第十九話 博乱の八咫烏①
「喜多のそれは……その辺りに置いて。ずんは……ここまだ汚れてる。それとここの床板は傷んでるから時間がある時に張り替えといて」
襷を背中でバツ印に結んだ喜多が重そうな机を民家に運び入れ、本来忍びであるはずのずんは忍びの仕事とはかけ離れた床掃除に精を出す。
ふたり共よく働いてくれる。ここで指示だけ出してる自分は少しだけ心が痛いよ。
「そう思っているなら姫様も手伝ってくださいッス……」
心の声を読み取ったのか、それともついつい出てしまった声をその地獄耳で拾い上げたのか。滴る汗を拭いながら、ずんは私に助けを求めた。
そうしてあげたいのは山々なんだけどねぇ……。
「これ、お打! 文句を言う暇があったら手を動かしてください!」
「だって、姫様さっきからそこにずっと座ったままじゃないスか。何もしてないなら少しは手伝ってほしいっス……」
「しっ! 姫様は今大事なお仕事中です、邪魔をしてはいけませんよ……」
ちぇっ、とずんは小言を漏らした。
喜多の言う通り、私は机にある一枚の板切れと睨めっこをしていたのだ。
本当に何もしていないわけではない。
これのセンスで出だしが決まると言っても良い。それほど今の私は真剣に悩んでいるのだ。
覚悟が決まり、板切れの横に置いてあった筆に手を伸ばす。
熟考した挙句、私は迷いなく、手に取った筆を板の上で滑らせた。
サラサラサラ……。
私は書き終わった板を手に取り、古民家の入り口の前に立て掛けた。
「無価値の……悪魔……?」
私が気になったのか、机を運び終えた喜多が中から姿を現した。
「『無価値な悪魔』。私が以前使っていたブランド名よ」
「じゃん……? ぶら……?」
「まぁ簡単に言えばお店の名前。そして、ここの名前でもあるってわけ」
ここは米沢の城下町の、とある古民家。
以前、輝宗に褒美を聞かれた時にお願いしていた人の住んでいない古民家を取り壊さないで確保してもらっていたのだ。
中は年季が入っていたせいで大分痛んでいる。
が、それ自体はさほど問題ではない。むしろビンテージ感があって、昔からやっているお店みたいで良いじゃないか。それに城下町内にある、というのもポイントが高い。
というのは半分建前で……。
もう半分は予算をそんなに掛ける事が出来なかった。いや、掛けたくなかったのだ。
この古民家を確保した時に、あまりの古さから輝宗と政宗に新築するように提案されたのだ。
だが、それをするにはお金も人手も掛かる。
彼等にとってそんなものは大した問題ではないのだろうが、少なくともそれが農民達から集めた税金と思うとためらってしまう。
ただでさえ戦や外交でお金を使うのに、私の趣味のために税金を投入するのはいかがなものかと。
だったら趣味のお金は自分で稼げば良い。そう思い、古民家を借りて商売をしようと思ったわけだ。
勿論、お店は服屋。この時代では仕立て屋と言うんだっけ。
「にしても、仕立て屋っぽくない名前っスねぇ。普通に仕立て屋じゃ駄目なんスか?」
「尖った名前の方がインパクトあるでしょ。それに……この名前にした理由はもうひとつあんのよ」
「もうひとつの理由……?」
「そんな事よりずん、アンタ掃除終わったの?」
終わっています! と、ずんは鼻を伸ばした。
床は綺麗に水拭きされ、傷んだ所はいつの間にか補修されている。流石仕事が早い。
「じゃあそんな仕事の早いずんちゃんにはもうひとつ仕事がありまーす!」
「えー、ご褒美のお饅頭は⁉」
「終わったらたらふくあげるわ。そんな事より今から私の言うことをやってきてちょうだい」
私はずんに仕事の依頼を話した。
すると、ずんは目を細め、不安そうな顔を見せる。
「……それ大丈夫なんスか? 下手したら殿達にバレるかも……」
「大丈夫だって。これはずんにしか出来ない事だし、まぁ最悪手が付けられなくなった夜逃げも覚悟よ」
ええ……、と不安な声を漏らしつつも、ずんはその場を去って行った。
――――――――――
「ここはこう……。そこですぅ――ってハサミを通して」
「こ、こうでしょうか……?」
お店の準備が整ったため、私達は早速商品作りに取り掛かった。
この時代では客が使って欲しい生地を選び仕立てるのが基本なのだが、やはりそれだけを行っていては効率が悪い。
そのため、屋敷から自作の衣装を持ってこようと思ったのだが、またしても十着あった衣装のうち七着が無くなっていたのだ。これで二度目だ。
多分九州に行っていた時に無くなったと思うのだが、屋敷内の人間を見渡してもそれっぽい服を着ている奴はいなかった。
もしかしたら転売している可能性があったため町中も探ってみたが、どのお店にもそれっぽい物は見当たらない。
女物の服なため、正直男が盗んだとは考えにくい。変な趣味のある奴なら話は別だが……。
そういうわけで、今はサンプルを飾ろうにも数が足りない。
お店が軌道に乗れば私だけではどうにもならないため、喜多に作り方を教えているというわけだ。……が。
「あー! また切り過ぎてしまいました!」
「ハハ、大丈夫よ……」
喜多といえど、慣れないものに関しては流石に上手くはいかない……か。
とはいえ、初心者にも分かりやすいように印を付けているのだが、全然ハサミがそこを通らない。喜多にも出来ないものがあったようだ。
「姫様……刀はダメでしょうか? 私刀なら自身があるのですが……」
「ダメに決まってんだろ」
私だけならまだ良い。喜多の斬撃は髪をカットする時にある程度慣れてしまった。
だが、軌道に乗れば他の従業員を雇わなければならない。お客だっている。
そんな中、店内で刀をブンブン振り回す女がいると想像してみろ。皆、怖がって逃げてしまうわ。
だから、喜多には何としてもハサミの使い方に慣れてもらわなければならない。
「あーん! またやってしまいました!」
道は険しいようだ。
「……只今帰りましたっス」
すると、仕事を任せた町娘姿のずんが帰って来た。
顔が疲れている……というより、どこか不安で落ち着かないようだ。そんなに褒美の心配をしているのだろうか。
「おつかれー。そんな心配しなくても団子はそこに置いてあるわよ」
「いえ、そんな事より……」
すると、店にもうひとり女性が入って来た。
見た目は三十前半といったところだろうか。服装もそこらにいそうな町民である。
だが、彼女の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「……ごめんなさい、まだお店はオープンしていないのよ。あと二、三日経ったら――」
「――お願いします!」
町民の女性は私の言葉を全て聞く事もなく頭を下げた。
それも地面が土なのにも関わらず土下座でだ。
「晴らせぬ恨みが……あるのです」
彼女はゆっくり顔を上げると、私にそう言ったのだった。




