合戦前軍議 その一 大友編①
「お、驚きました……。これがみゅーじかる……ですか」
「ま……まぁ似たようなもんね、うん。それにしてもずん……アンタひとり四役ってどうやってんのよ。これが噂に聞く分身の術ってやつ⁉ どんなカラクリになってるのか教えなさいよー」
それは秘密ッス、とお打。相変わらず謎の多い忍びだ。
それにしても本当に史実通りに事が進んでいる。それも恐ろしいほど正確に。
別に疑っていたわけではないが、ここまで正確だともっと真剣に知識を入れておくべきだったとは思う。後の祭りだけど。
「どう? 私の言った通りでしょ⁉」
「ええ、おかげ様で島津側の動きが大体理解出来ました。ほとんど姫様の申す通りだったので、こちら側も作戦をそんなに変更しないで済みそうです」
「それは良かった。じゃあ聞かせて、牛幻の考えた作戦・第二次耳川合戦ってやつをね」
「分かりました。では姫様とその御一行様達も理解しやすいように、前回の耳川合戦を復習しながら今回の作戦を説明しようと思います。まずはこちらの絵図をご覧ください」
牛幻は持って来た絵図を広げる。
――耳川の戦い。
天正五年(一五七七年)。長い間良好な関係を続けていた薩摩・大隅(現在の鹿児島県)守護の島津と日向(現在の宮崎県)の伊東との間で戦が勃発。
戦いに敗れた伊東氏は隣国の大友を頼り、その後当主である大友宗麟によって庇護された。
天正六年(一五七八年) 四月。中国地方の覇者・毛利からの侵略を警戒しながらも、日向国北半分を貰う条件で大友宗麟不在の兵六万が隣国の旧伊東領へ侵攻。島津側に寝返っていた縣の土持親成を攻略する。
これに対抗して島津側も島津忠長が奪われていた新納石城に攻め入るが、五百人以上の死傷者や逆に副将が討ち取られるなどがあり撤退を余儀なくされた。ここまでが耳川の戦いの前哨戦となっている。
同年九月。織田信長によって京から追放されていた室町幕府将軍・足利義昭が島津に大友攻めを命じる御内書を送った。
幕府の力がほぼ失われているとはいえ大友攻めの大義名分を将軍から得た島津は四万の兵を率いて再び北上、それを見ていた大友軍も兵を南下させ島津家末弟・島津家久が籠る高城を包囲した。
同年十一月十日。家久の援軍に向かっていた島津義弘はお家芸である『釣り野伏せ』を決行。大友軍の補給隊を三百の囮隊に襲わせた。
大友軍はそれに気付き追いかけるが、島津の伏兵が潜む場所にまんまと入ってしまい返り討ちにあってしまう。
大友軍が混乱しているうちに義弘とその他主力部隊は高城を囲む大友軍に攻撃。それを見ていた家久も城を開門し、挟撃策を決行する。
結果、大友の城包囲隊は壊滅、状況を芳しくないと思った大友軍大将・田原親賢は撤退を指示した。
その日のうちに大友軍大将・田原親賢は島津側に停戦を提案。それに怒ったのが大友軍で交戦派の田北鎮周。勝手に停戦した事を不服とし、翌日の一二日早朝に同士を集め独断で島津軍へ攻撃を開始。この時牛幻の師でもある角隈石宗が「血塊の雲が頭上を覆っている時は戦うべきでない」と主張するも、暴走した田北隊を止める事が出来なかった。
事態を知った大友軍は田北隊を追うように進軍を開始。田北隊の奇襲に島津軍の前線が撤退を開始、田北鎮周の強引で卑劣な作戦が成功した……と思われた。
しかし、島津軍の前線が撤退したのは囮、本陣近くまで大友軍を引きつけて伏兵で挟撃する島津のお家芸『釣り野伏せ』だった。
大友軍が小丸川を渡り終えたと同時に法螺貝が鳴る。
四方八方に伏せていた島津軍や高城から出て来た家久達からの挟撃で大友軍は壊滅。
敗北を悟った大将の田原親賢は豊後に撤退。その時逃げ遅れた兵が日向の耳川まで追い打ちに遭うなどし、約二万の兵が討死した。
この時耳川までの野道には大友兵の死体で埋め尽くされ、耳川は溺死した大友兵と討ち取られた大友兵の血で赤く染まったという。
「…………」
淡々と語る牛幻に、私は言葉が見つからなかった。
いや、私だけじゃない。喜多や左月、そしていつの間にか合流している宗麟と大友家臣達も表情を曇らせている。
耳川の戦い、想像以上に血が流れている。
