私の軍⑤
「石宗様の口癖でした。物事の結果は準備の段階で七割が決まる……と」
「七割って……。それ結構な確率よ」
「はい。なので謀の数が勝負を決めるとはそういう事なのです」
ましてや劣勢の立場であるなら尚更、と牛幻は付け加える。
「それに今回の戦は数で劣る我々が攻め側ですからそれなりの数になりましょうや」
「ふーん。それじゃあさ、残りの三割は何なの?」
我々じゃよ、と今まで口を開かなかった道雪がそう言った。
「石宗はこうも言っておったわ。その三割、つまり我々の心を折ったほうが戦の勝者だと。忠誠心、大義名分、何でも良い。戦場にいる兵の心が折れればそれ即ち死人同然だとな」
「心……」
「そうじゃ。忠誠心を折れば寝返りが、大義名分を失えば離反が起きる。戦は大将首を上げる事だけが勝利ではない。如何に相手の心を素早く折るか、それが戦なのじゃ」
流石は誾千代の父・道雪、彼が言うと身体の生々しい傷などもあり説得力が違う。
不意な事故から歩けなくなったと聞くが、その身体は歳ながら未だ衰えを知らなそうだ。
「そのため島津と有馬の関係がどこまで進んでいるのか先に調べる必要がありますね。愛姫様、宗麟様に間者を両国に送るように手配していただいても構いませんか?」
「別に良いけど、そういう事なら既に得意な奴がいるよ」
「??」
「ずん! いるんでしょ、降りて来なさい!」
掛け声と共に天井からババッっと現れた黒脛巾組のお打。既に恰好は旅芸人からいつもの忍び装束に変わっている。
「有馬と島津を調べてくればいいスね?」
「そうよ。話が早くて助かるわ」
じゃ行ってくるッス、と言い残すとお打はその場からすぐに消えてしまった。仕事となれば人が変わったかのように素早く動いてくれるのので本当に助かる。
「……今の方は?」
「私専属の忍び・ずん。普段はぐーたらしてるけど、仕事はちゃんとするよ」
「なるほど。今のが噂の独眼竜が創った忍び集団・黒脛巾組……ですか。なら私は彼女が帰ってくるまでに策を考えておきましょうか。年明けとはいえ、調略も含めればそんなに余裕はありませんからね。準備も色々とありますので、私は自分の部屋に籠らせて頂きます」
そう言うと、牛幻は伊達屋敷を出て自分の部屋に戻っていった。
牛幻がいなくなったことで道雪も帰るのかと思ったのだが。
「ちょうどいい。娘、少しばかり付き合え」
――――――――――
道雪と向かった先は河川敷だった。
ここは偶然ながらも私が集った人を選別していた場所、そして誾千代から立札を没収された場所でもあるわけだが、今は太陽から放たれる黄金色の光が降り注いだ草花の揺れる絵になりそうな場所へ変わっている。
勝手に立札の内容を変えた事についての説教かと思ったが、道雪の表情から見るに怒るとかそういう事ではなさそうだ。
「誾千代の事なんじゃが……」
「誾千代?」
随分としんみりとした表情を浮かべる道雪。とても雷神という異名を背負った武人とは思えない、まるで気が抜けたような優しい顔をしている。一言で例えるなら父の顔というやつだろう。
「知っておるかもしれんが、儂にとっての嫡子は誾千代だけじゃ。そのため、誾千代にはその血を絶やさぬよう幼い頃から儂の全てを教えた。女子がやる芸道などは一切やらせずに、人を殺める剣術を徹底的に叩き込んだのだ」
「誾千代の凄まじい太刀捌き、あれは幼少期に培った努力の賜物だったのね。でも、何で今更それを……私なんかに言うの?」
「誾千代は恨んでる……かと思っての」
恨む?
