写し見の忍び④
天正九年(一五八一年) 七月。
ずんに案内された秘密の間道を通り、無事に到着したのは田村領内にある三春城。
私……いや、愛姫の故郷であり、愛姫のお父さんが住んでいる城。
故郷に来ることで記憶がフラッシュバックするかもと思っていたのだが、まぁそんな都合の良い事は起きなかった。
初めての風景に、初めての外観に、初めて会う人々。
帰って来た英雄を出迎えるように「愛姫様! 愛姫様!」と湧き上がる人達を見ると、何だか複雑な気持ちになってしまう。何故なら私は愛姫であって、愛姫ではないのだから。
「殿、愛姫様御一行をお連れ致しましたっス」
清顕の屋敷に到着後、ずんはとある一室に私達を案内した。
私は喜多だけを連れ、清顕のいる部屋に入室する。
そこには少しやつれた、顔色の悪い漢が座っていた。
「ゲホッゲホッ、おお……愛! 久しぶりじゃのう……」
この漢が田村清顕……。私の……愛姫のお父さん。
「う……うん。おひさ」
「……ん?」
私の返答がおかしかったのか、愛想笑いが気になったのか、清顕は首を傾げる。
「何じゃよそよそしい。それといつまで立っておる、さっさと座りなさい」
「あ……うん。じゃあお言葉に甘えて」
想像とは違う印象に気が緩んだのか、私は言われるままに座ってしまう。
勿論喜多を始め、その場にいる清顕とずんも私の姿勢に目を丸くした。
「こ、これ姫様! その座り方は――」
しまった。ついついいつもの癖で。
急いで姿勢を戻すが、清顕やずんにはマジマジと見られていた。
身内とはいえ、ちょっとマズったなぁ。
「ゲホッ……まぁ良い。それよりお打、お主何故愛をここへ連れて来た? 輝宗様や政宗様が城にいないとはいえ、勝手に連れてくるのはまずかったじゃろう」
「わちきもそう言ったんですが……。清顕様の話をしたら是非行きたいと……」
「……ぬ」
清顕はため息を漏らす。
同盟国同士とはいえ、愛姫は伊達に政略結婚という形で嫁いだのだ。主のいない間に抜け出しては、理由はどうであれ清顕とってはばつが悪いのだろう。
「心配しなくて良いわ。私達がずんにお願いして、勝手にここに来たんだからアンタには関係ない。それに……」
「ん?」
「……愛姫なら多分こうしてた」
「愛姫なら……か。ハハッ、他人事みたいに言いおって。いつから冗談が上手くなったのじゃ」
愛姫がどんな性格で、どんな考え方をする女の子だったのかは分からない。
だけど、お父さんが病気だって知ったら。きっと帰っていたと思うから。
「それとコレ」
「ん、……紙と筆? 何じゃこれは」
「いや、体調も体調だし辞世の句でも詠むかなって」
「わ、儂にはよ死ねと申すか!」
病人とは思えないような見事なツッコミ。
流れを悟ったのか、清顕は今までの病面が嘘かのように笑い出した。
「プッ――、ガハハハッ! ゲホッゲホッ、ガーハハハッ!」
「それだけ笑えればまだまだ大丈夫みたいね」
「プッハハ……。あー笑った笑った。おかげか病も何処かに吹き飛んだわ」
それは良かった。
病は気からとはよく言ったものだしね。
とはいえ、この漢の顔色は凄く悪い。
そりゃずんが一度会って欲しいと言いに来るわけだ。
素人の私でもこの顔色の悪さはヤバイとわかる。
娘を心配させないよう気丈に振舞っているが、本人はきっと苦しいはずだ。
医学が発展していないこの時代では効く薬すら無いだろうし……。
せめて笑わせて上げられる事しか出来ないよ。
「ハハ、お打の報告を聞いた時にはどうしたものかと思ったが、お前は愛姫。やはり儂の娘・愛姫じゃったわ。ならこれをお前に渡しておこう」
清顕は黒い長方形型の箱を差し出した。
「これを輝宗様に。中は伊達と田村の密約が書かれた文書故、絶対に開けてはならぬぞ」
「清顕様……、これはまさか……」
「……喜多殿は鋭いのう。まぁそういう事じゃ、侍女の其方に言うのも何じゃがくれぐれも内密にな」
「はっ」
「お打、お主一緒に共をせよ。そして無事愛と書状を城まで送り届けてくれ」
了解っス! と、ずんが答える。
「ゲホッ、それともうひとつ頼みがあるのじゃが……」
「……何?」
「お打を……、この子をそのまま愛直轄の忍びとして置いてはくれんだろうか?」
「私の……直轄?」
すると、急にずんが床を叩いた。
「な、何を言っているんスか! わちきは拾っていただいた恩をまだ――」
「それは愛に返すのじゃ。あの時お主を助けたのは愛であろう?」
「――っ!」
何の話だろう。
