第二次耳川合戦 前編⑤
刀程の殺傷能力はない。
ただし、兜や甲冑の上から殴ればその効果は絶大であり、例え非力でもその衝撃は内部に到達する。
金属バットの間違った使い方。
とはいえ、剣術を知らない私達にとってどこからでも殴れるというのは最高のステータスだ。
「…………」
「ホラ、どうしたの⁉ 何人でも相手してやるからかかってらっしゃい!」
挑発を繰り返す私の前に、今までとは違う雰囲気をした漢が現れる。
歳久の横にいた、他とは違う参謀のような漢だ。
「面白い! ならば其方の相手、この鎌田政金がお受け致す。儂は女とて容赦せんぞ!」
鎌田政金と名乗った漢は刀を抜き、一定の間合いまでジリジリ近寄る。
今思えば一対一での真剣勝負は相馬義胤以来。久しぶりにボス級相手とタイマンをはれると思うと、私の心は奮い立つ……はずだったのだが。
何故だろう。この漢……どこか違う。
顔は威嚇し、大胆に大きく構えているその様は、どこかなりたてのチンピラにそっくりだ。
例えるなら擬態した生物。体色や見た目を変化し、食べても美味しくなさそうに見せるような生物。
この漢からは「俺に触ったら火傷するぜ」みたいな胡散臭い匂いがプンプンするのだ。
輝宗や義胤、立花宗茂達といった強者が放つ気迫を感じ取れない。
「そちらから動かぬなら、儂から行くぞー! そりゃー‼」
仕方ない、と武器を構えた時。私の後ろから何かが猛スピードで飛び出した。
「なっ⁉」
「アンタの相手はアタイだよ」
誾千代だ。
鎌田政金の刀を弾き、右脚で蹴り飛ばす事により一時的に距離を取る。
「ぎ、誾千代⁉ 何で⁉」
「…………」
高城の中にいたはずの彼女が武器を握り、わがままで飛び出した私に加勢する。
たかがひとりの命のためにその身を投じた、愚か者の私に無言で加勢する。
すると、誾千代は黙って私の肩に腕をかける。
そして一言。
「疼くッ!」
……疼く?
傷が疼くのだろうか。
いや、誾千代はここまで一太刀すら浴びていないはずだ。
なら疼くとは何の事だろう。古傷でも痛むのだろうか。それともこんな絶望的シチュエーションに興奮しているのだろうか。
とりあえず聞いてみよう。
「疼くって……どこが?」
「ココ」
「――ヒャウッ⁉」
誾千代は人差し指でおへそのちょっと下……膀胱のある部分に触れ、グリグリと円を描くようにゆっくりと触れる。
……私の。
「アタイね……おかしいんだ。今までこんな事なかったのに……、こんなの要らないのに……」
「――――!」
「茶屋で助けられた時。宗茂に会っても怯まなかった時。宗麟様を蹴り飛ばした時。そして、無鉄砲に命を賭してる今。やめとくれよ……。アンタが予想外の行動を起こすたんびにアタイのココがチクチクと疼くのさ……」
誾千代は指先を私の身体に触れながら、筆でなぞるようにゆっくりと頭の方に進めていく。
息を荒くし、苦しそうに。それでも誾千代は下から上に、舐め回すように私の身体に触れる。
逆に私はというと……、何かが身体を這い上がってくるような感覚に身体が膠着してしまっていた。
「その疼きがさぁ……こう徐々に、少しずつ上に上がってきて、アタイのココをクチャクチャにするのさ! アンタを見ろ、愛だけを見ろって!」
「――――!」
「怖いよ愛……、アタイこんな気持ち知らない。知りたくない。だけど止まらないんだ! ねぇ愛……、アタイどうなっちゃったのかなぁ……」
「誾千代……、アンタその顔……」
誾千代がゆっくりと顔をこちらに見せた時、ある意味悪寒が身体中を巡った。
男勝りな彼女からは想像も出来ない。いつもキリッとしていて、女でも惚れてしまいそうな凛々しい姿の彼女はそこにはいない。
いつものキリッとした表情は砕け、トロンとした目に頬は赤く染まっている。
男勝りのかけらも無い。ベロリッと唇を舐め、目の前に自分の好物があるかのような……まるで恋する肉食系乙女のような表情をしているのだ。
お前は……誰だ?
