第三章 悲しみの人取橋編 第十八話 吾輩は猫である①
「儂が奥州探題伊達家十七代目当主・伊達藤次郎政宗である‼」
米沢城の客間にて政宗の大きな声が響き渡る。
天正十二年(一五八四年) 十月。この日をもって政宗は伊達家の当主に成り上がった。
こんなに早く? 私もそう思った。
家督を相続するという事は、父である輝宗は隠居するという事だ。まだ四十そこらのオッサンが考えるにはあまりにも早すぎる決断でもある。それは勿論、政宗も理解していた。
俺にはまだ早すぎる。
数日前までそう言っていた政宗の背中を押したのが、紛れもない……父の輝宗だった。
それだけ義姫の連判状事件は輝宗を焦られたようだ。
そのため、相馬から金山城と丸森城を返還された功を理由に、政宗へ家督を譲る事を決断したと言う。それがお家争いを鎮める即効性の鎮痛剤になると思ったからだ。
「よいか、儂は父のようには甘くない! 当家のウジとなるようであれば例え一門譜代であろうと容赦なく切り捨てる、皆しかと心に刻めぃ!」
「ははっ!」
「儂は必ず奥州を束ね、いずれ天下も狙う。此度はその初陣でもある……よいな!」
「ははっ!」
政宗の言葉に小次郎擁立派だった家臣達も全員頭を下げ、忠義を誓う。
事はどうであれ、政宗は正式な伊達家当主になったのだ。おかげさまで私の権力も同時に上がるのだから良いことづくめである。
――――――――――
「ふぁぁぁ……、あぁ退屈だった」
私は大きなあくびをしながら身体を伸ばす。
家督相続なんてチャチャって終わらせればいいものを。その辺りがグダグダ長くなるのは日本人特有なのかもしれない。皆、挨拶が長すぎるのだ。
「姫様、聞こえてしまいますよ! でもまぁ若はご立派……いえ、殿はご立派になられました。喜多にとってこれほど嬉しい時は御座いません」
「そっか……、喜多さんは政宗の乳母だったんだもんね。ねぇ、息子が無事に巣立った今の気持ちは?」
「フフ、何ですかその質問は。……そうですね、嬉しさ八と寂しさ二、と言ったところでしょうか」
と、笑いかける喜多。
嬉しさとは政宗が成長して無事に伊達家当主としての器を開花させた事だろう。
だが、寂しさとは。そんな感情をひとカケラも見せない喜多に、私は足を踏み入れる。
「私は子を宿した事が御座いません。なので本当の母の気持ちは分かりませんが、その……なんというか……心がギュッとするような、嬉しいはずなのに何とも言えないような気持ちが残るのです。それが何なのか分からず寂しさと例えてしまいました」
「……なんとなく分かる。身近にはいるんだけど距離が離れた感じ……でしょ。雲の上の存在になっちゃったなぁって感じというか」
「そう、それです!」
喜多は声を張り上げた。
吹っ切れた、喉に引っ掛かっていた事を思い出したような……そんな感じだった。
「もう私を母として……今まで通りの喜多として見てくれなくなるような気がしていたのです。これが母というものなのでしょうか」
そこに関しては多少なりとも変化はあるだろう。
伊達家の当主となってしまったからには皆にその威厳というものは示さなければならない。それが頭ってもんだ。
だが、多少見る目は変わっても根本的な芯はブレないだろう。
私はここ数年政宗という漢を見てそう思った。
「心配しなさんな」
私は一言、喜多にそう言葉を投げた。
頭にクエスチョンマークを並べる喜多だったが、何かを感じ取ったのかニコリと笑う。
「そうですね。それはいつか姫様が教えてください」
「は? 何で私が?」
ニヤニヤ、と喜多は笑いを隠そうとしない。
何だこの笑みは……。不気味すぎる。
「政宗様との子……。大きくなられ伊達家を継いだ時にその気持ちを今度喜多に教えてくださいまし」
「なっ――⁉」
フフフ、と笑いながら正面を向き直す喜多。
米沢に帰ってから、やたら喜多や侍女達が私を政宗にくっつけようとしていた理由がこれで分かった。
早く政宗様と夜の営みをしてください、なんて口がすべっても言えない。言ったら私が不機嫌になるのを分かっているからだ。
そのため雰囲気を作ってなんとかしたいのだろう。部屋に怪しい香を焚いている時もあったか。あの時はなんだかモヤモヤして寝つけが悪かった。
はぁ……、と私はため息をつく。
この時代の女として生まれ変わったのは事故だったとしても、私が政宗の正妻である限り皆の期待は変わらないのだ。
当主の正妻となったからには後継者を宿さなければならない。
それは私であれ、純粋な愛姫でも役割は変わらなかっただろう。私がどんなに頑張っても女性であるが故の性でもある。
別に子を宿す事が嫌なわけではない。
むしろ女性にしか出来ないのであれば、それはとても喜ばしい事なのかもしれない。
だけど……なんだろうこの気持ちは。
私は心の奥でそれを拒んでいる気がする。
「ま、まぁその話はまた今度で」
「あーいつもそうやって誤魔化すんですから!」
「誤魔化してなんかないよ! それより喜多さんって政宗の乳母だったんでしょ? 子供を産んだ事ないのに母乳って出るもんなの?」
体質や乳頭への過度な刺激、病気などで出る事もあると聞いた事はある。
だが、少なくとも私が前世で生きていた中でそのような女子はいなかった。食生活の変化、医学の進歩など色々の要因はあるだろうが、やはり妊娠もしてないのに母乳が出るのは稀に違いない。
と、考えると妊娠した事のない喜多が乳母役を務めたは引っかかる。
何故、彼女は政宗の乳母役に抜擢されたのか。私はひとつの可能性を疑っていた。
「……喜多さん、もしかしてだけど本当は妊娠した経験があるんじゃないの? だけど、喜多さんには子供はいない。それは存在しないわけではなく、ここにいないだけ。じゃあ何でここにいないのか。これは私の推理だけど、喜多さんは身分の高い人と――」
ぐにゅうー。
と、喜多は私の両頬を両手で押さえ付けた。無言で。
それ以上は言ってはいけないと言わんばかりに、物理的に言葉を封じると共に今まで見せた事のない怖い眼で私を睨みつけた。
「いやですねぇ姫様ったら、喜多に隠し子がいると思っているのですか? そんなのいるわけないじゃありませんか。フフ、揶揄っているのですか?」
「ひ、ひや、そうひゃなふて、あふまてひゃのうせいのはなひであって」
「ん? 何を言ってるのか分かりませぬ。もう一度言ってもらえますか?」
ギラリッ、と喜多の目が獲物を見つけた獣のように光る。
これ以上はいけない。私は心から喜多に屈服した。
「な、なんれもないれふ」
「ん、よろしい」
喜多が手を放してくれた。なんだ、ちゃんと結局聞こえてるじゃないか。
とは言いたくても言えない。これ以上は触れてはいけないものなのだろう。
私に秘密があるように、彼女にも秘密があるという事だ。
「ニャハハハハ! 何じゃ何じゃと騒がしいと思い見に参ったら、そこにおるのは伊達の猛獣こと愛姫様ではありませんか!」
喜多に押さえつけられた頬を擦りながら、私は声のした方を振り向く。
そこにいたのはふたりの侍女を連れ歩いた、青髪の小さな女の子だった。