私は清顕とずんに事情を聞いた。
話をまとめると、私……愛姫は子供の頃に同じく子供のずんを城の外で保護したらしい。
どうやら奴隷商から逃げた子だったらしく、当時はボロボロだったようだ。
ただ、そんな子を田村の人間が保護したと知れればいろいろと問題が起きるため、忍びという身分を与え何とかその場を乗り切ったそうだ。
「お打は変装で情報収集するのが得意の忍びじゃ。きっと伊達家の役に立つじゃろう」
「清顕様……」
どうしたらいいのだろう。
と、私と清顕の顔を交互に見て困った表情を浮かべる。
ずんからしたら拾ってもらった親にどちらかを選べと言われているようなもの。
それに清顕の体調も気になるのだろう。その気持ちは凄く分かる。
だけど、こんな優柔不断な性格じゃこの世を生き抜くなんて出来ない。ましてやそれが忍びなら尚更だ。
これは私が預かって鍛え直すしかないじゃん。
「ずん、一緒に来なさい! 天下統一を果たすためアンタの忍びとしての力を私に貸しなさい!」
「て、天下統一⁉ あの織田信長を倒すって事スか⁉」
「そうよ。そのためにはアンタが必要なの」
「わちきにそのような大役を――⁉ ……いや、でも殿のお身体も心配っスし……」
「アンタがいくら心配しようがコイツ……いや、お父さんの体調は良くなるわけじゃない。大丈夫、帰ったらもっと優秀な医者をここに派遣してもらえるように頼んでみるから」
それなら、とずんは首を縦に振った。
「じゃあずんは遠慮なく貰っていくわね」
「うむ。お打、しっかりと伊達家のために働くのじゃぞ」
少し泣きそうになりながらも、清顕にも首を縦に振った。
じゃあそろそろ帰ろうか。
立ち上がろうとした時、喜多が私の袖を引っぱりながら「あれを忘れないでください」と小声で話しかけてきた。
危ない、危ない。ずんを貰った喜びからすっかりと忘れていた。
「ん、これは?」
「小十郎からだって。中身見てないから何て書かれてるか知らないけど」
「小十郎……。片倉景綱殿からか⁉」
私は服の中に入れていた一枚の書状を手渡すと、清顕をその場で開き内容を確認した。
「……ふむ。確かにこれは田村家の儂しか出来ん事かもしれんのう」
「小十郎は何て?」
「此度の伊達と相馬の争い、その落としどころの仲介役を儂に願い出た嘆願書じゃ」
「嘆願書? 何でそんな物を……」
「輝宗様は伊具郡さえ取り返せれば別に相馬を滅ぼすつもりはないという事じゃ」
「ふーん。だけど、その役が何でアンタなわけ?」
「それは儂の正妻が相馬顕胤公の娘だからに決まっておろう。そして愛は政宗殿の正室。よってどちらにも顔の利く儂が仲介役としては適任なんじゃよ」
あっそうなんだ。なるほど、なるほど。
それを分かっていて小十郎は先手を打ったってわけか。
「政宗様は良き軍師をお持ちじゃ。これも姉である喜多殿の教えが良かったのであろう」
「い、いえ! 私が教えたのはもっぱら戦闘術ですので!」
「ハハ、謙遜するでない。片倉家は文武両道、以前お会いした時『姉の厳しい指導あっての事』と言うておったでな」
「ア……アハハ……、さようでございましたか……」
苦笑いでその場を乗り切ろうとしている喜多。
厳しい指導か。いったいどんな事をしたのだろう。
「そうじゃ愛、帰るなら於北……其方の母に会うて行くか? 会うなら今すぐ呼ぶが……」
「んーやめとく。どんな顔して会ったら良いかわかんないし」
「ゲホッゲホッ、それもそうじゃな。伊達と相馬の争いが終わってからの方がお互い蟠りがないでな」
そういう意味で会いたくないわけではないのだが。
まぁ理由があるならそれに乗っかっておこう。
「じゃあ私達帰るから」
「ゲホッゲホッ。うむ、道中気を付けてな」
「それと……」
「……ん?」
「体調……しっかり治しなさいよ。アンタに死なれたらずんが……いや、困る人間がいるんだからね」
「ハハ、当たり前じゃ。孫を百人見るまで儂は絶対に死なん! ゲホッゲホッ」
「何歳まで生きる気だよ……」
百人って……。
そんなに生まれたらガチの百人一首作れるわ。つーか、私何歳になってんだよ。
そう言い残して、私はずんを引き連れ三春城を後にした。
しかし残念な事に、田村清顕の願いは叶わない。
病は完治することなく徐々に彼の気力を奪い続け、天正十四年(一五八六年) 十月九日にその生涯へ幕を閉じてしまうためだ。
そして田村清顕が没する事で大きな事件に巻き込まれるのだが、彼が私に預けた密書がその窮地をいずれ救う事となる。