小手森城は深紅に染まる 後編⑮
「こ……これは……、どうなって……」
燃える櫓や小屋。
倒れた陣旗と破壊された武具の数々。
初めて見る小出森城内の景色の中で、それは私の心の中にある義を押し潰そうとする。
何処までも続く赤いカーペット。
底の見えない深紅に染まった絨毯。
それは決してこの城の人々が私を歓迎しているわけではなく、意図的に……、人為的に作られた無残な結晶体であるとわかった。
「ウッ――」
残虐な光景と漂う臭気に内蔵をやられそうになる。
私は馬から降りると、その光景を目に焼き付けながら奥へと進んだ。
死体。
死体。
死体だ。
老若男女。
千差万別。
倒れているのは城兵だけだはない。
老人、女、子供。そして家畜として使われていたであろう馬や牛。生き物と呼ばれているモノ全てが倒れている。
背けたい。
目を逸らしたい。
しかし……右を見ても、左を見ても、前を見ても、後ろを見ても同じ風景しか映らない。
そのため、目に焼き付けるしかなかった。
私は目を細めながら、極力視界に入れないように奥へと歩いた。
「キャ――!」
人の声だ。女の人の声だった。
私は小出森城に入って初めての生存者に視線を向けた。
「アア――‼」
背中から斬られた。
何かを抱えていた若い女性は、伊達の家紋を背負った兵士によって背中から斬られてしまった。
ピクピク……、と最後の力を振り絞り身体を丸める。
すると、伊達兵はその女性を足で蹴り飛ばすと、抱え込んでいた『何か』を確認した。
……赤ん坊だ。
歳はわからないが、おそらく一歳程度。
倒れた時の痛みか、伊達兵に恐れているのか、それとも母親が死んでしまったからか。
赤ん坊は天に向かって涙と悲痛な泣き声を上げた。
「まって――」
私の声が届く前に、赤ん坊は斬り殺された。
伊達兵はふたりが死んだのを確認すると、その場から立ち去ってしまった。
「人の心とか……ないのかよ……」
絶望から脚に力が入らなくなり、その場で崩れるしかなかった。
その理由は、先程の撫で斬りはよく見ると周りで行われていた。
そして……。
今まで私が見て来た朱い惨劇は、全てが伊達兵によって引き起こされた事であると理解したからだ。
「おのれ……伊達の悪鬼共め……」
細々とした、枯れた声に目を向ける。
そこには畑仕事でよく使われる鍬を持った老人がいた。
シワシワの顔には涙が溢れている。
斜めに反った身体を引きずりながら、憎しみと憎悪を私に向ける。
「おや……アンタ……、まだこんな所にいたのかい……」
「え……?」
老人から憎しみと憎悪が消えた。
敵意が消えたのだ。
「早く逃げんさい! ここにいたら殺されちまうよ!」
「おばあちゃん……、私は……」
「アンタ達若いもんは死んだら駄目じゃ。きっとどこかに逃げ道はある、そこから大内定綱様のいる小浜まで落ちなさいよぉ……」
「私は……その……、おばあちゃんこそ逃げなよ! こんな所にいたら殺されちゃう!」
「儂はもう良いのよ、もう十分に生きた……。あと出来る事は農作業と……若いもんを逃がすための盾になる事ぐらいねぇ」
「お、おばあちゃん……」
これ以上、声を出すのが怖かった。
私は伊達の人間で、伊達の姫で、ここの城主である菊池顕綱を殺してしまった張本人なのだと。
この老婆は私がここの町娘だと勘違いしているのだ。
確かに、私の装束に伊達家紋はない。あるのは私を象徴とした蓮の家紋である。
具足と腰にある小太刀には伊達家紋は彫られているが、今の立ち位置では老婆に見えない。
だから、私を仲間だと誤認してしまっているのだ。
「さぁ早く……、立ってここからにげ――」
生暖かい返り血が頬をかすめた。
「あ……」
老婆の身体を五本の鋭利な刃物が貫いた。
優しかった顔は苦痛へと変わる。五カ所も同時に貫かれたせいで立っていられず、老婆はその場で倒れ込んだ。
「おばあちゃん‼」
私は反射的に老婆を抱き抱えた。
そして、意識が朦朧としている老婆を呼び覚ますように、何度も声をかけた。
「なかないで……。わし……は……いいから……はやく……にげ……、じゃないと……あんたも……」
「ダメだよ! おばあちゃん、死なないで!」
自然と涙が出た。
もう助からなさそうなのはわかっている。それでも私は老婆の名を呼び続けた。
今の私にはそれしか出来ないから。
