織田からの使者⑤
この女は何を言っている。
部屋にいる大半の人間がそう思っただろう。勿論、私だって。
しかし、政宗の母親でもあり、輝宗の正妻であるこの女は何か悪だくみを思いついたのか、口元を袖で隠しそのような不気味な事を言うのだった。
「お前までも冗談を……」
「いえ、冗談では御座いませぬ。ただ見返りを考えた時に、案外悪くないのではと思ったまで」
「見返り?」
「ええ。愛姫が織田に行くこと事はそれ即ち人質に同じ。じゃが考えてもみよ、それは伊達と織田が今まで以上に大きく繋がると捉えるべきぞ。さすれば周りの伊達に従わぬ国衆共を織田の力を借りて屈服させることも容易となろう。それに長年苦労している相馬家もあっという間……」
コイツ……、人を道具みたいに扱いやがって。
そんな勝手な事出来るわけがない。それに田村家はどうするんだ。私の……愛姫の親父である田村のオッチャンが黙っているわけないじゃん。
「奥方様、いくら何でもそれは勝手ですぞ! 少しは姫様のお気持ちを考えていただきたい!」
「左月……、そういえばお前最近愛姫に構っておるのう。『鬼左月』と畏れられた其方がまさか若い色香にやられたとは言うまいな」
「ハハハ、お戯れを。この左月、伊達家繁栄のため姫様には伊達家を代表する立派な女性になってもらいたいと思っての事」
「フン、どうだか……」
「ですが……姫様の危機となればこの左月黙っているわけにもいかんのです。これは約束故、たとえ奥方様の提案といえど儂は断固反対ですぞ!」
「……チッ、色ボケジジイが……。決めるのは其方ではないであろう」
左月……ありがとう。
酒の場で話した事だからてっきり忘れているものかと思っていた。私だって今ここで言われて思い出したぐらいなのに。
「のう……明智殿。これは妾からの提案なのじゃが……」
左月との言い合いを嫌った義姫が光秀に近寄る。
「出来ればなんじゃが……政宗も一緒に織田の人質として預かってもらう事は可能かの?」
「は⁉ アンタ何言って……」
「其方だけでは寂しかろう。政宗と一緒に織田へ参れば夫婦としての仲もそのままなのじゃぞ。粋な計らいを思いついた妾に感謝せよ」
義姫の言葉は部屋にいる大多数の家臣達をざわつかせた。
中には笑っている家臣や納得するように頷く家臣もいる。
……なるほど。最初の時も違和感があったけど、元凶はお前か。そりゃ政宗が名前を出しにくいわけだ。
「政宗は伊達家を継ぐ長男だろ。そんなことしたら跡取りがいなくなっちゃうじゃん」
「前にも申したが、別にお家を継ぐのは嫡男でなくてはならないという決まりはない。嫡流であるなら優れた者がお家を継ぐべきぞ」
「他に誰がいんのよ?」
「この子じゃ」
義姫は小次郎の背中をポンッと叩いた。
「小次郎こそが次の伊達家を継ぐに相応しい。この子は野蛮な兄と違って優しい器量の持ち主、信長殿が天下泰平の世を作った後はこの子のような民に愛される領主が求められるのじゃ。いわゆる先取りってやつじゃの」
「でもお殿様は政宗に継がせるって……」
「それは我が夫が勝手に決めた事。戦の事しか頭のない漢にどうやって国がまとめられようか、……そうは思わぬか?」
コイツ……マジで言ってんのか?
確かに政宗は血の気の多いところがあるけど、仲間からは慕われてるし、国の内情だって気にしていた。それをどうにかしたいと思っていた。
それを……この女は知らないの?
母親なのに政宗が今何を考えて戦をしているのか分からないの?
これが……母親?
