第十五話 第二次耳川合戦 後編①
「チッ。あーあ、結局はオメー等の策略にはまったってわけかよ」
歳久は川向うに陣取る牛幻を見る。
「アイツがオメー等の軍師か……。見かけねー坊さんじゃん、どっかの名家の出家人かい?」
「名家かどうか知らないけど、牛幻は角隈石宗から軍略を学んだって言ってわね」
「あぁ? 角隈石宗だぁ⁉」
少し考えた後、歳久はウンウンとひとりで納得するような仕草をとる。
「通りで尖った戦術を使うわけじゃん。あのオッサンは慎重な性格だったけど、攻める時は大胆に動かすのが好きだったからな。六年前だって俺の調略がなかったら今頃どうなっていたことやら……」
「……六年前?」
ああ、と一言。
そして冥土の土産と称して、歳久は私に耳川合戦の裏話を話す。
当時大友が大敗した理由に田北鎮周の暴走が主なきっかけになっているが、それを先導したのが歳久によって予め潜ませてた忍びの仕業だった。
元々大将である田原親賢とは意見が合わない噂を聞いていたので、歳久はその隙を突く作戦を決行した。
それだけではない。
大友の軍師である角隈石宗に不穏な動きあり、と大友領内で噂も流したのだ。当時は何かの間違いだとそこまで効果は表れなかったのだが。
「毒ってのは面白いもんでよ。ひとつひとつじゃ効果の弱い毒でも、ふたつ混ぜれば猛毒になるじゃんよ」
「――!」
角隈石宗の噂に、田原親賢や停戦派による一方的な和睦交渉。
じわじわと浸透していた毒は、大友を敗北に導く猛毒へ変化したのだ。
「やるじゃん。確かに強すぎる毒は確実に足が付くもんね」
「おー理解が早くて助かるぜ。そうそう、それが俺様の放った毒……、この歳久様の口三味線よ!」
ベロンッと普通の人より長いご自慢の舌をアピールしながら、歳久は背中から紫色の風呂敷に包まれた細長い物を取り出す。
そこから現れたのは……三味線だ。それも普段目にする三味線よりもサイズがひと回り小さい、男の歳久が持つとさらに小さく見える三味線である。
そしてベンベンベン……と、敵である私の前で歳久は演奏を開始した。
「それにテメーも既に侵されてんだぜ? 俺の猛毒によぉ」
「……へぇ。それは効果が楽しみ――っね!」
猛毒。
それは舎弟が歳久の挑発に乗り、それを助けようと私が城を出てしまった事を言っているのだろう。
だが、結果的にそれは誾千代達の援軍により解毒となっている。
なので今歳久の言っている事はブラフ、ただの口三味線に過ぎないのだ。
「おー怖ぇ怖ぇ。そんなんで殴られたくねーじゃんよ」
「ちょこまかと! 逃げてばっかいないで漢なら正々堂々と戦いなさい!」
「ハハッ、そう焦るな。テメーには死ぬ前に俺の演奏を是非聞いてもらいたいじゃんよ」
幾度となく振りかざす金属バットを躱しながら、歳久は演奏速度をどんどん上げる。
上げて。上げて。上げて。
ロックバンドのギタリストがソロパートを熱狂的に演奏するような。
熱く、激しく、それでいて闘争本能を刺激してくる変わった演奏だ。
「ヘヘッ、どーよ俺の演奏は。三味線の腕も中々のもんだろ?」
「ええ、そうね。口三味線なんかよりよっぽど聞いてられる。いっそのこと芸人にでもなったら?」
「……ああ、それも悪くはねぇ。馬で旅しながら好きな時に弦を弾く、そんな生活もいつかはやってみたいじゃんよ。だけど……その前に俺達にはやらないといけない事があるじゃん」
「……何だろ、レパートリーを増やすとか?」
ベベン――。
と、歳久は熱狂的な演奏を急に閉じた。準備が終わり、今のが前奏だったかのように、撥をゆっくりと降ろす。
「意味のわからねえ異国語使ってんじゃねーよ。やる事と言ったらただひとつ、義久兄を九州の頂点する事じゃん!」
歳久はそう宣言すると演奏を再開する。
先ほどまでの熱い演奏ではない。音程をあまり強弱させない、平凡で誰でも引けそうな、そんな特徴も無い演奏である。
「一瞬じゃつまんねー、ジワジワと遊んでやるじゃんよ」
「敗北のビージーエムはそれでいいの? それならこっちから!」
演奏に夢中となっている歳久の懐に近づき、金属バット振りかぶる。
今度は確実に――。
「……あれ?」
金属バットは空を切った。
肝心の歳久は数歩前で演奏を続けている。
「どこ殴ってるじゃん」
歳久は反撃するわけでもなく、ただひたすらに演奏を続ける。
文字通り遊んでいる。
「次はちゃんと狙うじゃんよー?」
「うっさい! 死ね!」
スカッと、またしても金属バットは空を切った。
避けられたのだろうか?
いや、歳久は避けてはいない。そんな動作一切なかった。
それなのに悪魔のように微笑みながら、歳久はまたしても数歩先で演奏を続けている。
「――なっ、何で⁉」
「ったく、折角遊んでやるってのに……。なら俺がお前の遊びに付き合ってやるじゃんよ」
すると、歳久は演奏を変えた。
今度は音程をごちゃまぜにした不規則な音。
耳障りな音。不協和音ならぬ不快和音。
先ほどまでの演奏が嘘のような、神経を逆撫でするような演奏をする。
「右じゃん」
「――――!」
突然右耳から聞こえた声に反応する。
いつの間に。私は咄嗟に右を振り向いた。
ぷにぃ。
と、私の左頬を何者かが触れる。
「――へっ⁉」
「ハッハッハッハ! 嘘嘘、こっちじゃん! あまりにも隙だらけだったから、ついつい柔らかそうなほっぺに触っちまったじゃんよ!」
そんなはずは……。
確かに今私の右耳から歳久の声が聞こえたのに。
何故……、どうしてアンタがそこにいるの?
「なーに固まってるじゃんよ。ホレホレ」
「――っ馬鹿にすんなー!」
反射的に出した拳を、歳久は簡単に受け止める。
手を払い除けると、再び耳障りな音を奏でだした。
「こっちじゃん」
今度は左からだ。
さっきは嘘をついた。って事は今度は――。
「――ぐぅ⁉」
「あーわりぃわりぃ、ついつい手が出ちまったじゃん。だけどよそ見は駄目だぜ、よそ見は。こっちだって言ったじゃんよ」
腹を殴られた。それも声の聞こえた左から。
不意にもらってしまったため、私は激痛から両膝を着いてしまう。
「あが……。な……なんで……、さっき……まで……目の……まえで」
「目の前ぇ? ハハハ、何言ってるじゃん。俺は左へ移動したってのに、テメーってば全然反応してくれねーんだもん。そんなつまらねぇ奴にはお仕置きじゃん!」
目の前でさっきまで奏でていた歳久の姿はもうない。
左を向くと笑いながら私を見下ろす歳久の姿があった。
兎に角、今は距離を取らないと。
私は痛みを耐えながら歳久との距離を取る。
「ククッ、よしよしまだ元気だな。そんじゃ次いくじゃん!」
右か左か。
それとも前か後ろか。
そもそも嘘か真か。
歳久の演奏が始まるたびに身体がブルリと反応する。
これが歳久の口三味線。
猛毒入りの口三味線が徐々に私の闘志を奪っていくを感じた。