「姫、大丈夫だったか?」
そこにいたのは成実だった。
老婆の身体を後ろから貫いた犯人、それはエフフォーのひとりである伊達成実である。
自慢の黒爪からは血がポタポタと滴っている。
私は成実が老婆を貫いたのだと即座に理解した。
「アンタ……何でこんな事を……」
「いやだって、姫が襲われてたから……って。あれ、違った?」
成実からしたら老婆が私に鍬で襲いかかっている、そう見えたのだ。
だから、成実は老人であろうと後ろから突き刺した。そういう事だ。
「じゃなくて‼」
違う、そうじゃない。
私が彼に聞きたいのはそんな事ではない。
「何でみんな殺すのよ‼ まだちっちゃい子に! 無関係な人達も! 何でこんな事すんのよ‼」
「そ……それは……」
怒りが込み上がる。それを私は成実にぶつけた。
彼はとても言いにくそうにし、そして目線を私から切った。
それは、更に私の感情を逆撫でする。
「ガ――⁉」
私が成実に意識をとられている間、私は自分へ向けられた殺意に気付かなかった。
「わし……を……だまし……おったか……」
「グ……! お……おばあちゃん……や、やめ……」
血に染まった老婆の左手が私の首を締め上げた。
とても重傷を負った老婆の力とは思えない。それ位、強い力だった。
その力の源は……負の感情。
怒り、憎しみ、悲しみ。自分はこの女に騙されていたのだと、敵に優しい言葉かけていたのだと、情けないという負の気持ちが瀕死の老婆を動かしているのだ。
「ころし……ころしてやる……。みなの……まごの……かたき……」
「――っ!」
成実がトドメを刺そうと黒爪を構えたので、私はそれを否定した。
「姫……、なんで……」
「もういい……、もう大丈夫だから……」
私の言葉で成実は察したようだ。
老婆の顔から怒りが、憎しみが、悲しみが消えていく。殺意に満ち溢れた黒い眼差しが消えていく。
「…………」
ボトリッ、と左腕が地面に落ちる。先程まで力強かった、私の首を絞めていた、血に染まった左手が地面に落ちる。
それでも老婆は私を睨みつけていた。
が、その眼には既に光は無かった。
私は老婆の目を閉じさせるため、ソッと顔に手をあてた。
「おやすみ、おばあちゃん」
さっきまで殺意に満ちた顔が嘘のようだった。
目を閉じた老婆の顔はまるで布団で寝ているような。口は半開きになっているが、その顔は昼寝をしている老婆を見ているようだった。
私は老婆の両手を腹に置き、重ね合わせる。
私にせめて出来る事といったらこれくらいだ。
そして、そのまま地面にゆっくりと寝かせるように置いた。ちょっとゴツゴツしてるけど、そこだけは許してほしい。
「――――‼」
私はすぐに成実の胸ぐらを掴んだ。
成実も覚悟していたのか、私の手を払うような仕草は見せなかった。
「テメェー‼ こんな――、こんな事してただで済むと思ってんの‼」
「……姫」
「自分達が何をしてるのかわかってんの⁉ こんなのただの虐殺じゃない‼」
「……わかってるよ」
「わかってない‼ わかってたらこんな酷い事出来ない、アンタ達はただ勝てばそれで満足な――イタッ⁉」
私の腕を成実がギュッと掴み、力を入れる。
「わかってるよ、そんな事……」
悲しい顔だった。
自分だってこんな酷い事をしたくなかった、と言いたそうな顔。それは成実の顔を冷静に見れば分かりうる事だった。
私は成実から手を放す。
「誰も好き好んでこんな事……やりたくねーよ。むしろ楽しんでいる奴がいたら、俺が真っ先にこの手で殺す」
「その感じだと、こんな酷い事を指示したのはアンタじゃないみたいね」
「当たり前だろ」
「じゃあ誰がこんな事を⁉ まさか、小十郎⁉」
「いや……、それは……」
この時点で、私には誰の命令だったのか察しがついた。
「おい姫、どこ行く⁉」
反転し、馬の所まで戻ろうとした私に、成実が問う。
「……本陣に決まってんでしょ」
「今更戻ってどうすんだよ! もう撫で斬りは終わったんだぞ、姫が戻ったところで何も変わらないぞ!」
わかっている。
そんな事はわかっている。
だけど、私は……。
「この煮えたぎる気持ち……誰にぶつけたら良いのよ‼」
私は放置した馬の所まで走って戻り、そのまま本陣へ馬を走らせる。
アイツを……、今日という今日はアイツをぶん殴らないと気が済まないから。