腹を痛めて産んだ母親の言葉に思えない。
「何を睨んでおる、政宗。片目を失くした呪われた子が! その薄汚い眼で妾を見るでない、汚らわしい!」
「お義! お前いい加減に――」
そうか……、政宗も私と一緒だったんだ。
振り向いて欲しくて、頑張って、それでもダメならもっと頑張って。それでもダメならもっともっと頑張って。
母親に……見て欲しかったんだ。認めてほしかったんだ。……愛されたかったんだ。
私と……同じだ。
私が父さんに求めた事を政宗も望んでいたんだ。
「奥方様……、若様になんて言葉を……」
「フン!」
今政宗は苦しんでいる。私がそうだったからその気持ちは痛いくらい分かる。
なら今度は私が助けてあげないと。
フフ、これで義胤との戦いで助けてくれた事はチャラだからね。
「ねぇ光秀、私に織田へ来て欲しいって話なんだけど……」
腰を上げ、光秀の前に移動する。
面と向かって話したい事があるのだ。
「ぶ、無礼であるぞ! この御方をどなたと――」
「ゴチャゴチャうるせーな‼ 明智惟任日向守光秀……これで文句ねーな⁉」
「い、いや、そういう事ではなくて……」
肝心の光秀はというと、全然気にしていない様子だ。
胡坐をかいて堂々と余裕の笑みをしている。
「決心していただけましたか……」
決心か……。
答えは最初から決まっているけれど、私は政宗を助けるために敢えてこう言うだろう。
「私は伊達で……政宗と天下を取る約束をしてんの。魅力的な提案だけど、そのお願い謹んでお断りするわ」
光秀の表情が変わった。
今までの余裕な雰囲気は一変し、相手の動きを見定める戦人の顔に変わる。要は戦闘モードに入ったのだ。
これが光秀の……戦の顔か。
顔を強張らせ威嚇するわけではなく、真っすぐな瞳に刃を隠した無情の面。
主君の命令ならば、女子供に老人すらも斬り捨ててしまいそうな冷たさを感じさせる。そんな顔である。
この顔が……このプレッシャーが……戦国史上最大の謀反劇を起こす明智光秀という漢か。
「……面白い瞳をされておりますなぁ」
「え?」
「死を恐れぬ熱い瞳。今までどんな経験を積んでこられたのか……。まるで一度死を体験しているような……、人生二度目の経験をしているような。死人であって死人ではない……燃える野望を宿した素晴らしい瞳です」
一度死を体験している。
人生二度目。
この漢……どんな観察眼している。
織田にはこんな奴があと三人もいるのか。
「それに初見で拙者の眼力を見て怯まなかったのは信長様以来。前回の戦が初陣と聞いていましたが……どのようなご経験を?」
「秘密よ。良い女に秘密はつきものなの」
「なるほどなるほど……。益々気に入りましたぞ、愛姫殿。もう一度聞きます、拙者と一緒に織田へ参りましょう。貴女の才能はこんな所で埋もれていてはならないのです。……さあ」
光秀が右手をゆっくりと差し出す。
が、私がその手を取る事はない。
「愛姫っ、何をしておる! 明智殿の……せっかくの織田の好意を無駄にするでない! 政宗と共に織田に参れば伊達家は更に盤石となれるのじゃ! 早く明智殿の手を取るのじゃ!」
「うっさいわねー、そんなに行きたいならアンタが行きなさいよボケ。この安全圏で蜜ばっかり啜ってる寄生虫ババアが!」
「き、き、き、寄生虫ぅー⁉」
例えが気持ち悪かったのか、または光秀の前でそんな事を言われてショックだったのか、義姫は口を開けたまま固まっている。
まぁこれでしばらくは大人しくなるだろう。
光秀はいっこうに手を取らない私を見て自身の右手を下げた。
「信長様の命を無下にするという事は、それ即ち織田に牙を向くと同義……ですよ?」
「そうなのかもね」
「こんな小国いつでも潰せるのですよ。それでも戦うおつもりで?」
「勿論」
「ば、馬鹿な……怖くはないのですか⁉ 調べでは伊達は集められても精々一万ちょっと、それに比べ当家は十万は用意出来ましょう。それでも――」
「数が多い少ないじゃない、向かって来る相手は男女関係なく全員ぶっ飛ばす! それが私のポリシーよ!」
紙芝居のセリフをここで使うとは思わなかった。
「ぽ……ぽりしぃ……」
「そう。私が欲しけりゃ力尽くで奪いに来なさいって信長に言っといて。こっちからしたら大歓迎、天下統一の夢が早まるってもんよ」
私はひとりではない。
認めてくれる仲間、ここには私を頼って必要としてくれる人達がいる。
それを無理矢理奪おうと土足でテリトリーに入る奴がいるなら、私は相手が天下人だろう容赦なくがぶっ潰すだけだ。
「フフフ、まっそういう事じゃ光秀殿。コイツはこういう奴故、扱いには苦労するのよ。それが出来るのは儂しかおらん、無理に連れて行こうなど考えんほうが身のためじゃぞ!」
そう言い残すと、政宗は笑いながら「愉快、愉快」とその場から退席した。
もっとまともな言い方があるだろ、と思ったが政宗らしい言い方っちゃ言い方である。
光秀の方も真剣だった顔は崩れ、どこか諦めたような笑みを覗かせていた。
「あれが独眼竜……、素晴らしい御方の正妻になられましたな」
「……どうだかね」