吾輩は猫である④
「ニャハハ! 確かに言質は取ったぞ、この大馬鹿者め!」
「…………」
「猪、お主も聞いていたな⁉」
猫御前が猪の名前を呼ぶ。
すると、寺の賽銭箱の陰からヌルリと黒髪の女が姿を現した。
「はい、猫御前様」
「うわっ! そんな所にも隠れておったのか!」
突然現れた猪の姿に驚く宗乙和尚。
「……愛姫様、私が隠れているのを分かっていましたね」
「な、何ぃ⁉」
うん、分かっていた。誰かが賽銭箱の後ろに隠れているのはやたら長く伸びた影で分かっていた。
こんな所に猫御前がひとりで来られるわけがない。そうなると、自ずと隠れている人物は九割五分絞られる。
何故、彼女達がこんな事をしたのか。
それはここへ来る前に喜多が既に警告してくれていた。
猫御前はそこらの側妻とは違う。
自由奔放な性格でありながら自分を偽れる猫のような女であり、いつかその鋭い爪を私の喉に突き付けるかもしれない、と。
そのため、私は猫御前に隠すなと言ったのだ。
コソコソ爪を研ぐのではなく、隙あらば背後から、いっそのこと正面からかかってこい。私はそんなんで怒るような人間ではないぞ、と彼女にアピールしたのだ。
「……先程の発言は側妻である猫御前様が政宗様から一番の寵愛を受けても構わない、そう捉えても仕方ないようにも聞こえましたが……?」
ハッキリと言うなぁ、この侍女は……。
私が濁していた部分なのに……、むしろ猫御前よりこっちの侍女の方が厄介な存在かもしれない。
強気には出たものの、私の急所である事は間違いないので狙わない方が可笑しいか。
クッソ、私もこの事についてはさっさと割り切らないといけないってのにね。
「……好きにしなさいな。私は逃げも隠れもしない。不意打ちでも、寝首を搔こうも、好きにしなさいな」
「……そうですか」
ここまで言っても表情ひとつ変えない。コイツ、ロボットじゃないよなぁ?
用事が済んだのか、猫御前と侍女の猪は帰り支度を始める。
「のう、愛姫様。ひとつお願いがあるのじゃが……」
帰ろうとした猫御前が振り返る。
「宣戦布告した相手にこんな事を言うのは何じゃが……、その……ふたりの時は愛姫様ではなく、『愛』と呼んでよいか?」
「はい?」
「いや、嫌ならよいのじゃ。どちらにせよ吾輩と其方が側妻と正妻の立場は変わらぬ。じゃが、吾輩は政宗様を共に愛する女として対等に其方を見たいのじゃ。格上の『様』呼びではなく、対等に……」
まぁ歳も大して変わらないし私は別に構わないのだが、喜多やずんの事を思うとそこまで緩くして良いものかどうか。
「ダメよ」
私は猫御前の要求を断った。
「そ……そうか、そうじゃよな。立場だけはしっかりさせておかんとな。すまん、今言った事は忘れてくれ」
半ばあきらめていた感じで、猫御前の表情は思ったよりスッキリとしていた。
だが、スッキリして帰ってもらっては困る。
私は猫御前の我儘を聞いてあげたんだ。
ギブアンドテイク。こっちもアンタに要求する権利はある。
「愛はダメだけど、愛センパイなら許可しよう」
「愛センパイ……? 何故先輩なら良いのじゃ?」
流石に先輩の意味は知っているらしい。
それでもこの時代ではあまり馴染みのない言葉のようで、猫御前は首をかしげた。
一応、猫御前は年下である。ここは馴染みのある先輩呼びが適当だろう。
それに……。
「愛呼びは特別な人にしか許してないのよ。アンタはまだダーメ」
「――なっ⁉」
猫御前の顔が赤くなる。
私が気を許したと思っていたのか、それとも自分の図々しさが恥ずかしくなったのか、猫御前は「もういい!」と捨て台詞吐き、侍女の猪と寺を後にした。
嵐の前の静けさ。いや、嵐の後の静けさと言っていいほど寺は静かになった。まぁこれが本来のスタイルなのだが。
と、思いながら私は程よく冷めたお茶に口を付ける。
「……なるほどのう。では儂も愛姫様を『愛』と呼んで良いという事に?」
「それはセクハラでしょ」
「――せ、せく……はら⁉ せくはらとはどういう意味で⁉」
説明するのも面倒だったので、私はあえて説明する事をスルーした。
――――――――――
米沢城に帰った後、今回の出来事は喜多に報告をした。
喜多は一度大きくため息をついたが、「仕方ない御方ですね」とやや半笑いで私の話を聞いた。
どうやら侍女の間でもひと悶着あったようで、やれ城の装飾が気に入らないなど、やれ猫御前の部屋が狭いだの、事あるごとに言い合いとなっているらしい。
その裏で動いているのが猫御前なのか、それとも彼女にいつも付いている侍女の猪なのかは分からないが、兎に角私の侍女達とは上手くいっていないようだ。
女同士の争いはここが面倒だ。
やれ私の好きな男に色目を使ったなど、やれアイツは調子に乗っているなど、ホントどうでもいい事ですぐに発展しやすい。
自分の縄張り内で少しでも目立つ奴が気に入らない、自分より格下なのにいい気になっている奴が気に入らない。
だったらより自分を磨いて、より力を付ければいいのに。寄せ集めの力なんて崩れれば脆いものなのに。
ああ、クソ面倒事が増えたなぁ。
と、ゴロンとうつ伏せになりだらけている私を見て喜多がクスリと笑った。
「フフ、それにしても猫御前様が姫様にそんな事を……」
「ん、何かヘン?」
「いえ。ただ、私はどうなのかなぁ……って思いまして。姫様の侍女でいる時間も長いですし、もしかしたら『愛』と呼んでも良い間柄なのかなぁっと……」
横目で微笑みながらチラリとこちらを見る喜多。
なんだなんだ、そんな愛と呼びたいのか。
あの時は揶揄うついでにああ言ってしまったが、別に特別失礼な言い方ではない限りこだわりはないので好きに呼んでいい。
特にお世話になっている喜多に関しては……だ。
「別にいいわよ、愛で」
「いえいえ、冗談です! そんな所を他の者に聞かれでもしたら首が飛んでしまいます!」
冗談かよ。
まぁそんな事で首が飛んでいたら首がいくつあっても足りないか。ヤマタノオロチも気が気でないだろう。
「とはいえ、姫様も猫をかぶるのをやめませんか?」
「はぁ? 私のどこが猫かぶってるって……、まさか政宗に対してなんて言うんじゃないでしょうね?」
「いえいえ、そうではありません。姫様は私にだけ『さん』を付けますよね。もう慣れてしまったのですが、何だか仰々しいといいますか。そんなに気を使わなくてよろしいかと思いまして。昔のように喜多と呼んでいただけたら……」
気付かなかった。
私は誠意を込めて喜多を『さん』付けしていたつもりだったのだが、彼女からしたらそれが今まで引っかかっていたようだ。
確かに私が喜多と会ったのは約三年前だけど、愛姫という女はそれ以前から世話になっているわけで。
そう考えれば彼女にとって私の敬語には違和感が、猫をかぶっているように聞こえてしまったのか。
「…………」
「……姫様?」
「……喜多」
「――はいっ! 姫様、いかが致しましたか⁉」
「呼んだだけよ」
なんでだろう。ちょっと恥ずかしいな。
私は内心少しだけ赤くなりながらも、かぶっていた猫の皮を脱いだような気がした。