私の知っている知識など所詮はどっちが勝ってどっちが負けたか、結局はその程度だ。
今の日本では戦争や天災で何人亡くなったか。今年で何年目なのかがよくニュースなどで放送され、昔の悲劇を風化させないように努めている。
だが、一度でもこのような多数の人に知れる形で、いつまでも風化させないように昔の話を、耳川の戦いを放送した事があっただろうか。
同じ国内で死んだのにも関わらず、この差はとても寂しい。
文献が正しいのか分からない。年代が古すぎてついていけない。それを言ったらキリがない。
私は学校の先生よりも分かりやすく、そして生々しい牛幻の説明にやるせない気持ちを抑えきれなかった。
「その……牛幻、なんて言ったらいいか。ごめん、何だか辛い話をさせたみたいで……」
「謝る必要は御座いません。私が勝手に話した事ですから。それに師である角隈石宗を想っての事でしたら、それはお門違いです。戦場での死は武士の習わし、師も主君のために死ねるのなら本望だったでしょう」
これもまた淡々と話す牛幻だったが、その瞳は途中から入って来た大友宗麟に向けられていた。
当時戦場には行かず、ずっとお祈りと寺社仏閣の破壊に勤しんでいた大友宗麟に眼は向けられていた。
「分かっておる。石宗の死、あの戦で散っていった者の魂は無駄にはせん。此度の戦はその者達の弔い合戦ともなろう」
「ええ、此度の島津と龍造寺の戦は領地奪還の絶好の好機。そのため日向に攻める部隊とは別にもうひとつ……奪われた筑後の地にも攻め込みます」
これには驚いた。
元々私の案では手薄になった日向を攻め落とすのが目的だったのだが、牛幻はそれだけではなく筑後にも兵を向けると言うのだ。
だけど、そんなに兵を分散させて大丈夫なのだろうか。ただでさえ大友が集められる兵は限度があるのに。
「姫様は此度の戦で龍造寺隆信が討死する、そう申しておられましたね?」
「うん、確かそうだったね。その後は島津の領土になるはずだよ」
「隆信の求心力を失った国を倅の政家がすぐにまとめられるとは思えません。それに筑後は元大友家臣が多くいる地、道雪様と紹運様なら上手く調略を済ませながら攻め入る事が出来ましょう」
「ん? って事は道雪と紹運の部隊は日向には送れないって事?」
「そうなります」
そうなりますって……。
となると、今残っているのは私の部隊と大友宗麟の本隊だけということになるのだが。
兄者に任せておけば大丈夫。
豚丸の言葉を信じて牛幻に作戦を丸投げしたのだが、流石に不安になってきた。
「何不安そうな面してんだい! 日向にはアタイが同行する。愛達だけに手柄は渡さないよ」
「誾千代⁉ なんで⁉」
「アタイから牛幻にお願いしたのさ。愛の部隊は精々二百、白兵戦にでもなったら間違いなく危ないからね」
「それは嬉しいけど……。でもアンタ、城には戻らなくていいの? 宗茂には何も言ってないんじゃ……」
「あーそれなら心配いらないよ。そこは父上にお願いして許可を貰ってるし、兵も一千程度送ってもらえるしね。私は半分の五百でいいって言ったんだけど」
誾千代の言っている事は本当だった。
それは牛幻も承知の上らしく、立花山城にいる道雪と宗茂の所に出向いて直接交渉を行ったそうだ。
「道雪様からは兎も角、宗茂様からは条件を受けておりますがね」
「条件?」
「誾千代様を絶対お守りする事。もしも何かあった時は私と愛姫様には死んでもらう……、だそうです」
こわっ。
でも、おかげで誾千代が援軍にとして来てくれるのはありがたい。彼女の力を近くで見た私だからこそそう思える。
まぁ確かに夫婦仲がいくら悪いとはいえ、誾千代は道雪の大事な一人娘。生涯の友であってほしいと言われた手前、もし何かあったら道雪に殺されそうだ。
それを分かった上で、宗茂はわざわざそういう言葉を牛幻に伝えたのかもしれない。
「オーケー、わかったわ。だけど、数が足らないのは変わらない。どうするつもり?」
「ふふ。数が足らないのなら、足らないなりの戦略があるのですよ、愛姫様」
「??」
「少数で行う攻略策、つまりは夜襲を仕掛けます」