何故そんな事を思ったのか、私は道雪にその理由を問う。
「何でそんな事を?」
「…………」
黙る道雪。
私の質問が間違っていたのかと思ったが、道雪は言葉を絞り出すようにゆっくりと本音を吐き出す。
「女子らしい事をさせなかったせいで誾千代に向けられる視線は厳しくてのう。儂に似たのか剣術ばかり上達してしまった。それに本来家督とは男が継ぐもの。それを儂の我儘……女子でありながら家督を継がせたせいであの子の人生を狂わせてしまった、とずっと悩んでおったのだ」
「……っ」
「現に儂は紹運殿から嫡子を譲り受けて家督を宗茂に譲っておる。あぁ……流石にあの時は死を覚悟したわ。まさか儂の教えた雷神の技で斬りかかって来るとは思わなかったからのう。説得するのに……いや、諦めてくれるのに一週間かかったわい」
裏切った道雪を許せなかったのか、誾千代は気が晴れるまで城で暴れ回ったそうだ。
おかげで敵から襲撃を受けていないのにも関わらず城がボロボロになったようだ。
「宗茂も睦まじい関係になるよう努力しているようじゃが、誾千代からしたら当主を奪った厄介者としか見ておらん。頼むから仲良くやってほしいのじゃが……」
「キャハハ、まぁ女は男と違って割り切れる子が少ないからねぇ。私は誾千代の気持ち分かる、それだけあの子は本気だった。性別とか関係なく立花家を、この国を守っていく。その覚悟を、彼女の義を父親とはいえ無下にされたらそりゃ怒るわよ。そこに関してはご愁傷様。ざまぁ味噌漬け、たくわんポリポリってやつね」
「たく……わんぽり? 聞き慣れん言葉じゃのう」
「ん、たくわん知らないの⁉」
首を横に振る道雪。正確には沢庵なのだろうが、多分どちらでも通じるから問題ない。そこは日本人の持つ適応能力の素晴らしい所だ。
それにしてもたくわんを知らないとは。そんなに新しいレシピでもないだろうし、普及しだすのはもう少し後なのだろうか。
今ではご飯に合うおかずランキングで上位に入っているかすら怪しいたくわん先輩、庶民の食卓から段々と消えていきそうなたくわん先輩だが、私には好みな食材だった。
おばあちゃんの意向で夕食が毎回和食だった陽徳院家で鉄板だったのがたくわん。一流シェフの豪華和食が並ぶ中でひと際異彩を放っているおばあちゃんの作ったたくわん。身体に配慮してかおばあちゃんの作るたくわんは薄味だったが、そんな優しい味……庶民的な味が私は大好きだった。
(懐かしい……。おばあちゃんの作ったたくわん、久しぶりに食べたいなぁ)
とはいえ、たくわんなら何とか作れなくもないだろう。
大根を天日干しでカラッカラに乾燥させてから味の付いた漬け汁にダイブさせる。作り方を調べなくても何となくそんな感じではないかと思っている。職人からしたら「甘い!」の一括が飛んできそうだが。
「今度食べさせてあげるわよ、たくわん」
「たくわん……とは食べ物であったか。それは娘の国だけで食べている食材なのか?」
「そんな事はないわよ。大根とちょっとした調味料があれば誰でも作れる。今度誾千代にでも教えとくから作ってもらいなさい」
「ほほぉ、それは楽しみじゃ!」
心なしか道雪の表情に活気が戻る。たくわんなんかで元気になってくれるのなら安いもんだ。
「……娘、ひとつだけお願いがあるんじゃが聞いてくれんか?」
「??」
「誾千代から儂に送られてくる文にはお主の事が沢山書かれておったわ。甘味屋での出会いから近い年齢に似たような境遇、そしてなにより話していて楽しいそうじゃ。それは誾千代の文からも見て取れた。珍しく長文を送ってきたと思ったら、ほとんどお主についてだったからのう。生涯の友が出来た、と書かれておったよ」
生涯の友……か。嬉しいような、恥ずかしいような。
だって私は特別何かをしたわけではない。伊達を天下一にするため、九州にいる大名達とは良好な関係でいたい。元々の狙いはそこだったわけで。
「じゃから娘、……いや愛姫殿。これからも誾千代とは仲良く、あの子の生涯の友であってほしい。大友と伊達との架け橋など国の道具ではなく、純粋な親友として誾千代と付き合ってほしいのじゃ。もし敵同士になっても、お主達の友情だけは壊したくないのでの」
道雪のお願いとはシンプルながらも、簡単のようにも聞こえながらも、なんだか重い……これから死にゆく人間の遺言のようにも聞こえた。
何故この漢はこんな事を言うのだろう。
「ハッ、当たり前じゃない。言われなくても私と誾千代はこれからも友達、ズッ友よ! そんな事いちいち誰かに言われる筋合いなんかないわ。そもそも友達とか親友ってそういうのじゃないでしょ?」
「……うむ、そうじゃった。娘の言う通りじゃ。ガハハ、儂とした事がついつい柄にもない事を――」
らしくもない自分を笑い飛ばそうとしたその時、道雪は急に「ゴホッ!ゴホッ!」と咳き込んだ。
たまにある話している最中に咳き込むアレ……とは違う。よく見ると道雪から大量の汗流れ出ていた。
「…………」
「ちょ、ちょっと⁉ これって……」




