは特別な物なのだろう。予想するに、怪我で動けない旦那から貰った大事な物。未来でいう結婚指輪みたいな物。
それを手放せるのか、と私は聞いている。
悩んだ挙句、彼女は決心したようだ。
「これをお代に……私の恨みを晴らしていただけるのですね⁉」
「……出せるならね」
「出せます! お願いします! どうかこの髪飾りをもって銭虎に天罰をお与えくださいませ!」
そう言って彼女は何度も頭を下げ、髪飾りをお代として置き、帰って行った。
「ずん、仕事よ」
そう命令すると、ずんは私の前で両手を広げた。
「……何?」
「その髪飾りを売ってくればいいんスよね?」
ずんはこの髪飾りに価値があると思っているらしい。
だが、残念。この髪飾りはそういう物ではない。
「こんな物に価値があるなんて本当に思ってたの?」
「え……、だって姫様はそれに価値があるって……」
「価値と言ってもお金じゃないのよ。これはそうね……、いわゆる覚悟。恨みひとつ晴らすのに、私は彼女から覚悟を買ったのよ」
「……は、はぁ。ちょっとわちきには分かんないっス」
ずんは理解出来なかったのか、中途半端な返事をすることしか出来なかった。
こんな髪飾りに価値なんてない。多分、私以外の人間も触って質感や素材を見れば同じように思うだろう。
だが、お松にとっては違う。
この髪飾りはきっと大切な人から貰った大事な物であり、カタチある思い出であるに違いない。その価値は彼女にしか分からないし、だからこそ値段が付けられないモノだと思ったのだ。
「お打にもきっと理解出来る日が来ますよ。でも姫様、結局お金はどうするんですか?」
「……どうしよっかなぁ、ハハハ」
「もう、いつも人情で動くんですから! どうでしょう、ここは私から殿に頭を下げ、今回だけは年貢を免除してもらえるようにお願いしてみますが……」
私は喜多の提案を断った。
素晴らしい案である事に違いないが、それでは政宗に貸しを作ってしまう事になる。それは嫌だ。
「とりあえず、今は便利屋としての初仕事を終える事に集中しましょう。喜多、ずん、アンタ達にはやってもらう事があるから」