私の思考が一瞬停止する。
「アタイ? アタイの顔? 今のアタイ……そんなに変?」
「いや……変というか何というか……オンナの顔してる……」
「オンナ??」
わざと知らないフリをしているような、キュルンとした表情を私に見せる。
そういえば誾千代のこれまでの人生は結構複雑だった。
道雪には強くなるよう漢のように育てられ、若くして城主になるも養子の宗茂にその座を奪われた。
また、そんな目の敵のような漢と結婚をさせられたのだ。自分の人生はメチャクチャだ、と誾千代は私に話してくれた。
幼少時代に女である事を封じ込められ、物心ついた時には女であると無理矢理自覚させられた。
それらの見えないストレスという鎖が彼女の心を縛り付けていたのかもしれない。
だとすると、今の誾千代の行動はその反動による可能性が高い。
物心ついて急に飛び出して来た乙女心に、漢として育てられてきた過去が反発し合って今のような感情が生まれてしまった、としたら……。
彼女の言う通り、私の行動がこれらの引き金になったとするならば、私はとんでもない厄介者を呼び寄せてしまったのかもしれない。
「余計な邪魔をしおって、このまな板女が! もうどっちからでも良いわ、さっさとかかってこんかい!」
「あっ……」
余計な事を……。
私は誾千代を恐る恐る確認するが、既に手遅れだった。
さっきまでの乙女顔は幻だったかのように、今はまな板と呼ばれた事で表情が引きつっている。
でも、おかげ様でいつもの誾千代に戻ったようだ。
「ああ、待たせて悪かったね。お詫びに二度と戦場へ出られない身体にしてやるよ。アタイを褒めてくれた礼はたっぷりとしないとねー?」
顔が怖い。
それでも私は、鎌田政金に向かって一歩を踏み出す誾千代を止めなければならない。
「あ?」
「あ、じゃない! どうして出て来たのよ⁉ アンタまで出て来ちゃったら城内の指揮はどうすんのよ!」
「指揮?」
そう。だから私はひとりで飛び出したのだ。
仮に私が死んでも誾千代が何とかしてくれる。そう信じて舎弟を助けに行ったのに。
それなのにこの娘は……。
「今ならまだ戻れる。私が何とかするから誾千代はさっさと城に戻――」
「戻れる城があるならね」
そう言って後ろの城を見た瞬間、あまりの驚きに私は言葉を失う。
固く閉じていた門は全て開いており、櫓などからは鉄砲隊と弓隊が、門からは長槍や刀をいった近接戦闘をする兵士達が続々と現れた。
籠城戦なんてする意思無し。
先頭に立つ喜多と覚悟を決めた兵士達の姿に、私は心をキュッと締め付けられる。
「な……なんで? どうして……」
「アンタのせいさ」
誾千代は私にそう短く言った。
「わ、私のせい?」
「そうさ。さっきも言っただろ? アンタの行動は不思議と人を惹き付ける。皆アンタの被害者さ」
「ひ、被害者……」
「勘違いするんじゃないよ。確かに火付け役はアンタだけど、最終的には皆自分の意思で決めてる。ここにいる私も、立花隊の皆も。要は、皆愛に惚れちまったのさ」
被害者……か。私はなんて事をしてしまったのだろう。
大将なんて周りから見たら飾りだと思っていたのに、そこまで皆は私の事を。
まだ出会ってそんなに日は経っていないのに。
大した事なんてまだ達成していないのに。
バッカみたい。
大馬鹿は私だけだと思っていたのに、ここにいる皆……私を超える超大馬鹿だった。
「それに勝算がなかったわけじゃないんだよ」
「え?」
ドォォ――ン!
と、空気を揺らす激しい轟音と共に歳久隊の片翼が崩れていく。
弓矢、鉛玉、そして轟音の正体ともなる強大な砲弾が雪崩の如く歳久隊に襲い掛かったのだ。
「な、何だ⁉ 何処からの攻撃じゃん⁉」
攻撃は高城を囲んでいる川の奥からだった。
坊主頭の軍師の指示で、更に攻撃の激しさが増す。
「牛幻!」
川向うからの援軍は別動隊として挟撃に向かっていた牛幻隊。
山田有信を討伐か撃退出来たため、急いで戻って来たのだろう。
「おい、高城を包囲している部隊は何をしてるじゃん! さっさと向かわせろ!」
「そ、それが……包囲隊も後ろから大友の奇襲を受けており応戦中との事!」
「はぁ? 大友だぁ?」
こんな絵に描いたような奇襲劇を指示したのも牛幻だろう。
軍師として有能過ぎる。こんな漢を牢に閉じ込めていたなんて世も末だ。
だけど、助かった。
牛幻隊への反撃と渡河する兵への対応に兵を取られ、歳久は完全に孤立してしまっている。
倒すなら今しかない。
「歳久は愛にあげるよ。アタイはあの副将を殺る!」
「オーケー、任せといて!」
「一応言っとくけど、歳久は勝つためなら何でもやってくる。特にアイツの口三味線には気を付けるんだね」
口三味線?
具体的に聞こうと思ったのだが、誾千代は我慢の限界に達したのか副将の鎌田政金へ突っ込んで行った。
そして完全に孤立した私と大将・島津歳久。
六年越しに再びここ日向の地で大友と戦う事になるとは思っていなかっただろう。




